第 1 回 男 子 会 !



 カニバリズムとかじゃないけどさあ、とエースが口を開いたのはカフェテラスでだった。
「ニコちゃん見てるとニコちゃん食べてみたいなって思うことあるんだよね実際」。
 空調の効いた店内席はほぼ女性客で埋め尽くされ、冬に外で摂取する糖分って徹夜のピザまんに匹敵するっ、と断言したニコの提案により、というか人数の関係もあり必然的に寒空の下、制服にマフラー手袋完備(一部、耳あて有)の男子高校生五名はホットコーヒーと各々選んだマカロンやバームクーヘンやザッハトルテやカスタードシューやタルトを前に向き合っているのだった。
「え、蟹? ってあの猿を退治した甲殻類?」
 両頬をリスのように膨らませてニコが顔を上げる。ニコ。彼の正式名称は桐谷コウ。名字と名前の間を取ってニコと呼ばれる。あるいは、いつでも笑顔でいることから。喧嘩はめっぽう強く、冬に入ってからというもの足技が増えた。理由はカイロを詰めたポケットから手を出したくないがためだ。見る者に癒しさえも与える無邪気な見た目と裏腹にその凶暴性は実戦で証明済みだ。あるいは、無邪気さがかえって凶暴性に拍車をかけているのかもしれない。子どもは残酷だと云われる理屈と同じようなもので。
「カ、ニ、バ、リ、ズ、ム。だ」
 KANIのイントネーションから誤解を察知し訂正したのはまこっちゃんだ。正式名称は永崎真。彼の前に置かれたホットココアには仇のようにマシュマロが浮かべられている。それでいてニコの食べっぷりに若干引く姿勢を見せている、あまのじゃくだ。
「あ、いま蟹が踊ってる風景想像したしっ? でしょ、ニコ?」
 まこっちゃんの隣から顔を出してニコの脳内を読み取って見せたのは、ニコとどこか似たゆるい思考回路を持つひめかわ。通っている学校中の生徒が上も下も愛着を持って「ひめ」と呼びかける彼は男。健全な男子。体も心も年相応のおのこである。ただ、ときどき思考が乙女。あるいは単にへたれともいう。正式名称は姫川一馬。右隣のまこっちゃんとは中学以来の付き合いだがまこっちゃんが長年内に秘めてきた本音にはとんと気づかない。今しがたも身を乗り出したひめかわにたじろいだまこっちゃんが盗み見るように横顔に目をやった後わざとらしい咳払いをした意味も、永遠に考えられる日は来ない。それでもひめかわが何かに目を輝かせて笑顔でいる様子はまこっちゃんの内面をしごく密かに満たしてしまう。これはもう恋とか友情とか超越して父性なんじゃなかろうか。いやむしろ母性か。寡黙なまこっちゃんは今日も己の内面の機微に命名しかねる。真向かいのエースはそんなまこっちゃんの葛藤を察知し人知れずニヨニヨしている。静かに火花を散らしあうことが多かったエースとまこっちゃんだが決して仲が悪いわけではない。そうでなければ同じテーブルは囲めない。
「うん、想像したっ」
 ひめかわの指摘を受けてニコが大きく頷く。どうして分かったのひめすげえっ、と突き出したフォークの先から食べかけのスポンジが飛び、エースの右隣の人物の顔に付着した。
「・・・・・・ねえ、そろそろつっこんでいい?」
 顔面に着陸した今回のスポンジの件は偶然だと信じたいがとばっちりを受けることや貧乏くじをひくことに関しては右に出るものがいない彼のあだ名は、松橋(まつばせ)。正式名称は松橋。そのままである。呼称が本名となんら変わらないことに傷心の時代を越え、堅実に高校生ライフを送っている。左隣で頬杖ついてにやにやしているエースとは小学校以来の幼馴染で、本人曰く腐れ縁とのこと。
「カニバリズムって、あれだろ。人食いとかそういうことだろ」
 漫画か映画かで覚えた言葉を松橋は思い出す。
「え。おれ食べるの好きだけど食べられたくない」
 だって食べられちゃったらおれもう食べれないじゃん、とニコが次のスイーツに手を伸ばしながらエースを見上げる。
「いや、だってニコちゃんの体は砂糖で、血液はハチミツでできてそうだし」
 それくらいよく食うなって感心してたってこと、とエースはニコのほっぺに付いていたチョコレートソースを指ですくい口に運んだ。ん、あまい。
「うはっ」
 くすぐったそうに首を縮めたニコを見ていたエースが次に突拍子も無いことを云う。
 その言葉は集った五人の内、特定の数名を凍りつかせるにじゅうぶんな内容だった。
「突然だが本日付で童貞のやつ、挙手」
 なんでいきなりそれだ、と間髪入れずつっこんだのはさすがというかエースと長年連れ添った松橋で、だがしかし自分の抵抗はいずれ沈静されることをこれまでの経験で知っているからか全力ではないところがこの世の悲しみ。
「いや、今のニコちゃんの反応見たらなんかムラッときちゃってさ。こういうの萌えっつうの? 折角気の置けない男同士で集まったわけだし、こういうの自然な流れだと思うけど? 違うか? おれ何か間違ったこと云ってるか?」
「そういう迫り方はやめろ。汚い」
「ちぇ、なんだあ、松橋。急に語気荒げてさ。ちぇー。いいじゃんいいじゃん、真相明かして何か減るもんじゃないしい〜」
「急にキャラ変えすんな。戸惑うだろ」
 てかそういう問題じゃなくてだなあ、などとぶつぶつ呟きながら松橋の脳内はコンマ単位で「まだ」の人種をはじきだそうと試みた。
(落ち着け、おれ。冷静になるんだ。人の字を三回書いて飲むのってこういう時に使うおまじないだっけ違ったっけいやどうでもいい今は人とか手のひらに書いてる時間はねえんだよ。深呼吸深呼吸、あでも深いと動揺が伝播するから浅くな、浅く。よし、おれ落ち着いた。えーと、まず、エースは除外だろ。これは事実を知ってるから間違いないとして次に除外されるのはひめだな。これも事実を知ってるから百パーセントの確率で黒だ。分からないのがニコと永崎だ。どっちからにするか。えーと、ニコだな。・・・・・・見た目は、うん、かなり良いよな。かわいいとかっこいいの融合だろ。格好とか感覚とか今風だよな。今風ってなんだ。ひめと並ぶとアイドルユニット的なオーラが目に痛いほどだ。あの信哉さんにタメ語使えるだけあってスイッチ入ると残虐性が甚だしいけどまさか女子には暴力ふるわんだろうし人当たりも良いし甘党だし爽やかだし頭いいし、てかむしろ少女漫画とかに出てきそうじゃね? 飽くほど王道じゃね? あーでもニコの浮いた話なにげにきかねえ・・・・・・ってかそういう話題の時おれがはずされてるだけかもしんないけど謎多き少年だからひとまず置いといて永崎だな。っと・・・・・・永崎か。永崎・・・・・・。あー、余計わかんねえ! 何こいつ。何だこいつ。今気づいたけどおれこいつとぶっちゃけあんま親しくねえ! 客観的に見てぶさいくってほどじゃないけどいやおれが云えたことじゃ全然無いけど普通っていうか超普通っていうか空気然とした地味男だろ。ずば抜けた特技とか無いし帰宅部だしだって社交性もそんな無いだろうしこいつが女子と話してんのとかあんま見ねえ、むしろ男子と話してんのも、いや人と話してるシーンあんま見ねえ。うわ、ごめん永崎、脳内とは云えこんなこと云ってごめん・・・・・・。人として最低なのはおれだな・・・・・・むしろこんなおれがいまだ童貞であることは世界が正常であることの証であるかのような心持ちになってきたんだぜ・・・・・・なあ、そこの灌木に止まっているさっきからこちらを見ている小鳥さん? え、何、ケーキのおこぼれとか狙ってんの? かわいいねえ。そうだね、おれ大事なことを思い出したよ。童貞とかそうじゃないとか、どうだっていいことさ。生命って・・・・・・かわいいんだね)。
 わずか一秒にも満たない時間に松橋の中で生じたいかなる変化についても知る由の無い他メンバーはその仏像のような表情に無頓着で、時は相変わらず同じ速度で流れていた。コーヒーの湯気が流れていた。
「ひめは、違うだろ?」
 エースに名前を呼ばれたひめかわは控え目に頷く。
「あ、うん」
「アーサと付き合ってた時に済ませたもんな。ニコちゃんは? え、うそ、そんな早いの。相手ってまさか・・・・・・あ、やっぱ今いいや。もったいないから後日詳しく聞かせて。・・・・・・えーと、後は」
 エースの目が松橋とまこっちゃんの顔の上を交互に行き来する。
「小鳥さん、小鳥さんこっちおいで」
「何やってんだ、松橋」
「え、何ってほどでもないよ。ぼくはねあの小さな命をぼくたちのお茶会に招待したいだけ。だって、御覧よ、きみ。世界はぼくたちだけのものだろうか? 違うよね。あの青空は決して二本しかないこの腕で抱き締めることができないし、海水を飲み干そうとしても無理だよね。そして宇宙は今も広がり続けて個々の魂を遠ざける・・・・・・だったらケーキだってぼくたちだけのものではないんだよ。そう、たった今ぼくは身近にある命ともっと触れ合いたくなったんだよ」
「松橋、おーい、松橋・・・・・・だめだこりゃ」
 ちなみに永崎は、と問いかけるエースの視線を受け、両手でカップを包んで俯いていたまこっちゃんが鋭い視線を投げ返した。ぎららんっ。
「・・・・・・これは踏み絵か」
「え?」
「・・・・・・お前は江戸幕府気取りかと訊いているんだ」
「ど、どうしたんだよ、永崎」
 淡々と皮肉るような普段とも、あるいはまた、数パターンほど予想していたそのどれもとかけ離れたまこっちゃんの反応にエースも怯む。両側のニコとひめかわが「お」と不思議なものを見る目でまこっちゃんを覗き込んだ。
「どったの、まこっちゃん?」
 鳥寄せの術を使いファンタジーワールドにトリップした松橋以外の三人は、ココアの入ったカップが、小刻みに揺れ始めたまこっちゃんの振動でかたかた音を立てているのを聞いた。
 ところでさ、と無理矢理に話題を変えようとしたエースだったが、失敗に終わった。
「用事、思い出した」
 まこっちゃんが、すっ、と立ち上がった。表情はいつもとなんら変わるところはない。むしろ穏やかだ。かえって恐ろしい。
 これやる、と、ニコの前にほとんど手をつけていない皿を滑らせる。ニコは素直に喜ぶ。ひめかわが心配して「お、おれも一緒に帰る」と云い出したのをまこっちゃんは拒否した。
「いい。ひめ、いらない」
 きっぱり告げるとまこっちゃんは財布から自分の注文した分の代金をちょうど取り出し、テーブルの上に置いた。
「あれ? ぼくらのお茶会から離脱する魂があるよ・・・・・・」
 松橋が見送るまこっちゃんの足取りは、初雪のようにどこか凛としていた。



つづく?