第 2 回 男 子 会 !
「・・・・・・さっきから、何」
こたつに潜り込んでもじもじと体を捩るひめかわにオージは邪魔者に向ける視線を送った。
オージ。正式名称、宮沢大路。ワケあって去年の春からこの姫川家に居候している。極度のブラザーコンプレックスを持った二人の不穏な兄がおり、彼らはひめかわにとってオージ本人以上の手強い天敵だ。ちなみにニコとは同級生だ。
「オージ。おれの話きいてた?」
昨夜から明日の朝まで両親は共通の知人宅へ出かけている。つまり、この畑のど真ん中に建った二階建ての一軒家にはひめかわとオージの二人きりということだ。ひめかわはここぞとばかりにオージに擦り寄る。肘鉄を食らった。めげない。擦り寄る。
「だから永崎が怒って帰ったってだけの話だろ」
オージは書き損じた数字を消しゴムで擦っていたが途中で面倒になりノートを閉じた。構ってもらえると期待してひめかわの顔が輝く。オージは内心溜息をついた。
あまい。
誰が。自分が。
何に。こいつに対して。
「はい、ミルクたっぷりカフェオレ」
「・・・・・・おう。って、半分冷めてんじゃねえか」
「ほらね、オージが無視してるから」
「カフェオレじゃなくてばかずまを無視してたんだよ。だから冷えたカフェオレとそれを飲まされるおれは被害者だ」
「入れ直してこよっか」
「おれは猫舌だから、これでいい」
「なんだ。じゃ、ちょうど良かったんじゃん」
「冷めたカフェオレを飲むことと、カフェオレを冷まして飲むことは違うんだ、ばか」
「・・・・・・もー。かわいいんだからー」
「・・・・・・」
袖口から覗く指先の小さな爪が目に入ってひめかわはどぎまぎと目を逸らす。
昼下がりの生々しい会話が頭に残っていた。
まこっちゃんが立ち去った後、松橋はファンタジーワールドからなかなか帰って来なかったが、エースとニコとひめかわの三人は寒空の下であることを忘れて男子会ならではの男子トークに健全な体をほっこりさせた。
エースの話はいちいち刺激的だ。年上美人の彼女とはひめかわも面識があり、あの人が、あの人がそんなことを、という驚きで鼓動が何度乱れたことか。
『で、ひめ。オージくんとは実際どこまでいってんの?』
エースの問いにひめかわはロールケーキを咽喉に詰まらせた。むせる背中をニコがさすってくれる。
『だいじょうぶだよ、ひめ。おれ、信哉にチクったり、光に報告したりしないから』
『脅迫だろ、それ!』
『どう、どう』
『うう。味わうことなく飲んじゃった・・・・・・』
『で?』
ようやく落ち着いて正直に答えたひめかわの回答にエースは目を見開いた。
『まじかよ。ひめ、それで平気なわけ』
ひめかわが頷くとエースは『もったいない』と我が事のように盛大な溜息を吐く。
『我慢、よくない。してもらえ?』
う。
思い出してひめかわは顔を覆った。よりによって今日。両親不在の今日にそんなことを。
(エースのやつエースのやつエースのやつ!)。
ひめかわはオージを窺う。
角を挟んで座ったオージは横顔左半分を見せているが、さらに下半分はマグカップに隠れて見えない。顔にかかる湯気が気持ち良いのか目を細めている。ひめかわは泣きたくなって頭を振った。前は、分からなかった。素顔を見られることを嫌うオージが、やっと表情が分かるほどに自分のことを信頼してくれているのに。そんなこと頼めない。へたれと云われようがエースに笑われようが、それは絶対にしないとひめかわは一人誓った。
「ま、まこっちゃんはどうして怒ったんだろう?」
ひめかわはさっきの会話で繋ごうとするがオージの返答はそっけなかった。
「おれは永崎じゃないから分かんね」
ごもっとも。ひめかわは頷いた。
「だろ」
マグカップを置いたオージが、ぽて、と上体を倒した。崩した脚がこたつの中で触れた。
「ね、ねえ。オージ」
「・・・・・・死ね」
「まだ何も云ってないじゃんっ!」
「云おうとした」
「何を」
「何かを」
「・・・・・・うう。そっち行っていい?」
「だめだ。狭くなる。あと今お前おかしいから恐い」
ひどい云われように云い返す言葉を考えていたひめかわはふと、反撃をやめた。
ひめかわの膝の上にオージの膝の裏がのった。ただそれだけのことだったが、ひめかわには分かった。
(オージは、精一杯してくれてる)。
この家に来てからオージが寝坊をしたことはない。布団を畳まなかったこともない。食べた食器を片付けなかったことも朝に洗濯物を干さなかったことも掃除を怠ったことも、何もない。ひめかわの母である峰子は「そんなに気を遣わないで良いのよ」と云う。自分の家だと思って欲しいと云う。オージは答えた。これが普通です、と。おれはずっと、こうでした。あの時はだらしない自分へのあてつけかと思ったひめかわだったが、後に信哉から聞くことになる。
オージは、どこにいても居候の気分になるんだよ。実家にいた時だってそうだった。一緒に暮らしていてもそうだった。いつでも、自分が疎んじられている可能性だけ、頑なに信じてる。
信哉は、生まれながらに二番扱いされてきたせいじゃないかと云う。それと、と何か云いかけたが中断された。詳細を省くことを決めた男の口は、誤解を恐れるように、露呈を厭うように、それでも何かを伝えたがって、数文字分、動く。
まちがって生き残ってしまった、という思いがあるんだろう。
星が、近い。
星が、落ちてくる。
この家に来て初めて迎えた夜に、オージは云った。ひめかわは「落ちない、落ちない」と笑った。いつもは無口なオージが急に子どもじみたことを漏らしたことがおかしかった。
全部で何種類あるのだろう。
オージは空っぽにしたヘアワックスの容器に錠剤を持ち歩く。定期的に通院もしている。同行するのはニコの役目で、ひめかわが病院までついて行ったことはない。何のために行くのか、どういう診察を受けているのか、あとどれくらい行くのか、それらの疑問をぶつけないということはいつしか暗黙の了解ごととなっており、ひめかわから訊ねることはない。訊ねたらどうなるだろうかと考えることもない。いつか知る日が来るとも思うし、来ないなら来ないままでいいとも思う。
星が、近い。
星が、落ちてくるよ。
田舎で見上げる夜空が珍しくて、はしゃいでいるのかと思った。だから、あの日、ひめかわは笑った。
遠いよ。
落ちてこないよ。
だいじょうぶだよ、オージ。ここは、安全だよ。
(おれが、いるじゃん)。
格好つけて云った言葉が、途中で途切れた。
「ほんとうに、か?」
振り返ったオージの瞳。黒々として、そこには何の輝きも無かった。ひめかわの口が告げることを、仮にそこにいるのがひめかわじゃなく他の誰かだとしたら、その他の誰かの言葉をきっと鵜呑みにしてしまうんだろう。子どもどころじゃない。疑いと、渇望。縋りながら、突き放していた。
「ほんとうに、お前がいれば、安全なのか?」
冗談とは思えなかった。オージは真剣だった。やがてひめかわの顔からも笑みが消えた。これは、笑いながら交わす契約じゃない。
「うん。本当だ」
あの言葉を嘘には、絶対、しない。
難問なら、いい。
自分がそれを諦めないなら、解いてる間、向き合っていられるから。
死ぬまで諦めない自分を、知っているから。
「あ、そうだ、オージにおみやげあるんだった」
ひめかわはこたつを飛び出すとキッチンの流しに置きっぱなしの箱を取りに向かった。冷蔵庫に直すつもりで忘れていた。
男子会が終了した時分、日は暮れていた。帰宅したひめかわは家の前で佇むオージの姿を見て驚いた。
えええ、どうしてはいんないの。いえのかぎもってるじゃん。
うん。
あ、おれのことまってたとか。うれしい。えへえへ。
うん。
オージ。
うん。
オージ。
・・・・・・うん?
・・・・・・どうしたの。
いえのなか、くらかったから。
あ、ああ、そっか。ゆうれいとか、そういうのがこわいんだ。なんかホラーみた? もー、でんわしてくれたらすぐきりあげてかえってきたのにっ。
うん。あのさ。
え、なに、オージ?
こわいんだ。
こわい、って?
なかがくらいいえのドアをあけるの、おれ、こわいんだ。
「はい、オージ。いろいろ買ってきたよ。どれ食べたい?」
「うわ、甘そうなもんばっか。うぜえ」
「ケーキだもん。甘いよ。うざくない」
「ふうん、じゃ一番甘くないやつ」
「これかな」
「ばか云え。甘いだろ」
「じゃ、こっち」
「絶対甘いな」
「も、ぐだぐだ云わないで食べるっ。案ずるより産んでっ」
「何で強制だよっ」
「だってオージには甘さが足りないっ」
「はあ?」
「だから食べるのっ」
「・・・・・・何云ってんだお前は」
三十分?
まさか。五分、くらいじゃねえの?
嘘。手、こんなに冷たいじゃん。一時間以上?
さあ。
分かった。とにかく、入ろう。ドアはおれが、開けるから。
おれが、あけるから。
「なあ、お前ら集まっていつも何話してんの? しかも女ばっかの店で」
「あ、オージ。古い。甘い物好きなのって女子ばっかじゃないんだよ」
「知ってる。ただ、この箱。いかにも女向けじゃん。うさぎのロゴとかピンクとか。変な目で見られたりしねえの」
「もー、オージったら」
「・・・・・・何だよその顔」
「もー、オージったら!」
「・・・・・ば、ちょ、寄んな、触んな、クリームひっつくだろっ」
「次からはオージも呼ぶからっ」
「はあ? 云っとくけどなお前、さっきのは拗ねた発言とかじゃねえから! って聞いてんのかよ?」
「あー、オージの体ぽかぽかしてる。良かったあ。オージがあたたまって良かったあ」
「・・・・・・なんなんだよ」
オージの舌打ちが聞こえる。だが拒絶はされなかった。選んだケーキが存外ほろ苦で好みに合ったのかも知れなかった。
空には星が瞬く。あれを美しいと思う人もいれば恐ろしく感じる人もいる。一つの屋根に守られながら、甘さと苦さで時を曖昧に押し流し、ほとんど何にも、どこにも触れないで、ただただ寄り添って正当をはぐらかすことが、第三者の目からは生ぬるくとも、必要なことだってあった。
星が空にあり、家にはひめかわがオージといる。
世界がたったの1から10でできているなら、揃っていない数字は、もうどこを探しても見当たらないだろう。
つづく?