第 4 回 男 子 会 !



 ふだん壁際を好む男が窓際に座っている理由は二つ。
 一つ、人と待ち合わせをしているから。一つ、そこが喫煙席だから。
 窓際に座る男が喫煙をする理由は一つ。
 すなわち、今から会う相手が見ているだけで不愉快な気持ちを呼び覚ます、しかし残念ながら縁を切ることのできない、会った時から口論・格闘両用、喧嘩の絶えない弟であるから。以上!
 以上、響信哉の胸中だ。
 味覚、趣味、行動、すべてにおいて正反対。
 ただ、そんな彼らでも時には示し合わせること無く同じ行動を取ることがある。
 彼らにとって末の弟にあたる、最後の希望。大路の家出を大々的に手伝ったことがそれにあたる。
 八年ほど前の話だ。
 ん、七年か。いや、九年だったかも知れない。
「おっまたせー」。
 呼び出されてこの喫茶店へ出向いた光は、席についた途端、まさに射殺さんとす視線に一瞬たじろぐ。が、すぐに逸らされるものと分かっているから平然を装い続け、ようやく解放された瞬間、ややあって細く息をつく。これらの動作はすべて茶道だの華道だのによくある様式のように、一種の儀礼的形式的なものとして会う都度になぞられる。
「はあ、おれいっぺんで良いから信哉に云われたいわ。ううん全然待ってないよっ、て。ったく、かわいくねえなあ。相変わらず・・・・・・」。
「全然待ってないぞ」。
「お?」。
「お前のことなんかちっとも待ってない・・・・・・」。
「信哉、目が恐い。そういうニュアンスで云って欲しかったんじゃないんだ」。
 悪いおれが求めるものが悪かったんだ、と今回先に折れるのは光だ。寄って来たスタッフにウインナーコーヒーを注文した光はポケットから煙草を取り出す。テーブルの上に置かれた信哉の煙草の箱をちらりと見て、あいかわらず不味いの吸ってんなあ、と思うが云わない。云わないが顔には出たかも知れなかった。一方、信哉も光の取り出したパッケージを一瞥し、舌が腐っているとしか思えない、と半目になる。この間、どちらも口を開いてはいない。だがある種以心伝心、互いの考えていることなど言葉として聞くまでもなかった。本人達は全力で否定するだろうがなんだかんだで気の合うコンビなのである。
「オージと、三時に待ち合わせている」。
 信哉の言葉に光は時計を確認した。
(あと三十分は、あるな)。
 あと三十分。何を話すつもりだ。
「さて信哉くん。おれだけを早めに呼び出したわけを話してもらおうか」。
 光は嫌味らしく煙を吐き出したが信哉に届く前に掻き消された。テーブルに向かい合った二人を真横から見ると美術館に飾られている高価な絵よりはずっと面白い。片や白猫、片や黒猫。半分ずつ繋がった血がどこか面差しに共通点を残すが、髪や肌の色合いの対照的な違いにより明確に対立的に存在している。どちらも好戦的な色を目に浮かべて向かい合っていることに変わりは無いが、それでも双方、気の置けない話し相手であることに変わりは無い。空気は張り詰めているが一触即発といったほどでもない。得に今回は信哉のほうが話があるようだ。でなければどうしてわざわざ弟一人を早い時間に呼び出したりするだろう、いやしない。しかも好かないほうの弟だ。
 左右の口から吐き出された白煙が龍の形になって戦っている。優勢軍の指揮者、光がにやりと笑うと信哉は諦めたように煙草を持つ手を口元から下げた。のろしのような煙の上がる先を灰皿の縁にかけ、ようやく話し出す。
 ウインナーコーヒーを準備しながら、店のスタッフのみならず他の客までもが遠巻きに混血の二人組を気にかけて時折盗み見た。
「光」。
「何だい、信ちゃん」。
「男子会って知ってるか」。
 げほ。
 むせた。その時、光は煙草を吸った日以来初めてむせた。
 ひとしきり気道をすっきりさせた後、光は涙目のまま信哉を見上げた。白人種の血を継いだ彼は粗相を行った奴隷を見下ろす王のような眼差しで弟を見据えている。瞳には僅かに憂いの色もある。
「すごいな、信哉。大学行ってそういう冗談マスターしたんだ」。
 冗談でないから冗談にしたかった。光は水の入ったグラスを手に取るが信哉の次なる発言が予測できず念のためグラスをテーブルに戻す。煙にむせて水を吹くなんて痴態は公衆の場で晒したくない。
「きらいじゃないけど?」。
「いや、嫌いになってくれたほうが都合が良い」。
「つれないねえ。で、男子会?」。
「ああ。男だけで集まって、その、何だ、飲み食いしながら他愛もない話をするんだ」。
「ああ、女子会って言葉があるもんな」。
「あれの男版だ」。
「言葉の意味は分かるけど」。
「あれを、時々お前と二人で開催したいと思う」。
 水、いま口に含んでいなくて本当に良かった。光は改めてそう思った。
 信哉は真面目だ。琥珀色の瞳がまっすぐに睨、いや、見つめてくるのは返答を待っているからなのだと光はすでに知っている。
「どうした、信哉? じゃなくて、どうしてだ? 離れて暮らして初めておれの大切さが分かった系か」。
「違う」。
「いやそんなきりっとした顔で否定されるとそれはそれで凹む」。
「そうじゃなくて、さいきん時々おれは自分がおかしいんじゃないかと思う」。
「さいきん時々? ああ、だったらやっぱおかしいな。信哉は前から大抵いつもおかしい」。
 光の言葉に信哉は元々細められていた目をますます目を細める。やがて線になって眠ってしまうのではないかと思われたころ、光の注文したウインナーコーヒーが運ばれてきた。淹れ立てのコーヒーの香りと、間に割って入った第三者の気配に、信哉は目を開く。光は「ありがと」と斜め上に笑顔を向けた。信哉は光の顔から目を逸らさなかった。
「光は平気なのか」。
「え、何が」。
 異性へ向けていた微笑を残したままの光が信哉に向き直る。信哉は続きを補足することが癪に障ったので止めた。
「平気みたいだな」。
「だから何が」。
「・・・・・・」。
「黙るなよ。何か話すためにおれだけ先に呼んだんだろ。早くしないとオージが来るぜ。ん?」。
 言葉を連ねながら、おお信哉がおれに三つ連続で云われっぱなし、と光は内心、記録達成を喜んでいた。これまでの経験では一と半分あたりで手が出てきたはずだ。平均は二に満たない。それが今回はどうだ。云われっぱなし。云い放題。もしやこれは存外楽しい時間が過ごせるんじゃないか(自分にとって)、と期待した光だったがそんなことは無かった。
「お前だからこそ単刀直入に云おう。光」。
「うん」。
「そろそろオージ離れをしたいんだ」。
「ぶっ」。
「何だ、むせたり吹いたり忙しいやつだな」。
「誰のせいだと」。
「お前だろう」。
「あー、そうですよ、はいはい。おれのせい。・・・・・・で、何? おれの耳が正常だってんならお前今オージ離れがしたいとかどうとかほざいていたような」。
「間違いない」。
「それはまた、その、何で急に」。
「急に感じるのはお前に話すのが今が初めてだからだろう。おれはもとより考えていたんだ」。
「・・・・・・へえ。意外。おれ、信哉はオージを一生離せないと思っていたけどな」。
「それはオージのためにならないと気づいた」。
 だな、と安易に同調しかけた光は信哉の表情に気づいてかろじて云い留まった。
「あー、でもな、信哉。オージのためにならないことばっかじゃないと思うぜ。お前のおかげでたくさん助かってるぞ、オージもだけど、おれも」。
「そうだろうか」。
「あ、ほら。最初、宮沢に居づらくなってきた時だってさ。お前が云い出さなければずるずるあそこで暮らしてたかもしんないし」。
「最初に家を出たいと云ったのはオージだった」。
「うん、でも実行に移したのはお前だったよ。準備が早かった。決意を鈍らせてる暇も無かった」。
「それがどうしてお前のためにもなったんだ」。
「おれ、前からあの家の人間嫌いだったしさ」。
「ふうん。そうは見えなかったがな。お前はそれなりにうまくやれたんじゃないのか?」。
「こっちのセリフだ」。
「バカ云え」。
「ようはその程度だってことだよ。自分以外の人間を見抜く能力なんて。おれも信哉も、互いにな。それなりに人並みに低いってこと。あでもニコちゃんの選定は間違ってなかったと思うぞー。えらい、えらい」。
「撫でるな。気色悪い」。
「しかしよく調べ上げたよなあ。何度でも感心するわ。そこは。オージと同じ年で、利口で、それなりに見目も良くて、喧嘩が強くて、だけどそうとは見えないやつ。ニコちゃんはいい子だよな本当に」。
「ああ。ニコはとても役立ってくれている」。
「ちょ、おま、人間に対して役立つ役立たないの形容詞はやめとけ」。
「他でもないお前の前でくらい、本音でも良いだろうが」。
 おっ。
 光は数ミリ、背筋を伸ばした。ぴしっ。
 手強い。使い分けてくる。今日の信哉は唐突にデレるんだが!
「・・・・・・えーと、信哉。最近急激に冷え込んだ。正午には雪も降った。色々な自然現象によりお前がやや錯乱しているのは分かる。ゆうべ結構、悩んだみたいだな。よく見れば目の下にくまができていたりして。いや、やや錯乱してんのはおれだ。あの、すいませーん!」。
 光は挙手してケーキセットを注文する。
(煙草。コーヒー。ケーキ。に、信哉か。こりゃ体に悪そうな組み合わせだな・・・・・・だけど何か甘いの食ってないと落ち着かねえ)。
 時計を見ると十五分が経過している。オージとの約束時間まで、あと十五分。だが、早めに到着するオージのこと、あと十分弱と見たほうが良いだろう。
 呼び出された側でありながらすっかり聞き役となった光は時間配分を細かに考える。
 
 それからの十分間、光と信哉は一時的な休戦条約を取り付け、同じ課題に向き合った。
 課題とは。
『いかに信哉のオージ離れを達成させるか』。
 ここで語られるオージ離れの定義が何であるのか、この際細かいことは置いておこうとして話し合いは始まったがその細かいとされた部分こそがもっとも重要であったのは後に分かることとなる。

「・・・・・・あ、信哉さん、光さん。お待たせしました」。
 寒風に吹き付けられ赤らんだ頬と鼻とをふかふかのマフラーに埋めたオージが店内に入り込んできた時、信哉が思わず立ち上がって行きオージまるごと抱き締めそうになるのを光はテーブルの下で踏んだ足で食いとどめた。
「信哉。おい」。
「・・・・・・ああ、分かってる。分かってるんだ、くそっ」。
 断腸の思いで耐え忍ぶ信哉に光は痛ましげな視線を送る。
「二人ともこっちへはもう帰ってきていたんだ。大学、冬休みなんですね」。
 光の隣に腰を下ろしたオージはマフラーをほどくとはにかむように笑った。ひめかわがこれを見るのは何年後、いや何十年後になろうかと思われる、白黒兄弟向けの表情だ。
「そう。久々に兄弟水入らずでお茶でも・・・・・・って顔じゃねえな」。
 訝るオージを適当に誤魔化しておいて光は信哉の隣に席を移動し、耳打ちした。
「おい、信哉。修行じゃねえんだから。普通に話して良いんだ、普通に。ったく、かえって調子狂うなあ」。
「・・・・・・信哉さん?」。
 オージが首をかしげている。信哉は黙ったままだ。
 痺れを切らした光がテーブルを叩く。
「あーもー、くそじれったいぜ。どうして秘密にする必要があんだ。家族だろ。ぶっちゃけるぞ? あのな、オージ、信哉は自分がオージに対して過保護なのをどうにかしないとって思い始めたんだよ。春からひめかわんとこで暮らしてるだろ。そこで信哉は一旦落ち着くつもりだったんだ。けど、逆効果。かえって心配が募るようになって、昨日もひめかわにへんな電話しちまったことで悔やんでるんだ」。
 一気にまくし立てる光からオージは信哉に視線を移した。
「そういうことだ」、信哉は否定する素振りを見せず潔く頷く。
 オージも神妙な顔になると「ここまでは、理解した」と頷いた。
「うーん、いい子だ。さすがオージ。んでな、信哉が今日はオージにちゃんと云いたいことがあるって」。
 信哉は閉じていた目を開けるとオージの真っ黒な瞳を見つめた。以前会った時より輪郭がすっきりしたのが分かる。もともと童顔であるとは思っていたが、確かに成長していた。時は当たり前に流れていて、その中に光も自分も、オージだってちゃんといたのだと、信哉は短い間に思いを馳せる。
「オージ」。
 呼びかけに、はい、と頷くオージがいる。
 生きている。反応がある。一日に一度は、それを奇跡だと思ってた。
 大袈裟な、と笑われる気がする。自分のどこかにいるもう一人の自分だって、ほら笑ってる。
「オージにはずっと、謝らないといけないと、思っていた」。
 オージは返事をしない。頷きもしない。ただ黙って、まっすぐに、聞く姿勢を向けている。黒い瞳が瞬きをして、その度に潤んでいくように見えて、泣くのじゃないか泣くのじゃないか、と怖くてたまらなかった。
「・・・・・・罪滅ぼしなんかじゃ、ないんだ」。
 そう云った信哉の隣で、光が微かに反応した。
 それを信哉に云わせたのは、オージに聞かせたのは自分だった。何年前だったか。中学生だった。些細なことで云い合いになり、云ったんだった。オージを大切にすることは罪滅ぼしにはならない、と。その後すぐ手が出てしまい、オージの後を追う余裕も無かった。春だった。公園に桜が舞っていたから、あれは春だった。三人でベンチに座って、最後はなんだか幸せだった一日だった。記憶はどうも曖昧で、ぼやける。それとも、今の自分がぼやけさせたいからそうなっているだけなのか。
「・・・・・・ああ、おれもだ。オージ、ちゃんと謝ってこなかったな。本当に、悪かった。意味なんて考えなかったんだ。ただ、状況からして、あれが信哉を一番傷つけられるような気がして、って、ただそれだけで・・・・・・」。
 光も口を開いたが、いつもの流暢さを発揮できず、歯切れが悪い。
「信哉さん。光さん」。
 オージに呼びかけられて二人はゆるゆると顔を上げた。この二人に弱った顔をさせられるのは世界でたった一人のこの弟だけだろう。
「あの、おれは」、
 判決を待つ囚人のように、偶像に縋る信者のように、二人の視線がオージを凝視する。
「おれは、いいから。おれは、大丈夫だから。二人には、もっと、仲良くしていて欲しい、です」。
 なんでこいつと。
 なんでこいつと。
 信哉と光の頭の中は、向かい合えばそのことばかりだった。
 これまでは。
 だけど、オージはもう見たくない。
 二度と元に戻らない家族なんか。
 それがオージの願いなら、「なんで」なんて、捨ててしまって、もう二度と拾わないでいるべきだ。
「オージ、分かった。よし信哉、キスしよう」。
「やめろ」。
「なんでだ」。
「そっちがなんでだ」。
 また諍いが勃発するのではとオージはうろたえたがすぐに杞憂と知る。向かいに座る信哉と光は、素直じゃない。それだけ。似た者同士であることを知っている。

「ところで、オージ。もう一つ、聞いて欲しいことがある」。
 食事がまだだったオージの遅いランチ風景をじっと眺めていた信哉は、パスタ皿が空になったのを見はからって云った。オージはナプキンで口を拭いながら待つ。
「はい」。
「おれのわがままを聞いて欲しいんだ」。
 信哉の表情がきりっと引き締まったのを見て光が「おお。信哉のわがまま」と囃し立てる。
 オージは瞬きをした後、こっくんと頷いた。
「オージ、わがままを云って欲しい」。
「・・・・・・え?」、首をひねったのは光だ。「オージじゃなくて、信哉のわがままだろ」。
「だから、これがおれのわがままだ」。
 きっぱり云う信哉は真顔だ。
「オージにわがままを云って欲しいっていうのが信哉のわがままってことか?」、光がまとめる。何を分かりきったことを、と云いたげに信哉が鼻を鳴らした。
「信哉お前、ついさっきオージ離れするとか目標立ててたじゃねえか」。
「だから、離れるんだ。おれからは干渉しないかわりにオージからのわがままを存分に受け付けたい所存だ。どうだ、これでちょうどバランスが取れるだろう?」。
 どこか自慢げな信哉に見下ろされ、ああ、と光は頭を抱える。
「信哉ってこんなやつだったっけ・・・・・・こんなにボケ頻発してたっけ・・・・・・くうう思い出せねえ・・・・・・てかどっからつっこめばいいのか分かんねえ・・・・・・」。
 しばらく一人になりたいと光は透明な殻にこもった。
「なあ、オージ。分かったか?」。
 信哉からの愛情をしみじみ感じながらオージは「じゃ、デザートが食べたいです」と早速権限を行使してみる。いや、兄のわがままを叶えてやるのだ。
「分かった。好きなケーキを選べ。いくつでも。ああ、オージは甘いものが苦手だったな。ならばシュガーレスケーキを作らせよう」。
 本当にシュガーレスケーキを要求しかねない信哉を尻目に、追い出されるぞ、と光は常識的な助言をしてみるも、若葉一つの発育より、雛一羽の成長よりゆるいペースでしか歩むことのできない、自分を含めた三角形の家族のあり方を、呆れこそすれ憎めはしまいと、愛せこそすれ恐れることは何も無いと、ここにいたってなお疑うことはないのだった。



つづく?