第 5 回 男 子 会 !



 正解だ。
 弟へプレゼントする手袋を、五本指ではなくミトンにしたというその選択は実に大正解ですよ、偉大なるお兄様たち。

「ああ、もう、オージかんわいいい・・・・・・っ」。
 背後に立ちはだかる二人の男に身悶え付きで熱烈感謝するひめかわの傍らでその小さな生き物は我関せずといった態度を貫いたままただ静かに目を瞑り両手を合わせて何か願い事をしていたのだが、やがて瞼を開くと忽ち踵を返した。早々と願い事を終えていた隣人が跳ねるように追いかけてくる。
「ね、ね。オージ、何をお願いしたんだ?」。
「あ? ばかずまがおれより先に死にますように、だ。当たり前だろ」。
 屋台も出動して賑やかな境内、人の間を縫うように足早に横切るオージの後ろでひめかわは辛辣な言葉も見事に良きほうへと解釈し、四番目の干支の脚力さながらに跳ねた。「ううん、おれが後でいいっ」。肩越しに様子を確かめたオージは「あほだな」とマフラーに埋もれた唇で呟いたのだがひめかわにその呆れ声が届くはずもなかったし届いたところで正確に意味を捉え得ないであろう。そのことはひめかわ自身を救いもしたがその実オージをも救っているということに両人気づいていないところが畏れ多くも既になんらかの神の加護を受けていた。
 早々に参拝を切り上げた兄達が追いついてひめかわの襟首を掴み軽々とオージから遠ざける。
「寒くはないか。オージ?」。
 充分に防寒性の高いファッション(何故なら出掛けに衣装を調えたのは質問者に他ならないため)に身を包んだ弟に、生まれながらの金髪と琥珀の瞳を持つ綺麗な顔立ちの男が問えば。
「どっか静かな場所で休憩でもするか。オージ?」。
 褐色の肌に黒い髪と目を持つ、こちらも端正な容貌の男が提案をする。
 新春の人手はいうまでもなく年間で最多の本日であるが、この人数の中にあってもなお、小柄の弟を決して見失うことのない二人の兄の深刻なまでに根深い親感情へ感じる驚きと頼もしさを、後ろを歩くひめかわは改めると同時に、自分自身の中にも、そのような光景を目にするにつけかつて感じていた疎外感や寂寥感や己自身へのふがいなさといったマイナス感情ばかりでなく、憧れや羨ましさやそして何よりそれを幸福なあり方としてとらえるようになっている、前向きな変化を感じ取っていた。
 両隣を長身の兄に挟まれたオージは双方に気を遣ってせわしなく右上と左上に顔を向けては首肯したり否定したりを繰り返している。その目は分厚いめがね越しにも黒く輝いて見え、多少無理強いをしてでも連れ出してよかったとひめかわは思った。もっとも、オージをこのような場所に連れ出すにあたり左右を固める二人の兄への報告連絡相談は欠かせなかったし、結果として彼らは当然のごとく予想通りに「我々も同伴する」と言い出した。
 それでも念のためにとオージの顔にかけられためがねはいざという時は凶器になるほど分厚い。あるいはかなり個性的なファッション道具と見るか。蔓をかけた耳が疲れないか、鼻梁が変形しないかとひめかわは相変わらず気が気ではないが、あの兄達が使用を阻止しないところを見るとそのあたりの心配は杞憂だろう。本来の目的は「不足した視力を補う」ことではなく、「顔を隠す」ことにあることを考え合わせると、その不恰好なめがねはめがね風情ながら立派に与えられた役目を果たしているといえる。もっとも、とひめかわは心中で付け加える。何らかの隠蔽が施された箇所にこそ興味を引かれる人間もいる、と。ほんの数年前、乗客が他にいない通学電車の中、めがねの下の素顔をしきりに見たがったのは自分だ。その度にオージは手負いの小動物が圧倒的にヒエラルキーが上層にある捕食者に向かって全身で威嚇する光景を彷彿とさせる威嚇レベルと必死さで何度も無害なひめかわを拒絶した。いや今の文章には僅かな語弊があったかも知れない。ひめかわは無害ではなく無能だった。下心は確かにあったのだから。
(おれもレベルアップしたよなあ)。
 前を歩く三人から徹底的に蚊帳の外に締め出されているにも関わらずひめかわは満たされた顔で一人頷く。“白猫”の異名を持つほうの兄はかつてひめかわに露骨な敵対心をむき出していた。とりわけ。今も完全に認められたとは思わないが、攻撃はそこそこやわらいでいる。ばかりでなく、頻繁に釘を刺されるまでに権利の委任がいくつかあったことも確かだ。最大の委任は一昨年の春から始まった同居生活だ。ひめかわの兄、湊が進学のため家を出て、空いた部屋にオージがやって来た。同じく進学のため県外に出て行ったオージの兄兼父兼母兼執事兼SPであるところの白猫黒猫コンビすなわち信哉と光の両人が一人残されるオージの身を案じて姫川家に白羽の矢を立てたためだった。白羽の矢と云えどもひめかわにとってその提案は願ったりかなったりであり、問題といえば主に信哉から求められる報告を継続するところにあった。ひめかわの友人達は口を揃える。「ありえねえ」と。だがひめかわにとってそれは苦ではない。オージと出会って共に過ごす間に、信哉を知る機会も増え、やがて感じたのかも知れない。
(オージだけではない。このひとも色々と辛いのだ)。
 最初にゼロから始まらなくて良かった、とひめかわは思う。そこが良かった。そうでないと今この達成感にも似た心の充実は得られなかったろうから。
「おい。何ぽやっとした顔してんだ」。
 その低い声でひめかわは我に返った。
「あ、はいっ。すいません。ぽやっとしてました」。
「これから昼飯にするけどひめかわは何が良いか」。
「えっと、あったかいもの」。
「あったかいもの、か」。信哉は形の良い顎に手をあてた。片眉を持ち上げて、光に目配せする。
「鍋だろ」。光が返答する。
「鍋と云えば?」。ひめかわに視線が戻って来た。
 四人の間でそれぞれの視線が一周する。
 誰から云い出すでもなく、せえの、と掛け声がかかったように一斉に口を開く。
「キムチ」。
「水炊き」。
「豆乳」。
「すき焼き」。
 見事に割れた。
「誰だ豆乳って」。
「すき焼きは鍋に入るのか?」。
「いや鍋だろ」。
「ぽん酢は水炊きの内に入るんですか」。
 ふむ、と四人はそれぞれの顎に手をあてた。
「多数決にするか」。
 光の提案にひめかわが抗議の声を上げる。
「おれに不利です!」。
 どうして不利なものか、との信哉の問いかけにひめかわが即答する。
「お二方は間違いなくオージ案を支持するでしょう。結果の分かりきった多数決なんかしたくないですっ」。
「珍しくひめかわが食い下がる。面白いこともあるもんだな」。
 信哉が目を見開き、光が「じゃ、他にも誰か声かけてみるか」と提案する。ひめかわは嬉しそうに頷いた。
「そうしましょう!」。
 一時間後、初詣組の四名に後発の五名を加えた計九名は料亭の座敷で鍋を囲んでいた。
「思ったより集まったな」。一堂を見回し信哉が呟く。
「だって他の用事を切り上げてきたんだもんね。新年早々、のしてきたっ。あー、すっきりした最高っ。あ、自己紹介だっけ? 桐谷コウ。通称ニコ。好きな食べ物は砂糖です。これでいい?」。ニコは主催者に返した。爽やかな口調の中に不穏な響きが混じっていた気もするが誰も言及しない。あどけない笑顔に返り血のような点々がいくつか見受けられるがあれはトマトジュースに違いない。
「おめでとうございます、松橋です。エースは彼女と朝寝で来れないらしいです」。実際、もっとも用事が無さそうな松橋が虚ろな目で鍋の中のえのきだけの丸い先端の数を数えている。晦日から寝泊りしている親戚の幼女にいいようにされたらしい。腰が痛い、とぼやいている。もちろん、お馬さんごっこだ。純粋に。とても年下かとても年上からは人気の松橋だった。中間層の支持者が薄いことが目下の悩みである。
「いや、あの、すいません、なんかこんな立派な会合に混ぜてもらっちゃって。南高の宮野って云います」。落ち着かない仕草で頭を掻いたのは宮野暁。今日が初対面の人間も多いが、どこかひめかわにも似た万人受けオーラで違和感無くこの場におさまっている。向かいに座るのがかつて東西南北の四校に悪名あるいは名声を轟かせた東高の前生徒会長であった響信哉ならびに西高前生徒会長であった倉木光であることを知り、平常を装いながらも好奇心を隠し切れない。先ほどからかっこいいなあかっこいいなあと呟いている。欲しいおもちゃが飾られたショーウインドウにへばりつく男児と同程度のあからさまにして他意の無い視線でもって。
「え、会合なの?」。宮野暁の隣で優雅に微笑んだのは柴崎茜だ。泣きぼくろが艶かしい。「楽しそうだね。会合って響き」。
「永崎真。全員と面識あったと思う」。
 おっとりと喋る柴崎茜の隣で無表情とも仏頂面ともとれる表情をたたえていたまこっちゃんがかぶせるように自己紹介を済ませた。
 来てくれたね、とひめかわが笑顔を向けると、
「おごってもらえるって聞いたから」。
 前を向いたままぴしゃりと云った。
 その言葉で初めてひめかわが、
「えっ。これ、割り勘じゃなくて良いんですかっ」。
 気付いた。
「嘘。そうなのか?」。
 光まで首をかしげたところを見ると、出所は信哉ということになるのだろう。全員の目が、中央に坐した人物に集中した。
「ああ。食え。お前ら、仇のように食えよ」。
 どこか嗜虐的な色合いの瞳が促すと場はどよめいた。
「おれ、ここで一回しか食べたことねえ」。松橋が寒がるように肩を抱く。「親と来たことがある」。遠い記憶なのだろう。
「トッキーの部下と来たことあるなあ。一部屋貸し切って」。ニコがさりげなく呼ぶトッキーという友人は正真正銘その道の人物だが他のメンバーが知る由も無い。
「信哉さん、大丈夫なんですか?」。
 ここはもしかすると最年少が気を回すべき場面なのでは、と宮野がそれとなく割り勘をほのめかすも返ってきた答えは「気にするな」という一言だった。短くあっさりとしたものだったが「そうか気にしなくていいんだ」と心底思えてくるから不思議だ。信哉に断言されると根拠を明かされなくとも納得してしまう。
「あ、じゃあ、次おれの番っ。えっと、姫川一馬です。さっき引いたおみくじ大吉でしたっ。今年一年もオージと仲良く力を合わせていろいろ頑張っていこうと思いますっ。はい、次オージの番っ」。
 ここは結婚式会場か、と松橋がつっこみ、まこっちゃんの目がギンっ、と一瞬光った、のを、柴崎だけが気付いて苦笑した、様子を、宮野はぽおっと頬染めて見惚れた。その頃ニコは湯豆腐にロックオンだ。平和である。
「オージ、です。・・・・・・えっと、」。
 名前を云ったきり黙るオージにひめかわが助け舟を出す。
「ほら、今年は、ええっと、何だったっけ? おれがさっき云ったことじゃんっ。二人で力を合わせて、ね。オージ、云ってみて?」。
 ひめかわが懸命にオージから決意の言葉を引き出そうとしているところへ光が言葉をかぶせた。
「倉木光。正月なんで帰ってきました。えー、大学では心理学を専攻してます。将来は臨床心理士を目指しています」。
 そうなのか、と信哉とオージを除く全員が頷いた。
「響信哉。建築を学んでいる。安全で、プライバシーが守られつつも同居人の気配が心地よく感じ取れるような家をつくりたいと思っている。いつかな」。
 ここでも、光とオージを除く全員が感心したように頷いた。
 自分達と一年もしくは二年しか年の離れていない彼らが具体的な目標を掲げていることに対しての反応だろう。
 オージはきゅっきゅっと目を瞑った。
 自意識過剰と云われればそれまでだが、彼らの目標はどれもオージに関係していた。意図したものでは当然無いが、自然に発生したわけでも、ましてや優しい記憶となりうるような出来事でも、なかった。決して、決して。そんな過去に端をなす、兄達の目標。辿り着く先が、悲しい場所ではありませんようにとオージは祈る。何に。この鍋に。
「数名が心配しているであろう、ここでの食事代の件だが」。
 物思いにふけっていたオージの顔をあげさせたのは、金銭問題を取り上げた信哉の声だった。
 何を知っているのか、光は笑いを噛み殺している。
「ぐつぐつしてる」。同席したライバル達の気がそれているのを良いことにこっそりと鍋に伸ばしたニコの箸が、かきん、と金属同士がぶつかるような音を立てて、次の瞬間、襖に当たった。
 ぎょっとした顔で松橋が振り返る。
「おやおや、ニコちゃん。抜け駆けかい?」。
 目にもとまらぬ早業でニコの箸を弾き飛ばした人物は光であった。
「こ、こええ。ただの鍋囲みなのにこええ・・・・・・」。震撼する松橋の隣でニコは構ってもらうことに喜びを感じる幼児のごとく屈託無く笑った。
「たはっ。なんだ、バレちゃったのかっ」。
 ってにこやかレベルの速さじゃなかったぞさっきの!
 今年こそはヘタレ返上予定の松橋が一世一代の勇気を振り絞り、鍋に箸を伸ばしてみる。
「実はおれも金は、無い」。
 かきん、と先ほどより高い音がして松橋の箸は松橋の耳たぶを掠め抜け、後方の畳の上で一瞬突き刺さったように立っていたが、ぱたん、と倒れ落ちた。
「お、お金が、無いんですね」。
 松橋は信哉の顔を振り返る。
「ああ、無い」。
 堂々と云うところであろうか。現に空腹の食べ盛り男子九名の中央では今にも箸が飛び交っておかしくない鍋がぐつぐつ煮えたぎり湯気を出しているというのに。
「じゃ、じゃあこの鍋はまさかおあずけってことは・・・・・・」。
 松橋が眉尻を下げるのと対照的に信哉の口角が片方、不敵に持ち上がった。
「いや、食うぞ。仇のように食うんだ」。
 それはさっきも聞いた気がする、と数分前の記憶をたどる松橋の耳に、信哉の次の言葉が飛び込んだ。
「金なんか、あるところからとればいいのだから」。
 平常を装っているつもりだろうがその言葉の裏に込められた黒い感情が文法を文語的にしてしまい、それがかえって松橋のような小人物の心に前代未聞の恐怖心を掻き立てるのだろう。まこっちゃんの腕にしがみつくとぷるぷる震え出した。
「お、おれ、虫も殺せないようなチキンなんですっ。銀行強盗とかそういうことはご一緒できないので以後お見知りおきをばあっ・・・・・・!」。
「正月は銀行開いてないだろ」。
「ATM強盗もご勘弁・・・・・・!」。
「常識的に考えて、そっちも無いだろ」。
 慌てふためく松橋を尻目にまこっちゃんは小さくため息をついていたが、彼とて信哉の言葉の意味を知っているわけではなかった。
「うん。悪事を働くにしては共犯者が多すぎるよね・・・・・・」。真顔で指摘する柴崎の横で宮野はしきりに頷く、「ですよね、茜さん。おれも同じように思いますっ」。
 騒然とし始めた食卓の一角でひめかわがオージに「ここ、知り合いのお店なの?」と訊ねるもオージからは何の返答も得られなかった。
 おあずけか強盗かで混乱する場内を沈めたのは問題発言者の信哉ではなかった。
「あー、あー、ごめんごめん。この子、説明が足りなくて。うちは、そういう仕組みなの」。
 信哉の言葉足らずを補うように光が主に年下キラーの笑顔プラス軽い口調で場を和ませようとする。
「お金は実家から出してもらえんの。そういう契約であの家を“自発的に”出てきてるから」。
 分かる人間には分かる説明に、ニコが肩をすくめた。
 だが大半は納得できていないようだ。
「じゃあ、云い方を変えよう。信哉はお年玉をもらったんだ。そしてそのお年玉は年中もらえるんだ。これで安心したか?」。
 光の説明はまだ一部不足していたが、こだわる者はもういなかった。そうかお年玉かお年玉なら仕方無い、というところに落ち着いていた。人間、空腹時に美味そうなものを前にして頭を使えないものである。
「いっちばあんっ!」。
 ニコの掛け声で戦闘準備万端の箸が一斉に鍋をめがけるが、見えない防御壁に阻まれて弾かれた。
 かきん、かきん、かきかきんっ、と木製の箸らしからぬ音を立てて。
「さあ、オージ。お前が一番にお食べなさいな」。
 おどけた声のする方を見れば、光の箸が捕えた牛肉がオージのタレ皿にそっと入れられるところだった。光の隣で信哉が「たまにはやるな、光」とでも云いたげに頷いている。満足そうだ。この二人が同席しているとあらば、美味しいものの一口目はどうしたって必ずオージなのだった。
「でさ、なんでこんなに集まったんだっけ?」。
 お目当ての湯豆腐を口に入れたニコがほふほふしながら云う。
「鍋だからだろ」。
 誰ともなく云い、
「うん鍋だからな」。
 誰もが頷く。
 食べ盛りの若者達は“仇のように”腹を肥やした。
 そうして過去の遺物を清算するかのように煮てまさぐって食べ尽くし飲み干してみると、新しいものは自然と始まり、恥ずかしくても悔しくても嬉しくても切なくても、ずっと同じ顔ぶれの人間とでも、生きていけるのだった。誰もが。



つづく?