第 6 回 男 子 会 !



 落ち着いている。
 冷たい。
 おとなびている。
 地味。
 これらはすべて「まこっちゃん」こと永崎真が今までの人生に他人から云われたことのある第一印象の一部抜粋だ。特によく云われることを上位四つからピックアップしてみた。それらを云われた時、まこっちゃんは反応に困る。たとえば「明るい」や「人懐こい」だったらそれほど困らなかっただろう。そこに裏がないから。余計な気遣いが感じられないから。そう、明るいとか人懐こいとか。たとえばまこっちゃんが今ではもっとも嫌い、その実もっとも焦がれるあの同級生みたいに。
 恩をあだで返すやつだとか裏切り者だとか、心の中で罵らなかったことは一日と置いて無い。会えば爛漫、話せば幸福。体が心との約束を忘れて浮足立ってしまう。ばかだ、と最後に詰られるのはいつも自分だ。まこっちゃんは、さっさと他へシフトする力のない自分の無力をばかにする。だが、現われるからだ、とも責任転嫁できる。あいつがいつもおれの前に現われるのがいけない。何も知らない顔をして、いや、本当に何も知らないで。
(おれの立場なんか、気持ちなんか、何も知らないくせに)。
 かと云って知られたらそれはそれで困る。伝わってしまったらもうそこで終わりなんじゃないかと思う。まこっちゃんの持つ天秤は水平を知らない。何かと何かが釣り合うなんてことは決して、絶対に、ゆめゆめありはしないのだ。一時的に釣り合っているように見えたとしても、日が経つにつれ、いやそれこそ分単位秒単位で必ずどちらかに傾く。それは無音無風の部屋に置いていないからとも云えるし、天秤の所有者の心の問題であるとも云える。
 離れられず、元にも今さら戻れない。
 まこっちゃんは自分のことを、木の枝にしがみつく枯れ葉と想像することがある。落ちなければいけないのに。散っていかなければならないのに。仲間はもういない。時期を知って、風に吹き落された。おれは何を期待するんだろう。何を待っているんだろう。枯れ葉は若葉に戻らないし、次には新芽も芽吹くだろう。
 おれは一体どうしたいんだろう。どうなりたいんだろう。どうすればいいんだろう。何をしたらダメなんだろう。
 溜息が洩れる。
 以上のことを数秒の間に考えていたとする。それでもまこっちゃんは表面上、落ち着いている。冷たいまでに。おとなびているとも云える。そうとも取れる。そしてそのサマは、地味。すべては表情の乏しさに起因するのだろう。気負わず作れる表情といったら苦笑と不機嫌くらい。かわいくないことは自覚済みの上でそうなのだからどうしようもない。どうしようもないってことは努力とか練習とかそうじゃない。どうしようもないって本人が認めちゃってんだから。と、まこっちゃんはたまに太陽の輝きのごとく開き直る。圧倒的に開き直る。潔い自分に勇気づけられ、次こそは、明日こそは、もうあんな裏切り者の愛されキャラには惚れたりしないんだと、自分を鼓舞する。
 が、すべては脆く瓦解する。
 観念も決意も精神上の出来事は、まだ十代をあと二年も残したまこっちゃんのような健全な男子構成にとって無意味に等しい。この時期はまだ身体が他を圧倒的に圧倒するからだ。
 なんでこうなった。
 まこっちゃんは頭を抱えたくなる。
 少し前まで部屋に自分ひとりだったはずだ。
 なんでこうなった。
 まこっちゃんのベッドには今、ひめかわが座っている。悪びれたところが微塵もない。もちろん、悪びれる必要はない。内心動揺しているまこっちゃんが勝手に「悪びれろ少しは」とひそかに毒づいているだけであって。グレーのパーカーに下は黒のジャージという、どう見積もっても完全なる部屋着で今ここにいるひめかわがまこっちゃんの携帯に「今から行きます」と身勝手極まりないものの到底断りきれない謎の庇護心を催させる素直な伝言を残したのは三十分前の出来事。予告通り玄関先に現われたひめかわはまこっちゃんの顔を見ると迷子の子供が親を見つけたみたいにふにゃふにゃ笑った。
「何の用だ、ひめ」。
「ね、入れて」。
 まこっちゃんは一度ドアを閉じ、チェーンを外すとひめかわを招き入れた。断じて同情じゃない。ましてや断じて断じて断じて、嬉しいだなんて思っていない。思うわけがない、とまこっちゃんは苦い薬を口に含んだかのように目を細める。階段を上がるとひめかわが後ろをついてきた。まこっちゃんの眼球は顔の上に二つあるだけで背中にあるわけではないがひめかわがしょぼくれているのが見えた。振り返ればきっと「だるまさんころんだ」さながらにしょぼくれ顔からぱっと明るい顔に切り替えて「えへへ、急にごめんね」なんてだらしない言葉をだらしなくない顔で云うんだろう。それを想像したまこっちゃんは振り返りもせず踵を後ろへ蹴りあげたくなる。鳩尾に唐突な衝撃を受けたひめかわが呻き声すら漏らせず踊り場まで転がり落ちればいいと思った。そんなことを考えているからまこっちゃんの顔つきは険しい。尻と後頭部をしたたかに打ちつけたひめかわが薄茶色の大きな瞳を忠犬が飼い主を見上げるのと同じひたむきさで見上げて、それでも彼には言葉があるから問うだろう。なんで? と。そしたらまこっちゃんは答えてやるのだ。あまりにあっさりと云い放つのだ。放ってやるのだ。「そうしたかったから」。放ってやりたいのだ。
 放って、やれたら、どんなに。
「何飲む?」。
 自室のベッドにひめかわを座らせ、まこっちゃんは一人一階へ戻ろうとする。
「何があるの?」。
 ちょこん、と正座したひめかわの下にある毛布は今朝まで自分がくるまっていた毛布と同じなんだ、とまこっちゃんはどうでもいいことを意識した。
「はあ、飲むのかよ。少しは遠慮しろ」。
「え、だってまこっちゃんが何飲むって訊いたんじゃんっ」。
「緑茶。水。ココア。ココア。ココア。どれが良い」。
「えっ。えっと」。
「分かった」。
「まだ云ってないっ」。
 きっと飲みたかったんだろうな、とひめかわは思った。まこっちゃんの好きな飲み物くらい把握している。どこへ行ってもココアだ。
 今日もまこっちゃんはまこっちゃんだなっ、とひめかわは正座した膝を毛布の上でパフパフした。
 しばらく経つとまこっちゃんが湯気立つマグカップを二つ手に戻ってきた。
「あ、あのカップだ」。
 ひめかわが受け取ったのは緑の背景にパンダのイラストが描かれている。何年か前、文庫本についている応募券を集めて送ったら送られてきた。まこっちゃんの人生で当選した初の懸賞だった。
「なんで知ってんの」。
「え、前もここで飲んだことあるよ」。
「そうだっけ」。
 まこっちゃんは首をかしげながら勉強机に向かった。休日の午後、アポ無しでひめかわが来た以上もはや勉強なんて続けられないだろうから参考書と問題集を閉じ、椅子の背もたれに体をゆっくり預けてココアに口をつける。粉末の分量、お湯を入れる線はこれまでの試作品から導き出された黄金比率を守っている。うん、うまい。まこっちゃんは自ら淹れたココアに納得して頷く。
「そんな前のこと、忘れた」。
 まこっちゃんの顔が、傾けたマグカップの陰に隠れる。ひめかわが「しょんぼり」と口に出して云う。
 ばかなやつだ。
 まこっちゃんはココアの香りのする溜息を、マグカップの中で吐く。ただの呼吸みたいに。いや、それですらないみたいに。
 忘れているわけがない。初めてそのマグカップでココアを飲ませた時、ひめかわは云ったのだ。まこっちゃんが淹れてくれるココア、今までのココアの中で一番おいしいっ。西高に入学して間もない頃だったか。卸したての制服は誰の体にもまだ馴染んでいなかった頃だ。早速、授業につまづいて試験勉強で四苦八苦していたひめかわを誘ったのは、まこっちゃんだ。あの頃はまだまこっちゃんにもひめかわを誘うだけの余裕があった。今となってはどうしてそうだったのか思い出せないが人見知りが激しく消極的だったひめかわは、何をするにもまこっちゃんを頼った。頼られたまこっちゃんも悪い気はしない。後になって思えば分かることだが、あれはまさしく快感だった。頼られる快感。突き放しても許されるという快感。唯一であるという快感。まこっちゃん、まこっちゃん、と呼びかけてくるひめかわのことを、表情に乏しい顔で振り返ってもなおひめかわが呼びかけてくる側であることに変わりはないということを、自分がそれを知っているということを知っている、快感。
 ばかはおれだ。
 日が経つにつれひめかわはクラスに打ち解けた。人格なんて環境なんだ。まこっちゃんはひめかわの変貌ぶりを初めは興味深く、後半はどこか冷めた目で見るようになっていた。今だけだ、今だけだろう、と、小さくいじわるな呪いをかけるみたいに。今に元に戻る。今に泣きついてくる。まこっちゃん、まこっちゃん、って。
 昔から、カンは、外れるほうだ。
「その格好でここまで来たのか」。
 まこっちゃんは思う。寒かっただろ。
「まこっちゃんに会いたくてっ」。
 まこっちゃんは思う。嘘吐き。
「はいはい。で、オージくんがどうしたの」。
 まこっちゃんは思う。おれはいいやつすぎるんじゃないか。
「さすが、まこっちゃんっ」。
 まこっちゃんは思う。当たり前だ。
「ひめが何かある時って大抵オージくんがらみだろ」。
 まこっちゃんは思う。墓穴を掘るような質問をする癖はやめたい。
「うん、最近おれオージのことしか考えてないからっ」。
 まこっちゃんが思う。今おれがこいつ一発全力で殴るくらい、横で神様が見てても止めないんじゃないかな。
「あ、そう」。
 まこっちゃんは動く。マグカップを持つ手を変える。
「朝、起きたらオージの元気が無くてさ。あったかいから畑の様子見に行こうって誘うんだけどぜんぜん布団から出てこなくてっ。丸まってるから熱があんのかなと思ったら、違う、とか、あっち行ってろ、とか云われるけどすごく心配で、だってオージ、髪の毛ぐしゃぐしゃにしてたし、うなされてるみたいにウンウンしてたから心配で信哉さんに電話したらニコを呼べって云われたからニコ呼んだらニコが救急隊員並みに参上して事情を話したら、ああわかったあれが来たんだね、ってオージをタクシー乗せてどっか行っちゃたから」。
 まこっちゃんは思う。ニコが対応するということは過去の事件のフラッシュバックか。それにしてもひめかわはまだ何も知らないのか。
「朝起きたら、って、もしかして毎日一緒に寝てんのか?」。
 まこっちゃんは思う。墓穴を掘るような質問をする癖はやめたいのだがな。
「えっ、まさか。起こしに行っただけ」。
 まこっちゃんは思う。どうしておれは安心してるんだ。
「で、それで?」。
 まこっちゃんは思う。
 オージくんの姿が消えてしまって暇だからおれのとこへ来たわけか。
 埋め合わせか。
 よかったな、ひめ、まこっちゃんは便利だな。
 おいしいココアも淹れてくれるし。
 二階まで持ってきてくれるし。
 ベッドに座らせてくれるし。
 話も聞いてやるし。
「・・・・・・おい、この部屋で飲んだココア全部出せ」。
 何でっ、とひめかわが肩を震わせるが、それくらい云っても良いだろう。
「はあ。ひめ。おれはいやな奴になったな」。
 体内にしみたココアが熱をあげてかたくなな部分をほぐしてしまったんだろう。まこっちゃんは自分の中にいいわけを用意してから口を開く。誰かが操っているとしか思えない。こんなこと、云うつもりはないのに。
「まこっちゃんは全然やな奴じゃない」、ひめかわが首を横に振る。
「それは、ひめがおれのこと何も知らないからだよ」。
 さりげなく云ったつもりだった。ひめかわが硬直したのを視界の端で認めて初めて、あれっ、と首をかしげた。あれっ、何かまずいこと云ったのかな、おれ。
 まこっちゃんはやや焦る。だがまこっちゃんは表情に乏しい。満足に作れる表情といったら苦笑と不機嫌くらいなので、誤解をとくことも、たとえばまったく別の話題でひめかわの意識を削いでしまうことも、できはしないのだ。人見知りするひめかわが学級という、果ては学校という集団の中に自ら入っていき、誰からも愛されていく人気キャラクターになるのを、黙って傍観しているしかなかったみたいに。マネージャー。ジャーマネ。おれってマネージャー。おれってジャーマネじゃん、邪魔ね。まこっちゃんの頭の中に同じ単語が並びを変えて入り乱れる。中には駄洒落めいてしまったものまである。まこっちゃんは珍しく錯乱しているのだ。人気アイドルの陰に敏腕マネージャーあり。果ては謎のタイトルまで完成してしまった。
「・・・・・・おれ、まこっちゃんのこと何も知らないの?」。
 傷ついた気持ちを隠そうともしない表情を浮かべるひめかわをまこっちゃんはずるいと思ったから残酷に頷いた。
「ああ、知らないね」。
 一線を越えてしまったと思った。それからあとはもう止まらない。
「ああ繰り返すがひめはおれのこと何も知らないね、だってひめはおれのこと友達だって思ってんじゃん、なんでも話してくれるし一緒にいてくれるし今だってこうしてこれまでと変わらずおれの部屋に押し入ってココアとか平然といただいてんじゃん、そういうのおれほんとありえないと思うんだよね、何がありえないってほんとに鈍いんだなって思わせんだもんひめは、自分がどんだけずるい男か分かってんのかよだいたいおまえは裏切り者なんだからな、おまえなんかほんと一生日陰を歩いて周りの人間に同じ酸素いただいてすいませんって謝りながら生きていけばよかったものをもともと持っている素質が良かったがために人並み以上の愛されキャラになりやがってそれでもおれのこと友達とか思ってて、おれからお前はおれのこと何も知らないって云われてそういう顔するかフツー? ひめはほんといいやつだよおれ自分がひめだったらまこっちゃんとかいう性格悪いやつとはもう付き合わないようにするけどなだけどそれしないのってやっぱお前がひめっていうか姫川一馬だからで、おれがお前をみてそうはなれないなって思うのはおれがやっぱり永崎真だからでどうしようもないんだけどだからっておれひめが自分以外のやつに神経向けてるとこなんか平然と見てられるほどはお前が期待する永崎真じゃないんだよってことはもういろいろ限界なんだよお前が誰からも好かれてんのは我慢できてもお前が誰か好きになってんのとかおれにとっては本当にきついんだよなのにお前はそんなこと気付きそうもないしおれも気付かせるわけ永遠にないしだからおれの言い分はどう見積もってもいいがかりに過ぎないしひめは何も悪いとこなんかないんだ実際な、たとえばおれはお前がこの部屋を出て行ったあとこう考えんだよ、じゃあおれもオージくんと同じ目に遭ってたらよかったのにな、ってそんくらい自然と考えてしまうんだよ、オージくんはあれ絶対相当耐えてる、よく持ちこたえてるほうだよ、信哉さんとか過保護のうちに入らねえよだってオージくん勉強追いついてんじゃん東高に入っちゃって大学も受験するんだろあれ絶対普通の人間にはできないと思う、普通ってのは永崎真を基準にしてんだけど、だからおれオージくんがただオージくんであるってだけでひめの関心を集めてるとは思ってないいくらおれでもそれほどばかじゃないしもしオージくんと同じ目に遭ったらオージくんほどまっすぐ立ってられないと思うしそういうの全部分かってんだけどでもやっぱりおれどうしてこんなぐじゃぐじゃなんだろどうしたら楽になれんだろ楽になった後に何が待ってんだろおれ、あーあ、あー・・・・・・はあ」。
 などとは、云わず、まこっちゃんはふいに笑顔になった。
 自分では「無理がある」と思いながらも、ひめかわの目に映ったのは正真正銘、まこっちゃんスマイルだった。
「おれは幸せになるからな」。
 その言葉にひめかわが、きょとん、と目を丸くする。まこっちゃんは気にせず続ける。
「おれが幸せになったら、教えてやるよ。ひめが知らなかったおれのこと」。
「全部?」。
「うーん・・・・・・そうだな、全部」。
 なんという無茶設定。
 なんという自己完結。
 我ながらほとほと呆れる。
 ひめかわがおれの全部を知るのはいつのことになるだろう。
 まこっちゃんは苦笑する。
 きてもこなくてもいい日だ、そんなの。
「ココアおいしいだろ」。
「あ、うん。おいしいっ」。
 ふられた話題にすぐ反応する素直さがひめかわの扱いやすさの理由その一であることをまこっちゃんは知っている。
「おれが作ったからだよ」。
「うん、まこっちゃんが作ったからだとおれも思うっ」。
 ばーか、ばーか。
 おれもお前も。
 この部屋はばかばっかではないか。
「まこっちゃんのココアはおいしい」。
 繰り返すひめかわに、そうだろうそうだろう、と偉そうにのけぞって、何故っておれがひめに作ったからだ、とまではまだ云えないまこっちゃんの春は遅れても必ず来るだろう。これでいい、と今のところはなんとか云えるまこっちゃんの両手から、魔法みたいに湯気がのぼって冬の光はひめかわの屈託無い笑顔に射した。
 それを見てまこっちゃんは、秘密を抱えることも楽しいかもな、なんて思ってしまう。いつかぼろぼろになっても、お前を見捨てられないおれがいるお前は幸せなやつだってことも、いまここにいるひめかわにとってはまだ、ココアがおいしいまこっちゃんの秘密のうち。おめでとう。



つづく?