身長172センチ。姫川一馬。通称「ひめ」。
今年のチョコ獲得数23個。
身長152センチ。宮沢大路。通称「オージ」。
今年のチョコ獲得数、ゼロ。

(調査:チョコレート・パニック委員会)


popstar train




 目を覚ましたひめかわは自分の部屋の薄青い天井を眺めながら「夢か」とつぶやいた。
 珍しいことに寝汗をかいている。
 暦の上では春だが朝の空気はまだ冷たい。庭の鶏が元気良く鳴いている。階下では母の峰子が野菜を切る音が聞こえてきた。
「夢か」
 ひめかわは同じことを繰り返しつつ毛布の中にもぐりこむ。
 中でごそごそする途中で勢い良く顔を出し「しまったっ。溶けたあっ」と叫んだ。

 敷布団の上にうな垂れる一人の高校生男子。
 彼の膝の間にはピンク色の箱がおさまっており、中でチョコが溶けていた。
 昨晩ひめかわはオージから「もらった」チョコを喜びのあまり抱きしめて眠ったのだ。
朝起きてどろどろになってしまうだろうことは誰にも分かるだろう。犬にだって。猫にだって。
(そんなことさえ分からなくなっていたなんて)。
 途方にくれたひめかわは膝を抱えて泣いた。
 子どものように。
 しばらくすると峰子が上がってきて理由を訊ねたが、ひめかわには答えることができなかった。
(ただ、かなしい)。
 子ども時代を過ぎてもそんな理由で泣く日が来るなんて、16才のひめかわは予想だにしていなかった。


 7時10分発の電車の中でひめかわは、ゆうべから今朝にかけて見た夢の内容を思い出していた。

 出演者はオージだ。
 ただしそれは現在の姿ではなくもっとずっと昔の、ちいさなオージだった。
 ひめかわはオージを斜め後ろから見ているがオージがひめかわに気づく気配はない。
 日が暮れ夜が来た。
 星が出た。
(誰かを、待っているのだな)。
 ちいさなオージは、その相手はもしかするとこの場所へ来ないかもしれないという場合の可能性などちっとも考えていないふうだった。
 よってひめかわはその視線の先を辿って行くことにした。
 夜が明けて朝になった。
 靴が破れてつま先に血がにじんだ頃、ひめかわはようやくある場所にたどり着いた。
 にぎやかな街だった。
(オージの待っているひと、探さなきゃ)。
 やがてひめかわは一人の少女を見つけた。
 つやつやの、黒い髪。
(みつけた!)。
 少女はフリルのたくさん付いたスカートをはいていた。これからピアノの発表会にでも出るような格好だ。
 その顔がゆっくりと振り返る。
 最初に顔の右半分が見えた。
 ひめかわは小さく声を上げた。
 それから少女が完全に振り返ったとき、ひめかわはもう声も出なかった。
 来た道を走った。
 走って走って走った。
 ふらふらの状態でひめかわはオージのいる場所へ戻った。オージはまだそこにいた。そこにいて、やっぱり一定の方向を眺めていた。
 その顔はさっきひめかわが見た少女に酷似していた。
 ただひとつ、少女の顔左半分と白いスカート、彼女の流す赤い血で濡れていたことを除けば。



 電車の扉が開く。
 乗り込んできたオージを見つけてひめかわが「きゃっ」と声を上げると気づいたオージは露骨に嫌な顔をした。
「おはよ。オージっ」
 返事はない。
 ひめかわは強引にオージの隣に座った。
「どいてくれない?」
 ついに痺れを切らしたオージがこれ以上はないというほど不機嫌な声でひめかわに告げる。
「え、いやだ」
「じゃあ、おれがどく」
 オージはそう云うと席を立ち、離れた席へ移ってしまった。
 ひめかわはその後を追いかけようとし、断念した。少し距離を置いて様子を窺う。
 車両には二人のほか誰もいなかった。
 電車は40分ほどで中央駅へ着く。
(ならばせめてその40分だけでもみつめていよう)。

「きもちわるいんだけど」
 オージは我慢しきれなくなったように顔を上げ、広げていた本を閉じる。
「え、きのうのチョコレート? おれからじゃねえって云ってんだろ。だいたいなんで男が男にチョコレートやるんだよ。ま、おれが女だとしてもあんたみたいなチャラチャラした感じのはお断りだな」
「なあ。おまえどうして素顔を隠すんだ?」
 ひめかわの唐突な質問にオージは口を噤んだ。
「理由はいろいろあるのかも知んないけど、もったいないよ。顔、きれいなのに」
 その言葉に一瞬ぽかんとしたオージは戸惑った時の癖なのかめがねの縁を持って揺らした。
(割と、すなおなんだろうな本当は)。
 ひめかわはうれしい気持ちになる。
「めがねも髪も、わざとなんだろ? なあ、どうして?」
「なんであんたに教える必要があるんだよ」
「え。気になるから」
「……死ねよ、ばか」
 ひめかわは思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
(か、かわいすぎるっ)。
「友達になりたいんだ。ほら、こっちから乗るのっておれとお前くらいじゃん? 知ってた?」
「知ってたら何だってんだよ。だいたいおれの名前はオマエじゃない。ミヤザワオージだ、覚えとけ、ばか」
 勢いでそう云った後でオージは後悔の顔つきをした。
「そっか。やっぱオージって本名だったんだ。おれは、姫川。姫川一馬」
「……きのうも聞いたし」
 誘導され本名を教えてしまったことがよっぽどショックだったのかオージの声にはさきほどまでの元気がなくなっている。
 俯いて目線を床にさまよわせ始めた。心なしか顔色も悪い。
 ひめかわにも思い当たるところがあった。
「いいじゃん。べつにおかしな名前じゃねえじゃん。むしろオージとかかっこよくてうらやましいし。おれなんか、姫だぜ、姫。名前と外見が一致しないのなんのって。今のクラスじゃそれもネタにしてるんだけどな。通称、ひめ。よろしくな、オージ」
「……軽い」
 オージが吐き捨てるように呟いた言葉をひめかわは聞き流した。
「でもさ、おれたちっていいかんじだと思うなあ」
「何それ。ナンパみたい」
「うん、それ」
「断る」
「めげないもん」
「……めげろ、ばか」
 むげに突っ撥ねられたひめかわは、あああ、と嘆きにも似た声を上げた。
 体を前に屈め、ぎゅっと力を濃縮した後で、ばあっと顔を上げた。
「かわいいっ、オージ、ちょうかわいいっ」
「ちょ、寄んな、ばか」
「ばかばか云って無視しないとこがかわいいっ」
「はああ? どうでもいいから離れろ」

 ひめかわはオージの隣へダイブするがオージはそこから遠ざかる。
 するとひめかわはまた、犬がボールを追いかけるように、オージのほうへと移動する。

 つい最近まで静かだった車両内はこの日から悲鳴と奇声が絶えないにぎやかな車両となった。
 線路脇に緑が生えてきたのを眺めながら白髪の車掌さんが「春ですねえ」とひとりごちた。


090221