放課後、ひめかわの足は自然とドーナツショップに向かっていた。
駅前公園が見えるカウンタ席に松橋の姿を見つけるとその隣に座る。

「……なあ、ひめ。おれたちって、きもちわるいくらいここの常連だな」

そうだな、と返事をしたひめかわの隣には念願のハニィシッポが、ちょこん、と腰掛けていた。
今朝、ようやく溜まったポイントと引き換えに手にしたものだ。
学校では散々からかわれたが最終的には通常通り「まあ、ひめだから仕方ないか」で落ち着いた。
みんないい加減にひめシンドロームから目を覚ませよ、と冷静に傍観していたのはまこっちゃんくらいだ。そう云うまこっちゃんに限ってひめかわに対する中傷に敏感なのも通常通りだ。

「今日は夏のお嬢さん見れた?」

ひめかわの質問に松橋は「いや」と首を横に振った。
雨粒がガラスにぶつかり、ばちばちと音を立てる。
こりゃさすがに傘買わないと、と思ったところで雨足はいきなり遠のいていった。
お、とひめかわが姿勢を正す。
なんだ虹でも見えたか、とひめかわの視線の先を辿り、その人物を確認した松橋は勢いよく立ち上がった。
一方でひめかわもハニィシッポを脇に抱え、立ち上がったところだった。

「……お嬢さんっ!」
「……オージっ!」

ふたりは顔を見合わせ、いやいや、と相手の前で手を振った。

「どう足掻いてもお嬢さんだろ」
「おれがオージを見誤ると思うなよ」
「ひめの云ってるオージってのは男だろ。あの服はどう見ても女物だ」
「女装癖があったっていいだろっ。人間いろいろだっ」
「じょそうへき……? え、そうなの?」、松橋が驚いて目を見開く。
「そうかもしれなくてもいいだろっ」、ひめかわの発言はとてつもなく曖昧だった。


シ ー ク レ ッ ト ・ シ ッ ポ B




雨上がりの駅前はやや混雑気味だった。
ひめかわと松橋は肩を前後させながら先を競い、ようやく目標物に追いつくとばらばらに叫んだ。

「……お嬢さんっ!」
「……オージっ!」

自分が呼ばれたらしいことに気づいてゆっくりと振り返った人物の顔は、風に吹かれて落ちた帽子の陰にちょうど隠れて見えなかった。
見えたのは振り返った際に翻った黒髪。
ただ、それだけ。
あっ、と声を上げるふたりよりも早く、別の手が横から帽子をキャッチし、その姿が夏のお嬢さんとの間に立ちはだかった。
見えないぞチクショー、と口を揃えて抗議したひめかわと松橋は男の着ている制服が東高のものであること、それから、その人物が自分の知っている人物であることに驚き仰け反った。

「し、信哉さんっ」
「なっ、ひめ、おまえ、このひと知ってんの」
「……う、うん。ちょっとな。オージ繋がりで……って、松橋はなんで?」
「東高の生徒会長だろっ。有名人っ」
「え、まじでっ。信哉さんって有名なのかっ?」

西高生のこそこそ話が盛り上がっている間に信哉は帽子の形を整えると自分の陰に身を潜めている少女に手渡した。
少女は無言で受け取った帽子をしっかりかぶり、今度は風で飛ばないよう両サイドを耳の上に押さえつけるようにして俯いた。顔がほとんど見えなくなってしまった。

「何をごちゃごちゃと喋っている」
信哉に突っ込まれたふたりはびくっと直立不動の姿勢をとった。
ひめかわがおそるおそる、
「あ、あの。信哉さんの後ろにいるのって、オージ、ですよね……? オージが、えと、その、あー、女装、してんですよね……?」
ああん、と信哉が好意のない見下し方をする。
(怖っ。エリート高の生徒会長、タチ悪……っ!)。
ひめかわの足の裏から頭のてっぺんまで電流が走った。
よし次はおれの番っ、と松橋が大きく息を吸い、
「あ、あのっ、自分はっ、西高の松橋っていうんですけど、実はそちらのお嬢さんに一目惚れしてしまいましてっ、ぶしつけは重々承知ではありますがっ、よろしければお名前だけでも伺えればと思いましてっ」
強敵を前に積極的に攻めていく松橋。
ひめかわは、つい先ほどまでの対立を忘れて心の中でエールを送った。
(がんばれ、まつばせ、がんばれまつばせっ)。
「オージ? お嬢さん?」
しかし信哉は松橋の言葉を最後まで聞くことなく、
「でも、どっちの場合でも、おれのだよ?」、恋する西高男子二名を一瞬にして黙らしめたのだった。


一目散にドーナツショップに出戻ったひめかわと松橋の背中には男のプライドなどといったものは微塵も感じられなかった。あるのは二乗分のへたれオーラばかり。この場をエースが見たらさぞかし嘆いたことだろう。
でもアレは仕方ないさもなきゃまとめて殺されてたっ、と松橋が云うとひめかわも腕の中のハニィシッポに顔を埋め、
わかるソレちょうわかるもう仕方ない今回は仕方ないっ、とジタバタを繰り返した。
が、しばらくして落ち着くと、
「……ま、なんていうか、決定的に足りないって感じだな、おれたち」
「あー、マリオで云うところの緑キノコみたいな要素が」
「……うん。緑キノコ。そうだな」
「今の、意味、なんとなく分かった?」
「うん、なんとなく」
なんとなく締まりの無い反省会だった。要はいつも通り。


「……なんであいつら相手に張り合っちゃったんですか」
車の助手席で帽子を深くかぶったまま、女装姿のオージが唇を尖らせる。
女顔と云うよりは童顔なのと身長が低いのとあとは着ている物の効果によるものとでオージは立派に「お嬢さん」だった。あと三年もすればこの格好は無理が生じるだろうが今のところ誰の目にもオージは中学生くらいの女の子に見える。現に松橋は恋にまで落ちている。その点、ひめかわが正体を見破ったことに関しては信哉もオージも内心驚いていた。
「悪い。おれにもよく、分からない。あいつら見てたらなんか、いらっときた」
「……ぶっ」
「何がおかしい」、信哉は頬を引き攣らせる。
「いいえ、べつに」
「良いから云え」
「……おれにもよく、分かりません」
窓の外を眺めていたオージが口に手をあてた。
それでも堪え切れなかったのか、ひさしの両側を耳にあてるようにかぶり、その表情を隠す。
咳払いした信哉は「参ったな」と呟きながら、本当にひさしぶりに聞いたオージの笑い声に涙が出そうなくらいだった。

「まあ、なんだ……夏休みのアルバイトの件だが、してもいいぞ」
「……え?」、オージは帽子から手を離すと信哉の顔を見上げた。
「バイト、してもいいって云ったんだ」
「どうしてですか?」
「何だ、したくないのか」
「……そういうわけじゃ」
「ひめかわの親戚の所なんだろう」
「……あ、まあ」
どうやら冗談を云っているわけではなさそうだ。
昨夜まで頑として「認めない」の一点張りだった信哉にいったいどういう心境の変化があったのかオージは怪しんだが、その答えを見つけることはさほど重要ではないと気づき怪しむことをやめた。
「その代わり、条件がある」
「……条件?」
オージは体にシートベルトの抵抗をやや感じるくらいに身を乗り出した。
信哉は頷き、
「やめたかったら、すぐやめろ」
大真面目に告げた。
「いいな?」
「はい……ありがとう、ございます」
ぺこりと頭を下げたオージは、数日間保留状態の雇用契約書が明日とうとうひめかわの手に渡る瞬間をイメージし、なんとなくいらっとした。

建物の間から虹が見えた。

信哉が、夕食はおれの所で食うか、と云い、オージの返事を待たず車を向かわせる。
オージにその提案を拒む理由も感情もありはしない。
はい、と返事をしたそばからオージは食べたい料理の名前をどんどん挙げていき、信哉はそのわがままを遮ろうともしない。

一時間後、望みはすべて叶えられる。


090628
あれが女装ならおれオージいけるってことになってしまう。よってあれはオージではない。うん。……まちがってないよな、おれ! (by 松橋)