駅へと走らせる車内で信哉は携帯の画面を確認する。
もう何度目か。
(小町が亡くなってからずっとだ)。
弔いは宮沢家の住人だけでしめやかに行われた。
非嫡出子の信哉は座敷に通してもらえなかったが、大路は自らの意思でその場に不在だった。
宮沢家には女系の慣わしがある。
小町亡き跡を継ぐのは長男の大路ではなく、大路にとって叔父にあたる一家の長女となる。
もっとも当時十四歳だった信哉はそんな慣わしなど知らず、大路が来ないのはマスコミの取材を避けるためだろうと勝手に解釈していた。一族もそれを懸念して密葬を選んでいたためだ。
しかし、翌日発売の週刊誌にはもう宮沢門閥の不幸が掲載されていた。
学校帰りのコンビニで週刊誌を立ち読みした信哉はそこに実態と異なる宮沢家のエピソードや、小町の日常生活がさも本当らしく事細かに書かれていることに驚いた。小学校の卒業アルバムの写真も出回った。
大路はその時通っていた私立中学を一週間ほど休学した後、退校した。
事件のあった日、信哉は小町と喧嘩をしていた。
ワイドショーで死亡推定時刻を知り、自室に戻ると、あの日から開いていなかった携帯電話の画面を開く。
事件当日の不在着信、一件。
推定時刻のわずか数分前。
意地を張らず電話に出ていれば。
(間に合ったかもしれないんだ)。
セ ブ ン ス ・ パ ニ ッ ク
ロータリーにひめかわの姿が見える。
乗客を待つタクシーの間に車体を滑り込ませた信哉は携帯電話をポケットに仕舞った。
「ご苦労さん。まあ、乗れよ」
ドア越しにねぎらいの言葉を掛けてやるとひめかわは明るい顔をした。
「……と、オージは?」
「あ、トイレで着替えてます。もう来ると思うんですけど、」
公園の方を見ているひめかわの言葉を信哉は鋭い口調で遮った。
「目を離すんじゃない。何かあったらどうするんだ。責任、取れるのか」
「……うっ」
ったく信哉さんって相変わらず過保護だよなあ、とひめかわは口に出さず思った。
その時、いつもの姿に戻ったオージがちょうどやって来て、ひめかわの体を後部座席に押し込みつつ続けて自分も乗り込む。
「あ、いつものオージだっ。なんか久しぶりっ」
「……暑い。寄んな」
ぼさぼさ頭にぶ厚い黒縁のめがね。
すっかり東高のオージに戻ったオージはひめかわに暴言を浴びせた後でシートにぐったりと体を預けた。
「服のサイズは問題なかったか」、車を発進させながら信哉が問いかける。
(やっぱあれ信哉さんが買うんだ!)。
ひめかわは、信哉が女性向けショップに入って行き、とりわけ小さいサイズのワンピースを物色している様子を想像してにやにやした。
「……おい、信哉さんはあんたに訊いてんだぞ、ばかずま」
おれだったらオージにはこういうの着せるなあ、とアブナイ思考をめぐらせていたひめかわはオージに脇腹を突かれて我に返った。
「は、はいっ? 何ですかっ!」
ちょうどミラー越しに目の合った信哉が眉を顰めている。そんなことは絶対に無いだろうがまるで脳内を見透かされたようでひめかわは慌てる。
「服のサイズだ。体格はだいたいおれと同じくらいかと思ったんだが、どうだったか、と」
「あ、ちょうど良かったです」
ふうん、と鼻を鳴らした信哉は「じゃ、その服やるよ」と軽く云った。どうやら礼のつもりらしい。
「ありがとうございますっ」
この際ありがたく貰っておくことにした。
「で、ひめかわは西高に帰るだろ?」
車を赤信号で停めた信哉は助手席でがさがさ音を立て、取り出したペットボトルのお茶を後部座席の二人に手渡した。
「あ、はい。おれは西高に帰りますけど……信哉さん達も来ませんか?」
「おれは東高で用事があるから無理だ。オージは好きにして良いぞ」
「えっ、好きにして良いだなんて云われちゃったらおれもう……っ、ほんとに好きにしますけどっ。良いんですかっ」
「……あのな。ひめかわに云ったんじゃない。オージに云ったんだ。変な誤解をするな」
「あ、やっぱりっ」
ひめかわは跳ねるようにオージの顔を見る。
窓側に顔を向けていたオージは眠そうな声で「……ニコがいるから、行くし」と答えた。
ひめかわは嬉しさのあまり体がむずむずした。
「疲れてるんじゃないのか?」、信哉がオージに尋ねる。
「でも、行く」、オージは少しだけ怒ったように返事をした。
ひめかわはそんな二人のやり取りを幸せな気持ちで聞いていた。
信哉とオージの会話が、どこの家庭にでもありそうな、自分の家でもよくあるような、どうだってよくて、だるくて、ちょっと面倒な、そんな簡単な雰囲気に満ちていたからだ。
オージはあの家を実家だと云った。
だけど、オージはあの家では歓迎されていなかった。
ひめかわは帰り際にふと振り返って、家の窓から誰かが自分とオージを見ていることに気づいた。その人はひめかわが気づいたことに気づいて、見せ付けるように塩を撒いた。
「もうさ、あの家、行かないほうが良いんじゃないかな」
帰りの電車内、ひめかわがぽつんと呟いた。
おばあ様がオージを叱る声。
小町をかわいがる笑顔。
正反対の対応。
そして、不浄なものを見るような目をした家の住人。
あの家でおばあ様以外の誰にも会わなかったことも不思議だった。
ひめかわはオージがどうしてわざわざ女装までして宮沢小町になりきる必要があるのか分からなかった。
深刻にならないように、まじめに考えてしまわないように、できるだけいい加減な人間を装って云ったつもりだった。
オージはひめかわの隣で、他に乗客がいないのをいいことに座席に足を乗せていた。
真新しいサンダルで林の中を歩いたため指の付け根に薄赤く血がにじんでいた。
「何も、オージのためになってないって、感じ、だし」
ひめかわは赤い跡を見下ろしながら続ける。
しかし返事は無く、あれ眠っちゃったのかな、と帽子の下を覗き込んでみるとオージの目はしっかり開いていた。
「……分かってる。でも、小町はおばあ様のことが好きだった。おれのためじゃなくて、小町のためだよ、こんなの」
ひめかわは「そっか」と頷いた。
「あっ。でもさ、痛い時は云ってね」
「……は、何が?」
「云ってくれたら、おんぶしてあげたのにっ」
オージはひめかわが何のことを云っているのかにようやく気づくと、
「……いちいち云わねえしっ」
遮るように帽子をぐいっと目深にかぶった。
事件から約一ヵ月後に宮沢邸は住居を移した。以前の邸宅は今や住人の居ない廃墟と化している。
事件と一族について言外しないことを条件に信哉は今暮らしているマンションの一室、それから、四年制大学卒業までの学費と生活費相当分を宮沢から受け取った。
その際、信哉は大路の世話も自分に任せてもらえないかと頼み込んだ。
叔父夫婦は願ってもいないとばかりにその申し出を快諾した。彼らは事件により自分達の長女が宮沢の跡継ぎになることが確定してからというもの、大路に対する扱いを考えあぐねていたのだ。
そうして信哉は大路を引き取ることにした。当初は一緒に暮らすつもりだったが大路が何を思ったか「できれば田舎に住みたい」と云い出したので本人の意見を優先させた。その代わり、携帯電話を持たせて連絡はいつでも取れる状態にし、高校は自分の通う私立の高校、名前も今後は偽名を使うよう指示した。
信哉は非嫡子として冷遇を受けてきた自分がある日突然、かつて自分よりはるかに尊い位置に存在していた大路の事実上の保護者になったことは何の因果だろうと考えた。
とは云え信哉と大路は同じ宮沢家に住んでいる時からそれほど親しいわけでも、だからといって犬猿の仲というほど取り立てて仲が悪いというわけでもなかった。廊下ですれ違えば挨拶はするし一緒に遊ぶこともあった。ただ、そこにはいつも小町という仲介者があった。小町がいなければ信哉は大路と何を話せばいいのか分からなかった。信哉にとって大路はあまり目立たない存在だった。口数も少なく自己主張もほとんどしないので小町の陰に霞んで見えた。それは女系一族という宮沢に生まれた男児の定めかも知れなかったが、長女の小町が活発で目立ちたがり屋の面があった分、長男の大路は時に暗鬱にさえ見えた。
(大路は、あんまり、笑わないし、あんまり、喋らない)。
信哉の中でそれは当たり前のことだった。常識だった。
だからこそオージがひめかわに向かって暴言を吐いたり不愉快な表情を浮かべたりするのを見て、初めてオージにも感情があったことを知った。
分かってるつもりだった。
本当に分かったから分かる。
分かってなかった。
と、いうことが。
分かった。
今オージは後部座席でうたたねしている。
その隣でひめかわが余計な子守唄を唄っている。
時刻は午後五時。
もう夕暮れ時だ。
落ちた陽が建物や車や通行人の影を伸ばす。
その朝は誰かを包むかも知れない。
その夜は誰かを癒すかも知れない。
ひめかわの子守唄が大幅に音を外す。
緩んだ口から漏れそうになる笑い声を、信哉は咳払いで隠した。
「……おれも早めに用事終わらせたら、そっちに寄ろうかな」
「えっ、何か云いましたか?」
「七祭、だっけ」
ひめかわには迷惑だろうけど、と信哉が云い終える前に当のひめかわが座席の間からぐいっと身を乗り出してきた。
「うんっ、ぜひ来てくださいっ!」
ひめかわの声でひめかわの表情が分かる。
信哉は堪えていたものを微かに吹き出した。
冷房を緩め、運転席の窓を開ける。
「あっ。外、もう涼しい。あー、やっぱ夏は暮れ時が一番ですねー」
顔に風を受けたひめかわがシートに体を戻す。
「ひめかわ。お前って、バカだな」
信哉にバカと云われたひめかわはムッとした顔をする。
「もういいです。ムカつくからやっぱ来なくていいです」
あーもーこっちはせっかく仲良くなろうと思ってんのにー、と唇を尖らせるひめかわに。
「悪いな。正直で」
信哉は追い討ちを掛けた。
二人の応酬をよそに眠るオージは夢を見ているのか、長い前髪に隠された瞼を時々ぴくぴくと動かした。
090711
……や、やめろ、それ以上近寄るとぶん殴るぞ……女装、ばかずま……っ。 (by オージin悪夢)