西高へ戻ったひめかわは美術室の扉を開けるやいなや、まこっちゃんに頭を下げた。

「ごめんっ。拉致されてて帰り遅くなっちゃいましたっ」

展示品の後片付けをしていたまこっちゃんが夕陽の中で振り返る。

「うん。あ、ひめ、髪の毛戻したんだ」
「……えっと、あ、うんっ。まあねっ」

泳がせた視線をまこっちゃんの手元のパネルに落としたひめかわは「あれっ」と首をかしげた。

「あれっ。まこっちゃん、その写真、いつのだっけ?」

西高内徘徊からちょうど戻ってきたニコが入口付近に立っていたオージに後ろから飛び掛かっていき制裁を食らっている。
その様子を横目で見ながらまこっちゃんはやや声を落とし、

「有坂さんが、ひめのこと探してたぞ。今はここにはいないって云ったら、また後で来るって云ってたけど」

話を逸らしつつ質問のパネルをさっさと布で包み他と一緒にしてしまう。

「え、アーサが? なんで?」

きょとんとしたひめかわから目を逸らしたまこっちゃんは「本人に訊けよ」と作業を再開した。

「もう、まこっちゃんてば。そう冷たいこと云わず、ヒント、ヒント」
「……ヒントとかそういうんじゃなくてだな。ひめ。今日、七祭だぞ?」
「うん。知ってるよ」

片付け作業を手伝いながらひめかわはまだ分からない様子だ。
まだおれに云わせるのかよ、とまこっちゃんは苦笑した。

「七祭って、西高行事においてカップル成立率ともに復縁率が一番高い行事なんだよ」

ひめかわは他人事のように「ほほう」と息を吐いた。
絶対まだ分かってねえな。
しかしまこっちゃんにはそれ以上説明してやるつもりなどさらさらなかった。


セ ブ ン ス ・ パ ニ ッ ク




「そうそう。思い起こすは一年前。おれと秋穂さんの出会いも七祭だったな」

そう云いながら美術室に入ってきたのは黒スーツ姿のエースだ。

野球部有志による『ほのぼのサロン』は盛況の内に幕を閉じ、他のサロンスタッフをして天職ホストと云わせしめたエースはこれから七祭のメインイベントとも云える『花火大会』のため校庭へ向かうところだった。

ちなみに『花火大会』の花火とは線香花火のことである、西高の場合。

七祭の最後は、夜の校庭にて水の張ったバケツをいくつも準備し、生徒全員で線香花火の火を眺めることになっている。
と云うとしんみりした空気が予想されるかも知れないが、これが毎年驚くほど盛り上がるのだ。
落ちそう。落ちない。ぎゃあ落ちるっ。
などと騒ぎながら一日限りの七祭の余韻に浸る。

宵闇。花火。達成感。
青春。夏夜。混合感。

そりゃ恋も芽生えるってものだ。

「あっ、エースだ。おつかれっ」
ひめかわの言葉に、つかれたつかれた、と返事しながらエースは机に座った。

入口では松橋とオージが何やら云い争っている。
「そんなところに突っ立ってるお前が悪いっ」
どうやら体がぶつかったらしい。
もともとオージに良い印象を抱いていなかった松橋はここぞとばかりにイチャモンを付ける。
「だいたいお前のその格好、夏だってのに暑苦しいんだよっ。おかげでひめまで変な格好し始めただろっ」
「……あ、何だと? ひめかわの行動にまで責任持てるかよっ」
むしろおまえんとこのアイドルだかなんだか知んないけどバカのせいでメーワクしてんのこっちだしまじで勘弁しろよな、と舌打ちしたオージの横でニコが口から取り出したアイス棒を掲げ「えっ。マジでっ。っしゃー、当たったあ!」などと歓喜している。
「おい、まつばせっ。オージのこといじめんなよなっ」
「待て」、仲裁に入ろうと動いたひめかわの前に、エースがすっと立ちはだかる。
「何が待てだ、どけ、エースっ」
「まあまあ。面白いじゃん」
「どこがっ」
「いいぞ、まつばせ。もっと云ってやれー」
「応援すんなっ」
「オージくんも負けんなよー」
「煽るなっ」
とにかくどけおれはオージを助けに行くんだっ、ともがくひめかわ。そんなひめかわを難なく羽交い絞めにし、ぶつかりあいこそコミュニケーションの真髄だぜ、とそれらしく説くエース。
そんな中、まこっちゃんは(あれ。ここって、幼稚園だったっけ)と、ひとり静かに遠い目をした。

「だいたいな、ひめがお前と夏のお嬢さんを比較した時点から気に食わなかったんだっ」
「はあ? 夏のお嬢さん? 関係ねえし。てか誰だよそれ」

松橋は突然オージの胸倉を掴むと陶酔状態に陥ったように目を瞑った。

「よくぞ聞いてくれた、ちびめがねくんっ。夏のお嬢さん。透けるような白い肌。真っ黒な瞳。ちっちゃくて、たぶん、やあかくて、花束が似合いそうで、ぜんっぜん俗っぽくなくて、一年の大半は寝込んでそうで、ちょうどこう、なんだ、良いにおいとかがな、するんだ、お嬢さんはな、乞食みたいな格好してるお前とは全然違って。分かったかちびめがねっ」

オージは半分呆れた目で松橋を見上げた。
その表情を見て松橋は鼻で笑う。

「ふっ。お前とお嬢さんでは月とすっぽん。いや、月とうんこってとこだな。どーせそのめがねだって保険なんだろ」
「……保険?」、オージは首をかしげた。
横で松橋の解釈を聞いていたニコが「あー、そういうのってあるよなっ。あらかじめ標準値を下げることでギャップを減らす方法」と手を打った。
「ああ。どーせちびめがねくんも性格みてえにひねくれた顔してんだろ、」
と、高笑いに入ろうとした松橋の表情はオージを見下ろした瞬間、顎が外れたようになった。

胸倉を揺さぶられてずり下がっためがねの下にオージの素顔が見えていた。

きっちり五秒経過後。

嘘だあああっ、と全速力で廊下を走り去る松橋の背中はみるみる小さくなっていった。

「……西高ってバカと変態しかいねえの?」、制服の乱れを正しながらオージがニコに零す。
オージのめがねのズレを指で持ち上げてやってニコは名前どおり笑った。
「いいじゃん。バカと変態。おれ嫌いじゃないよ」
「ふうん」
ニコには反抗しないオージだった。

ようやくエースの戒めから解放されたひめかわがオージに駆け寄り「ごめん、オージ、ごめんっ」と周囲を意味も無くぐるぐるする。

「……どうしてあんたが謝んだよ。あいつの頭がおかしいのはお前のせいじゃないだろ。ま、お前も頭おかしいことに違いねえけどな」
「いや、松橋のことじゃなくて」
「……じゃ何だよ」
「おれもオージのことではバカで変態だから」
「……は?」
「毎晩妄想しててごめんっ。昨夜のは特にごめんっ」

特にってなんだ特にって昨夜は何想像してたんだよばかずまっ、とオージが体からひめかわを引っぺがした時だった。

「あ、あの。かずくんっ」
か細い声に全員が振り返ると、やや離れた所に女子生徒が立っていた。
(ひめかわかずま。だから、かずくん。か)。
オージはそれがひめかわのことだと気づくのに時間が掛かった。
「あ。アーサだ」、ひめかわがぽつんと呟く。
(アーサ?)、どこかで聞いた気がしたオージは記憶の中を探ってみる。


「ひめ、有坂のことアーサって呼んでたんだ。へえ、仲睦まじい感じで、羨ましいなあ」
「ちょ、だから、……エース、」
「案外まだ、続いてたりして」
(出典:「モモイロ・スコープ2」)


女子生徒は自分が声を掛けたことでその場にいた全員が無言になってしまったことで申し訳なさそうにおどおど俯いたが、やがて思い切ったように顔を上げると、
「ちょっと、話したいこと、あるから。花火の時、体育館裏に来てくれないかなっ」
それだけ云い残し、白いほっぺたをみるみる赤く染めて走り去った。

ぽかんとしているひめかわの肩を、ぽん、と叩いたエースが耳元で口笛を吹く。
「やー、いいねえ。バカで変態でも好かれる男ってのは」
わざとらしくこの状況を要約すんな、と、まこっちゃんに叱られてもエースはまったく動じない。

お菓子を求めてポケットに突っ込んだ手をがさがさしながらニコは腰をかがめてオージを覗き込んだ。
「いいの?」
「……何がだよ」
べっつにい、と背筋を伸ばしたニコをオージが睨もうとすると目の前にチュッパチャップスが突き出された。
「……何だよ」
不機嫌そうなオージにニコは答える、「勝負スイーツ」。

いっらね。

吐き捨てるようにそう云ってオージは廊下を歩いて行った。


090719