完全に、迷った。
オージは暗くなってきた辺りを見回した。
有坂がひめかわを呼び出したのは体育館裏で間違いなかったはずだ。間違っているとすれば自分の方向感覚以外に考えられない。他校とは云え見当ぐらい付くだろうと甘く見たのがいけなかった。自分の方向音痴さを過小評価していたようだ。
「……ま、戻ればいいんだろ、戻れば」
自分に云い聞かせながら後ろを振り返るも来た道さえ分からなかった。
伸び放題の草の中から虫の鳴き声が聞こえてくる。
一応は校内とは云え、少しも不安にならなかったと云ったら嘘になる。
自分が体育館だと思って傍寄った建物内を窓から覗いてみる。
「……体育館にしちゃ狭いな。バスケットゴールもないし。ここじゃねえのか」
とにかく壁伝いに歩いていけば見覚えのある場所に出られるだろうとオージは歩き出した。
最初の角を曲がる。
「……?」
暗がりの中に二人の男子生徒が見える。
どちらも西高の制服だ。
オージは近づいて訊ねた。
「あのさ、校庭に戻りたいんだけど」
話し込んでいた二人は心底ぎょっとした顔で振り返り、そこに立っているのがオージ一人だけだと確認すると急に偉ぶった。
「お前、いきなり何だよ?」
「……だから、校庭に戻りたいって云ってんだろ」
体格の良い二人は顔を見合わせて「なるほど、迷子ちゃんだ」と笑った。
「なんてな。騙されるかよ。こんな所で迷子になるやつなんか見たことないぞ」
「……いや、だから目の前にいるんだけど」
オージは苛立ち始めた。
「正直に云え。お前さ、おれ達の話、そこで聞いてたんだろ」
一人がオージに近づき品定めするような目で全身を見下ろす。
「……は? 何云ってんの」
「あれ、東高の生徒じゃん」
後ろに回りこんだ生徒が、頭イイんだな、と襟に伸ばした手をオージはパシっと払った。手を払われた生徒の顔が一気に険しくなる。
「……さっきから何ごちゃごちゃ云ってんだよ。お前らの話なんか聞いてねえし、興味もねえし」
もういい自分で道探すし、と一人で歩き出そうとするオージの腕を後ろから一人が掴んだ。前に立ちはだかっていた生徒が両肩を押したためオージは背後の生徒の胸倉に突き飛ばされた格好でバランスを崩した。
「……んだよ、離せよっ」
「おれ達の話、どこから聞いてた。それだけ云え」
「……だから何も聞いてねえって」
「だったらどうして今頃こんな所にいるんだよ。他の生徒は校庭で花火やってる時間だろうが」
「……んなのおれのほうが訊きてえよっ。だいたいこの学校、灯り少なくて分かりづれえんだしっ。体育館探してたらここに着いたんだよっ」
「ここは体育館じゃない、武道場だ。体育館は、この奥」
ああ武道場か、とオージはようやく納得した。道理で面積は小さいしバスケットゴールもないわけだ。
「とにかくここ通せよ」
「駄目だ。秘密の話を聞かれてしまったからには、この作戦が遂行されるまでお前を解放するわけにはいかないな」
だからお前らの秘密の話なんか聞いてねえし興味もねえし、と反論しかけたオージは一人が首に掛けていたタオルで両手の自由を奪われてしまった。
「……何のつもりだよっ」
「声出しても無駄だぜ」、なおも暴れるオージを哀れむように見下ろす目。
「ここからじゃ誰にも聞こえねえよ。せいぜいお前も祈っててくれよな。おれの作戦が成功するのを。……じゃ、そろそろ時間だ。行って来る」
そう云って一人はその場を後にした。
「……がんばれ、水木っ。おまえの思いは絶対に実るっ」
自分の体を抑えつけてくる生徒が妙に微笑ましいエールを送るのがオージにも聞こえた。
「……やっぱ頭おかしいのしかいねえ、ここ」
いきさつは良く分からないが状況から察するに出掛けていった一人が戻ってくるのをここで待つしかなさそうだ。
オージは諦めて体の力を抜いた。
右ポケットの携帯電話がずっと鳴っていたが両手を縛られていては出ることができなかった。
セ ブ ン ス ・ パ ニ ッ ク
朝礼台で七祭実行委員により配られている線香花火を受け取ったひめかわは、鉄棒の辺りに探していた姿を見つけて駆け寄った。
まこっちゃん。エース。松橋。ニコ。
「ったく、ひめ、おっせえよ。あと一分遅かったら先に始めてたぜ」、水を張ったバケツを足先でじゃりじゃり動かしながらエースが苛立ちをあらわにする。
「よし、と。じゃ、メンバーも揃ったことだし、早速始めますかっ」、松橋が両手を鳴らした。
すでに校庭のあちこちでは花火が散っている。
ぱちぱち音を立てる線香花火を囲んでしんみりしているところもあれば、話が弾み笑い声が上がっているところもある。
「……今年で二回目だけど、相変わらず奇妙な光景だよな」
それも実行委員から配布された、西高オリジナルマッチ箱(表面には校歌の一番が書かれている)からマッチ棒を一本取り出して湿気ていないか確認しながらまこっちゃんが呟く。
「花火、花火っ」
他校の変わった行事に初めて参加できるとあってニコはお菓子でできた家を前にした子供のように(あるいはニコそのもののように)目を輝かせていた。
「ひめ?」
鉄棒にもたれてシャツの内側をうちわで扇いでいたエースがやけにテンションの低いひめかわに気づいて声を掛ける。
「どうした、ひめ。そんな顔して?」
まこっちゃんと松橋もその目線の先を追う。
ひめかわは不安そうな顔で何かを捜していた。
「……なあ、オージは?」。
その言葉にひめかわ以外の全員が顔を見合わせた。
知らない、お前も?
目線で言葉を交し合った後、まさか「そういえば忘れてた」とも云い出せず微妙な空気が流れた。
その時、正門から進入してきたセダンが急ブレーキの音を立てて停まった。
運転席から見覚えのある姿が降り立つ。
花火をしていた生徒達の視線が一気にその一点に集まった。
「……あ、信哉さん」
「うわ、やべっ。怒られるっ」
ぼんやりと呟くひめかわの横をニコがキャラメルの臭いをさせながらすり抜けた。
憂鬱そうな表情の信哉は、校庭の片隅に転がっていた野球のバットを吟味し肩に担いだ。
口の端には銜え煙草。
しばらくの時間止まっていた手で再びうちわをあおぎながらエースが顔の片側だけ歪める器用な笑い方をする。
「すっげ。こっからでも殺気立ってるの分かるねえ」
ひめかわはニコから聞いた話を思い出した。
時田ってやつがいて。
オージにちょっかい出して。
退学に、追い込まれた。響信哉の、手で。
ニコははっきり断言しなかったけど、あれはそういうことだ。
「……武道場の方に、行ったな」
固唾を呑んで見守っていた松橋がそう云い終わらぬ内にひめかわは走り出していた。
バットを首の後ろに持っていき関節のストレッチをしながら歩いていた信哉は後ろから追いついたニコを横目で見た。
「どういうことだ、ニコ」
ニコが答えられないでいるのを見て責める気持ちが萎えたか、それともこれから始めることに気を集中させたいのか、信哉は「ま、いいんだけど。何かあったらやっつける。それだけだ」と視線を前に戻した。
(やっつける。の、意味が本気だもんな)。
顔を横へ反らしたニコは「ふう」と肩をすくめた。
武道場付近に着いた信哉はバットを持っている手と反対の手でポケットから携帯電話を取り出し、もう一度だけオージの番号に発信してみる。
二人の足は間もなく、オージともう一人の西高生のいる武道場の角に差し掛かるところだった。
「まあ、悪いのはニコじゃないさ。おれが過保護すぎるのも問題だし、電話に出ないオージにも非はある。ただし、」
薄暗い中で携帯電話の明るい画面が信哉の横顔を浮かび上がらせる。
それを見上げたニコは自分の足裏から頭のてっぺんまでぞくぞくっとした感じが電流のように通り抜けるのを感じた。
通話状態にならない携帯電話がパチン、と閉じるのと二人が角を曲がるのとは同時だった。
「はい、オージ発見」。
ニコがその名前の通り笑って。
自由を奪われたオージを見つけた信哉の目がすっと細くなる。
(いるよなあ、本気で怒ると体温下がるタイプ)。
信哉が地面に立てたバットを引きずる音で顔を上げた見張り役がオージの横に下ろしていた腰を上げる。
だが月明かりに照らされた信哉の表情を目にした途端、彼は、腰が抜けたように元の位置に戻った。
「ただし、両手が使えないなら仕方ないよな。そうだろ?」
その時、体育館の方から誰かが駆け寄ってくるのが聞こえた。
「ん?」
振り返ったニコは駆けてきた見知らぬ生徒にぶつかるように抱き着かれた。
「田山、ありがとうっ。すべておまえのアドバイスのおかげだっ。この恩はいつか必ず返すからなっ」
大きな体に抱き着かれてバランスを崩しつつもニコは「田山」のふりをして話を合わせる。
「だろっ。おれのアドバイスは的確だっただろっ」
「ああ、さすが自称ラブメイカー!」
「えっ。おれのネーミングセンス、やばくね?」
「いや、何を今更謙遜なんかっ。そんなことはないっ。お前のセンス溢れる文章でおれの、いや、おれたちの作戦は成功したんだっ」
ただでさえ息苦しいところをさらに締め上げられてニコは産まれて初めて抱擁による酸欠を経験した。
「ああ。おめでとっ。……で、何が?」
そこでようやく自分が抱きついている相手が「田山」ではないことに気付いた彼は忍者か何かのように後ろへ大きく飛び退くとニコと信哉の姿を交互に見た。
「だ、誰だおまえらっ」
短くなった銜え煙草を靴底で土に埋めながら、その質問に信哉が答える。
「誰だ? それはこっちが知りたいんだが?」
持ち直したバットを片手でゆっくり大きく回しながら回答を待つ信哉の前にニコが半身を滑り込ませた。
「アドバイスだよん。とにかくあのちびっこ解放してくんねえかな? だいたいそれで丸く収まるパターンだから、これ。ねっ?」
信哉にひと睨みされてからというもの体の震えを止めることができない西高生はニコの笑顔にすがるように何度も頷いた。
ひめかわ、まこっちゃん、松橋、エースの四人が武道場に辿り着いた時、田山と水木は夏だというのに凍死寸前の遭難者のように大きな体を寄せ合っていた。
「……こ、殺されるかと思いました。いや、エースさん達が来てくれなかったらほんとおれ達今頃あのバット持った外人さんに……ぶるぶるっ」
「てかな。だいたいおまえらここで何やってたんだよ」、エースが呆れた顔で一年の野球部員二人を問い詰める。
体が大きい割に小心者の二人は、語尾を繋ぐようにかわるがわる話し始めた。
一部始終を聞き終えたエースが要約する。
「えーと、つまり、好きな子に告白したいという田山の相談を水木が受けていた、と」
「……はい」
「そこへ、たまたまここで迷子になってたちびめがねくんが現れて、すっごくビックリした、と」
「……はい」
「で、捕獲した、と」
「……はい」
エースは目つきをうんと悪くして云い放った。
「どあほ」。
田山と水木は「自分達もそう思います」と、反省している様子だ。
「……ほんと、くっだらねえ」
ただでさえ萎んでいる田山と水木がエースの言葉を受けてますます縮こまる。
「まあまあ、いいじゃん。せっかくのお祭りなんだから。で、めでたく実ったわけでしょ? その幸福に免じて許してあげようぜ、エースさん?」
これあげるから、とエースの手に飴玉を握らせたのはニコだ。
「……もとはといえばお前んとこの生徒会長さんがちびめがねくん至高主義なのが問題なんだからな」
そう云うエースを、
「でも、丸く収まったんだから。無事で何よりじゃないか」
とまこっちゃんが宥める。
両手のタオルを解かれ、髪の毛やめがねの位置を気にしているオージにひめかわはゆっくり近づいた。
「オージ、だいじょうぶ?」
「見て分かんねえのか。大丈夫だろ」
「……でも、手」、ひめかわが云ったようにオージの手首は少し鬱血している様子だった。
タオルを持って立ち上がった信哉の背中をオージは見送る。
「信哉さん、加減できないんだ」
ん、とひめかわが訊き返しながら首をかしげる。
「……前も、こんなことがあったし」
しかしオージはそれ以上語らない。
ひめかわも訊ねる気などなく、ふと目をやると離れた場所で田山と水木がエースに呆れられてしょげ返っているのが見えた。
「でもさ、オージ、武道場に何か用でもあった?」
「……武道場じゃなくて体育館探してたんだよ」
「何で?」
「……何でって、それは、」
「それは?」
「……あー、しつけえっ」
「そんなにしつこいつもりはありませんけどっ」
ひめかわの反論にオージは口を閉ざした。
ひとまずこの話題から逃れたいとそっぽを向くが一度気にし始めたひめかわの身としては何としてでも答えが知りたい。
オージ、こんなところに、何しに来たの?
「……ひめかわ、呼び出し、くらってたじゃん」
その言葉の意味を理解するのに五秒かかった。
ひめかわはオージが座っている石段の隣に自分も座ると顔を近づけた。
「気になった?」
「……ちげえし」
「気になったし?」
「……ちげえよ、てか、それ自意識過剰。ばあっかじゃねえの」
図星を突かれて露骨に顔を背けるオージを抱き締めたひめかわの頬に派手な平手がお見舞いされた。
田山と水木に気を取られていたエースが顔を上げ「おお、完全ストライク」と、それでもめげないひめかわを見てにやにやしている。
「……都合よく誤解したら次はぶっ飛ばすからな」
説得力の無いことはオージが一番分かっていた。
念を押されるがひめかわには危機感などない。妄想ならいくらでもできる。
「でも、オージ。聞いてよ。おれがアーサに呼ばれたのは、たぶんオージが思ってんのとは違う意味でだから」
そっぽを向いていたオージの横顔が少しだけひめかわに反応する。
「あそこにいる水木ってやつ。あいつが好きだったのって、アーサなんだよね。で、アーサも少し前からあいつが気になってたみたいで。でっかいのに繊細なところがかわいいんだって」
えっ、とオージは完全にひめかわに向き直った。
「じゃ、あの水木とかいうやつが成就させたってのは、その、ひめかわの、えっと、つまり、元……」
「元カノ」
ひめかわはここであえてきっぱりと云う。
「おれもアーサも、ほんとは分かってなかったんだ。互いが好きなのか、どうなのか。それなのに、そんな中途半端なのに、すごく仲良いふりしてた。うーんと、どう云ったら分かるかなあ。サーカスの、象? 何も嫌いじゃないし、環境や集団を呪ってるわけじゃない。でも、みんなが思ってるほど楽しいわけじゃない。ただこなすだけ」
その時期を思い出したのかひめかわは苦笑いする。
オージはぶ厚いめがねの奥から真っ黒な瞳でその横顔をじっと見上げた。
「……じゃ、その、有坂ってヤツは、何の用でお前を呼び出したんだよ」
「けじめ」
「……何?」
「きっぱりお別れ。その、けじめ」
きっぱり、おわかれ。
ひめかわの口から出たその言葉を聞いたオージは自分がどこかで安心していることに気づいた。
慌てて眉間に皺が寄るくらい表情を引き締めるがひめかわは目の前の草むらしか見ていなかった。
オージは肩の力を抜くと体育座りの状態で膝を抱き寄せる。
「おれもアーサも、高校デビュー組でさ。新しい環境で、新しいこと、したかったんだ。きっと、他の人より、少し強めにそれ願ってた。そういう意味では、おれとアーサ、合ってたってわけだけど。でも、やっぱ違ったんだ。嫌いじゃないけど、好きだけど、でも、それだけなんだ。好きってだけなんだ。アーサは、かわいいし、性格も良いし、どんな話も楽しそうに聞いてくれて、一緒にいて、すごく、気持ちいい。でも、それだけ」
ひめかわは頭をかきながら、時々腕を組んだりほどいたりしながら、トランプのお城を組み立てるように文章を作る。
その真剣さにオージは見入った。相槌を打ってお城が出来上がるリズムを崩すことも望まなかった。だから黙っていた。時々瞬きくらいはしながら。
「アーサといると、苦しくなかった。でも、オージといると、おれ、苦しい」
離れたところで笑い声が上がった。
見るとニコが田山と水木の顔を指差している。
ニコは、すごい。
誰とでもすぐ打ち解ける。
ひめかわの話を聞くふりをしながらオージは半分ぼんやりとそちらを見ていた。
(ひめかわがこれから云おうとすることは、きっとおれを蕩けさせる)。
そんなもんまともに喰らったら、自分がどうなるか、分からない。
だから、からだ半分は違うこと感じて、気を逸らせてたいんだ。
「オージといると、さいきん、苦しい」
頭を抱えた腕の隙間からひめかわが目を覗かせる。
それは熱く潤んで、おれがこうなってんのはぜんぶオージが悪い、と云っている。
(そんな目で見つめられて幸せって、思うんだったら、おれ、おかしいかな)。
オージの体の中心がじんじんとその熱を感じている。
ひめかわが頭を抱えて「……ごめん。わけわかんなくて」と再び俯く。
どう答えるのが一番良いのか分からなくてオージは「わけ分かることなんかこの世には何もねえよ」と返し、いやそうでもないけど、と内心思ったがその部分は口にしないでおいた。今はそれでいい気がした。反論も否定も訂正も似つかわしくない。言葉が何も説明しないし証明しないし肯定できないこと、一番に知ってた。
しばらく二人は隣り合って黙っていた。
その内、ニコと松橋が「早く戻ろうぜっ」と声を掛けたかと思うと田山と水木を引き連れたエースがその後ろをついて行った。集団から少し距離を置いてまこっちゃんも歩き出す。
辺りは静かになった。
「……完全にみんなに気遣われた感じだな」
二つの膝頭に自分の両目を押し当てながらくぐもった声でオージが云う。
確かにっ。
だったらもうここはみなさんのご期待にこたえていっとくしかないっしょ、とひめかわが思い切ってオージの肩に触れようとした手が何者かによって叩き落とされた。
「んなっ!?」
顔を上げたひめかわは背後の信哉の冷たい目と目が合って、田山と水木の恐怖が初めて分かったのだった。
「げっ、忘れてたっ。あ、いや、何でもないです、ほんとすいませんっ。おれ何も考えてないですからっ。オージに何かしようとか変なこと思ってなかったですからっ」
弁解すればするほど自白するようなものだった。
内心では信哉は「からかい甲斐あるな、ひめかわは」と思っていたのだが表情にはほとんど出ない性質なので当のひめかわは気が気ではない。
その夜、西高の校庭では小さな花火がいくつも生まれた。
いつから始まったのか、七夕の夜の恒例行事。
夜空に浮かぶどの星よりもずっと近く、確かな儚さ。
小さいものは小さいなりに大きく。
大きいものは大きいなりに実は小さい。
ここは惑星。
もうこれ以上ルールは要らない。
甘い思い出も苦い記憶も飲み込まれて吐き出されて、星になってしまえばいい。線香花火の火になって、きらめいて、見る人の気持ちを幸せにしたり可哀相にしたりしながら、散って、またいつかよみがえればいい。
それは夢のようなリピート。
だけど本当は二度と戻らない永い一日。
一つの火を囲み、ひめかわを始点として時計回りに、エース、田山、水木、オージ、ニコ、松橋、まこっちゃんの順に円になっている。
「すげっ。ひめの、だいぶ長持ちするね。まだまだ踏ん張れそう」
とっくに自分の分が燃え尽きたニコが羨ましそうに最後の一本を眺めている。
「さっすが。持久力抜群。ひめのは、長持ち、するもんなあ。まだまだ、踏ん張れ、そうだしなあ」、エースが一言一句をリズミカルに繰り返す。
「せんせー。エースくんが云うとなんかいやらしく聞こえまーす」
松橋のそのセリフに一年生の田山と水木が俯いてもじもじする。体の大きい割に仕草が小動物的だった。
「……ったく、お前ら」
こいつらに夏の夜の風流を理解しろっても到底無理そうだな、とまこっちゃんがほとんど独り言を呟く。
(なんかおれこいつらといると老けてく気がする……精神年齢的な意味で……)。
今日はぐっすり眠れそうだ、とまこっちゃんは早くも眠気に襲われていた。
「そういえば信哉さん、帰った?」、松橋が警戒するように辺りを見回す。
「用事済んだから帰ったよ」、ニコが云うと田山と水木がほっと肩の力を抜く。
「しかし今更だけどあの人よくタイミング見切ったな」、エースが感嘆の声を漏らす。
「オージセンサー付いてるから」、ニコがきりりと真顔で断言すると、その場に居た西高生全員が「余裕でありえる」と頷いた。
まこっちゃんは上目遣いになって、ぶ厚いめがねに反射する橙色の光を一瞬だけちらりと見上げた。
オージはみんなの話を聞きながら黙っている。
まこっちゃんは隣のひめかわの横顔を盗み見る。
周りが賑わっている分、なんだか冴えなかった。
「あ、そうだ。今度このメンバーでキャンプ行こうぜ、キャンプ!」
突拍子も無くエースが提案するとニコと松橋が「行く行くっ」と声をそろえて身を乗り出した。
空気の流れが生じ、ひめかわが持っている線香花火の火が一瞬大きく膨らむ。
ぽってりとした球体が下方に引っ張られ始めた。
まこっちゃんは、ひめかわの目がオージの顔に、オージの目がひめかわの顔に向いていることに気づいた。
気づいた瞬間、ぼとん、と暗闇が訪れた。
今年の七祭、これにて終了。
090723
東西交流の魁っ。 (by ニコ)