この世界には二種類の人間しかいない。
神様に愛されているかいないかのどちらかしかいない。
この際、神様が実際存在するかどうかは問題ではない。
何かの授業で「存在の証明より不在の証明の方がずっと難しい」と聞いたから、存在する、と云っておいたところで何ら問題は無いだろう。
神様は人間を作り給うた。白い粘土に肌色を混ぜたり黒を混ぜたり黄色を混ぜたりしながら土台を作った。神様は体の形を作り給うた。大きいもの、小さいもの、細いもの、太いもの、たくさんの種類を作り給うた。飽きないように、多種多様のものを。その後、目や鼻や口などといった顔の細かな部分を作り給うた。それから最後に神様は神様の「気」を入れ給うた。トイレで踏ん張るように、ふんっ。と、力を入れる。それはこの人間界においては能力だとか才能だとか呼ばれるものだ。
和英辞典で才能がgiftとも訳されることを知った。つまりそれは神様からの贈り物なのだ。与えられたスタート地点。天才を追いかけた凡人がどれだけ努力したところでスタート地点が違うのだから死ぬまで追いつかないこともある。凡人はその間にぼろぼろになってへとへとになって疲れてしまって追いつこうとすることをやめてしまう。
休憩時間だったんだ、本当は。
「でも、まあ、あと1個くらいなら作れそうだな」って、神様がそんなノリで片手間に作り給うた人間が、このおれ。
そして、休憩を終えた神様が「さあ、いいもの作るぞっ」と気も新たに手を込めて作り給うた人間が、アイツ。
以上が、緑ヶ丘中学二年・野球部員、松橋の頭の中だ。
エ ー ス と 松 橋
小学校三年生の春、そいつはやって来た。
当時松橋は「わかば」という名前のリトルリーグチームにエースとして所属していた。二十年ほど前、夏の甲子園にピッチャーとして出場しチームを決勝戦まで導いた経験を持つ父親の影響で、松橋も自分の投球フォームにはそれなりの自信があった。メンバーが松橋家に遊びに来た際は必ずと云っていいほどリビングに飾ってあるメダルを見たがった。
「まっつんの父ちゃん、すっげえ」。
その言葉を聞きたくて松橋は新しく家に上げる友達にも必ずメダルを見せたし、クラス替えをして最初の自己紹介の時には自分がリトルリーグに入った理由という名目でさりげなく父親の自慢話をした。
「まっつんの父ちゃん、すっげえ」。
その言葉が松橋にとっては快感だった。まるで自分のことのように誇らしかった。授業参観には母親よりも父親に来てくれるよう願ったものだし、どうしても観たいテレビ番組があって練習をさぼった時も監督にたいして怒られなかったのでますます「おれは一目置かれている」と思うようになった。
そんな松橋の前にエースは現れた。彗星のように。
もちろん「エース」という名前なのではない。名前は別にちゃんとあるのだが、同級生も、リトルリーグチームのメンバーでさえも彼をこぞって「エース」と呼び始めた。
なんでも体の弱い母親の療養のため一家で引っ越してきたそうで、前の学校でも野球をやっていたらしい。
エースはまず女子にウケた。理由はもちろんかっこいいからなのだが松橋は「あんなタレ目やろうのどこが」などと思っていた。
エースは男子にもウケた。理由は、テレビ番組だろうがゲームだろうが漫画だろうがスポーツだろうが当時の小学生男子が興味を抱くだろう方面の話に関して明るく、その上勉強もよくできたからだ。完璧な宿題ノートは答え代わりに使われた。授業中、右隣の生徒からエースの宿題ノートが回ってきても松橋はさっさと左隣へ流した。
そして何よりエースは実際野球がうまかった。それは監督だけでなくチームメンバーの目にも明らかだった。
松橋が気に食わなかったのは、それでも前の学校では一度もピッチャーを任されたことが無い、というエースの話だった。
エースがリトルリーグチームに入ってきてからというもの、松橋はこっそり朝練を始めた。
自分は投球フォームは良いのだがボールのコントロールが苦手なことを松橋は分かっていた。
それまでしたことのない早起きはつらいものだった。
三日間は続いたが四日目の朝は休んだ。
五日目の朝、遅刻間際の松橋は靴箱でエースと一緒になった。
始業のチャイムが今にも鳴ろうというのにちっとも焦っていないエースを見て松橋は苛立った。
そんな松橋に気づかずエースは、
「あ、おはよう。まつばしくん。きみも寝坊?」
などと話しかけてきた。
「まつばし、じゃない。まつばせ」
「え?」
「だから、ま・つ・ば・せ。っていうの。おれは。わかった?」
きょとん、としているエースを置き去りにして松橋はさっさと教室へ歩き出した。
なんであんなやつが女子に人気なのか分かんねえ、とぶつぶつ呟きながら松橋の胸はどきどきしていた。
「まつばせくんっ」
後ろからエースが慌てて追い掛けてくる。
(ま、謝るってんなら許してやるけどな)。
そんな気持ちで振り返った松橋の顔に、エースの顔が迫った。
「な、なんだよ」
「まつばせくん。あのさ」
「だ、だから、なんだよっ」
エースの真剣な目に松橋はたじたじとなった。
視線を周囲へきょろきょろさせた後、エースは真剣な顔のままこう囁いた。
「Tシャツ、後ろ前だよ」。
始業のチャイムが鳴った。
松橋は死にたい気持ちになった。
090801