宮沢邸に親族が集ったのは、小町の葬式以来だった。
張り詰めた空気と、一同が着用している和服の黒一色。

庭を横切り離れの自室へ行く途中だった信哉は、垣間見えたその光景に歩みを止めたが、一同がいつまで経っても黙ったままいるのですっかり飽きてしまい再び歩き出そうとした。
その時、強い視線を感じて振り返った。

上座には宮沢当主「おばあ様」。
その左には宮沢大路、右には大路と同年代であろう少女が正座していた。
一同の中ほどに座っていた男が手にした書面を読み上げる。
一同は静かに聞いている。
男が立ち上がり、「おばあ様」に、今しがた読み上げたばかりの書面を差し出した。
「おばあ様」が年齢のためか震える手でそれを受け取る。

「受理致しました。確かに」。

会議を終えぞろぞろと部屋を出る親族の会話の断片から信哉は話し合いの内容を推し量った。
小町がその命日をもって宮沢後継者から正式に除外されたという内容だった。

誰もいなくなった部屋に大路だけ残っている。

信哉は無意識のうちに胸ポケットの上から、携帯電話を撫でていた。

「ヤツモリ医院って分かりますか。通院するよう云われました」

二人の距離はそれほど近いわけでもなく、むしろ普通より大きめの音量でなければ聞き取りづらいくらいには離れていたが、その時の大路の言葉は信哉の耳に確実に届いた。
それは、信哉の全神経が大路に向いていたからなのだろう、きっと。

「ヤモリ?」

「いえ、八つの森。それで、八ツ森」

「ああ、そこなら分かるよ」

嘘だった。

しかし「悪いけど知らないな」と首を横に振ることは、今は、今この大路に対してだけは、絶対にしてはいけないことのような気がした。


ニ コ と 信 哉




院内の廊下を歩きながらニコはズボンの左右のポケットに手を突っ込んで、入っている飴玉の数を数えていた。
今、口の中に転がっている分も含めて、ちょうど九つあった。
「でも、ここ八ツ森だしなあ。あと一個減らさないとなあ」
受付の横に大きな長方形の鏡が壁に貼り付けてあって、そこで髪の色を確認した。先日、銀色から赤に変えた。同じ日、耳たぶの穴を二つ増やした。欲しいピアスがあったがお金が足りず、それほど気に入っているわけではないが応急措置ということで貰い物のゴールドを嵌めていた。
「まっ。今回の戦利金で買えばいっか」
にしし、と笑う。

(おっ。遭遇っ)。

待合室の椅子に例の二人が腰掛けていた。彼らの他に診察待ちの患者はいない。
そう、例の二人。
受付の人に訊ねたところによると、二人はつい一月ほど前から通院しているらしい。それ以上のことはプライバシーに関わるというので教えてくれなかったが、素顔を隠すようにフードを深くかぶった小柄な少年と、その少年の付き添いである金髪の男についてニコは少なからぬ興味があった。
フードの素顔を見たことはないので何とも云えないが、金髪の方は明らかに西欧の血が混じっていた。その上、絶えず殺気のようなものを放っている。

機会があれば話しかけるつもりでいた。
それがなかなか踏ん切りをつけられずに今日まできたが、今日こそは。

ニコはポケットの中で飴玉を一つ握り締め、二人の前におじきするような姿勢を取った。

「こんにちはー」。

反応無し。

「あれっ。こんにちはー?」

金髪の男の表情は変わらない。目の前に立っているニコの姿が見えていないかのように、じっと考え込んでいる。目鼻立ちがくっきりしているぶん大人びて見えるが、年は自分より一つか二つ上くらいだろうとニコは見当をつける。 続いてニコは隣の少年の前に移動した。もともとフードのサイズが大きめなのか、覗き込んでもなかなか目が見えてこない。こちらもやはり無反応だ。

「ねえねえ。飴玉あげる」

ニコはそう云って掌をひろげた。

「……って、だめだよねえ。うーん、どうしよ」

その時、受付から声がした。

「ひびき・おーじさま。どうぞー」

フードの少年が立ち上がる。
ニコは目を見開いた。

「お、王子様……っ? え、どちらのっ?」

動揺中のニコを置き去りにしてオージはスリッパをぺったんぺったん鳴らし歩いて行く。
ニコの挨拶にぴくりとも反応しなかった金髪の男は、心配そうにその後姿を見送る。



「お前。桐谷、コウ?」
オージの姿が廊下の奥にすっかり見えなくなってから金髪の男が口を開く。
その質問があまりに自然だったので、うん、と素直に頷いたニコは三秒後にようやくまちがいを見つけた。
「えっ。金髪さん、なんでおれの名前知ってんのっ」
「信哉だ。響信哉。おれはね。お前は、白山中学校3年の桐谷コウ。性格は、馴れ馴れしい。趣味と特技は、喧嘩。得意な科目は、数学。好物は、甘い物。親は教師。第一志望は東高校。ま、そんなとこか?」
ニコは両腕に鳥肌が立つのを感じた。
「うわ、すごっ。なんで?」
首をかしげるニコを横目で一瞥した信哉は脚を組み椅子の背凭れに仰け反った。
「学校はその制服と学年章から。性格はおれから見た第一印象。得意な科目と親の職業はカンで、第一志望は秘密のルート」
「秘密のルート、ですか。んと、じゃ、趣味と特技が喧嘩ってのは?」
「顔と腕の生傷。怪我させた相手に謝りに来てるんだろ。ここへは」
ほー、とニコは拍手する。
「あ、じゃあ甘いものが好物ってのは?」
「それも、カン」
「カン鋭いんだね。信哉は」
さりげなく呼び捨てにしてみたところ信哉は気に留めなかったようだ。
ほっと一息ついたニコは改めて信哉の姿を眺めた。
端正。だけど、何か冷たいものを秘めている。
(なんだ、これ。この、空気)。
「あ。てか。未成年が煙草吸ったらいけないんだー」
「いけないって、どういうふうに」
「副流煙が周りの人の健康まで害するって聞いたけど」
それを聞いた信哉は目線を天井に向け、白い煙をぽくぽくと吐いた。
「ふうん。オージがいる時は吸わないけど?」
「王子。って、さっきの、フードかぶった、ちびっこのこと?」
「お前と同い年だ。あと、オージだから」
「王子、でしょ」
王子、と、自信満々にニコが発声するのを信哉はこの上なく不愉快そうに聞いていた。
「イントネーションから察するに、王子だと思ってるだろお前」
「思ってる」
「オージ、だから」
ゆずれない部分のようだ。
そこでむきになるかー、とニコは先に折れて笑うが信哉はにこりともしなかった。
相変わらず白い煙をドーナツ状にしてぽくぽく吐き続けている。


八ツ森医院は精神科だ。
森の中にある。
看板は出しておらず、タウンページにも載っていない。
それでも、知っている人は知っている。
ここへ来る患者のほとんどは素性を知られたくない、身元を明かしたくない、つまり、「そういうこと」の人たちだった。


「ねえ。オージって喋れないの」
「口数は少ないが喋れないわけじゃない」
「もしかして、陽に当たったら死んじゃうとか?」
「違う、あれは。って、お前がフードのことを云ってるんだったらだけどな」

そう云って信哉は煙草の灰を空き缶の中に落とした。
それがアルコールではなくて野菜ジュースだったことがニコに親近感を持たせた。

「桐谷は、喧嘩、強いのか」

信哉の唐突な質問に意味はあるのだろうか。
ニコは戸惑いながら「そりゃたまには負けることあるけど、ま、好きだよ」と答えた。

「好き、か。それはそうなんだろうな」
「どうして?」
「病院送りにするくらいだから」

それも、八ツ森。
その言葉は二人の頭に自動的にそして同時に響いた。
しばらく沈黙。
何かを考えているふりをして何も考えていない。
ふりを、した。

「東高へ行く気はあるのか?」

信哉から、またも唐突な質問。

「あるけど。それが?」
「実はオージも東高に行かせたいんだ」
「それで?」
「世話になるかも知れない。その時は、頼む」

なるかも知れない、などと云いながらそれはすでに決定事項を述べる口調だ。ニコはまじめくさった顔で「はーい」と頷いた。

響信哉、この男。
ぜったい何か、企んでいる。

ニコの頭にふと浮かんだその思いは消えるどころか徐々に膨らみ始めた。
やがてそれは決して覆されることの無い確信に変わった。

「怖い人だね、あんた。何がどうというわけではないけど」
「そいつはどうも」

夏真っ盛り。
八月のある暑い日、八ツ森医院の待合室で、ニコと信哉は出会った。


090812