「今度こそ出会えますようにっ」
パーカーのフードをかぶったオージと、白山中学校夏服のニコは、これで三軒目となるコンビニのお菓子コーナーでしゃがみ込んでいた。
真剣な表情のニコが、トランプのババ抜きゲームで最後の一枚を選ぶかのように慎重に、チョコボールに手を伸ばす。五箱ほどまとめて上部や側面を観察したあと、パス、と呟いて元の位置に戻した。
隣に並んだオージは自分の膝に顎をのせ、ニコの手つきをじっと見つめている。ニコが小さくパスと唱えるたびに顎の位置を少しずつ変えて顔を傾けたりした。
オージがニコと出掛ける気になったのはニコが「おれ、一発でエンゼル出せるよん」と豪語したのがはじまりだった。前日のドロップス談義からの派生だ。そういったわけで、学校へ行っていないオージと補講を終えたニコはこうして午後を「エンゼルさがし」にあてている。一軒目と二軒目は駅近くのスーパーだったりコンビニだったりしたが、三軒目は駅から少し離れた場所まで来ていた。思惑を外れてなかなか「これだ」というものに出会えないのだ。
「……またダメかよ?」
隣で首をひねるニコを疑っているふうでもなく、自分自身もエンゼル捜査員としての自覚を持ち始めたオージが訊ねる。
ニコは「うん」と頷くと立ち上がり、きっぱり「ここにはいない」と断言した。
「次行くぞー、トッキー」
雑誌を立ち読みしていたトッキーに声を掛け、ニコとオージとトッキーの三人は揃って冷房の効いた店内を出発した。
青い空に手で掴めそうな雲が浮き、蝉も日差しもジリジリしていた。


ニ コ と 信 哉




「ねえねえ、さっきから何買ってんの?」
次なる店へと移動中のバス車内でニコがトッキーに訊ねる。
商品だよ、とかなり抽象的に答えたトッキーは小さい子供のように体を乗り出してくる前方のニコを呆れた目で見た。
「あんだけ滞在して何も買わず出て行くってのはどう考えてもおかしいだろ。万が一、万引きだと疑われてみろ。厄介なことになる。ただでさえおれたちの組み合わせは目に付く」
確かに、と頷いたニコは「トッキーは細かいことに気づくって点では頼りになるよなあ」と笑う。
根本的に伝わってねえな、とトッキーは肩を落とし、さっきのコンビニで買ったチョコレートを二人に手渡した。ニコはすぐさまアルミの銀紙をめくってぱくついたが隣に座っているオージはポケットに仕舞いこむ。その様子を見ていたニコが歌い出した。
「あ、オージ、好き嫌いしたらいっけないんだあ」
「……。それより、のど渇いたんだけど」
云いながらオージがくるりと後ろを振り返る。
おれかよっ、とトッキーは非難の声を上げながらも財布の中身を確認した。
千円札が三枚。と、小銭少々。
「分かったよ。次の店で好きな飲み物買ってやるから」
「……ありがと」
ニコと異なりニコリともしないオージが怒ったような表情のままお礼を述べると、トッキーはもう怒る気も起こらなかった。



夜の八時頃、信哉の住むマンション扉前に辿り着いたオージの手には金のエンゼルが握り締められていた。
チャイムを鳴らすのを躊躇いながらオージは今日の出来事をざっと振り返ってみた。

「あ、これだ」
五軒目にしてそれは起こった。
場所は郊外のディスカウントショップ。最初の五箱を手にしたニコがあっけないほど簡単に目標を発見した。
「これ」と称された選ばれた一箱をレジに持って行き、会計を済ませる(もちろんここでも代金はトッキー持ちだ)。
外に出ると自販機横のベンチにオージを真ん中としてニコとトッキーの二人が挟んで座り、オージが代表して外側の透明フィルムを剥がす。
(ついに出るか?)、オージの指が箱のクチを摘む。
(絶対出るっ!)、ニコはわくわくした様子で顔を近づける。
(……もう帰りたい)、もっとも切実な表情をしていたのがトッキーであることは間違いなかった。
果たしてエンゼルは現れた。
しかも金色だ。
三人は黙ったまましばらくそれをまじまじと眺めた。
それから三人で中味のチョコボールを食べた。
途中でトッキーが自販機からペットボトルのサイダーを買ってくれたがオージが「炭酸飲めない」と云うと代わりにオレンジジュースを買ってくれた。
「……それにしても、ほんとに一発だったな」
オージが呟く。
「でも、どうして分かったんだ?」
トッキーが質問するとニコは、コツがあるんだよ、と笑った。しかしそのコツが何なのかは教えてくれなかった。
「それより、オージ。忘れてないよね?」
「……何だよ」
「エンゼル一発で出せたら、友達になってくれるって云ったじゃん」
「……ああ、忘れてた」
オージはオレンジジュースを口に含んだ。
ニコは「ま、いっか。その約束、あんま意味ないみたいだしっ?」と笑う。
その隣でトッキーは今初めてそんな約束が交わされていたことを知ったのだった。



玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えたオージはキッチンで調理中の信哉に「ただいま」と告げた。
「とにかく座れ」
洗面所で手洗いとうがいを済ませリビングへ戻ったオージが食卓の椅子に座るべきかテレビの前のソファに座るべきか図りかねて立ち尽くしているところへパスタの皿を手にした信哉がやって来たので二人は食卓に向かい合って座った。
「七時には帰って来ると云ったよな」
食事を始めて間もなく信哉が口を開く。
オージはいいわけができずに俯いた。
「今日はどこへ行ったんだ?」
「……コンビニ。と、大きなスーパーみたいな所」
「何しに?」
何しに。
オージはしばらく考えた後、もっともシンプルな答えをすることに決めた。
「……お菓子を買いに」
ん、お菓子。と信哉が一瞬間の抜けた顔をする。
「そうか、お菓子か。一人でか?」
「……ニコと、ニコの友達。……遅くなってしまって、すいませんでした」
オージの萎縮を目の当たりにした瞬間、信哉は悲しい気持ちになった。
「怒ってるんじゃない。ちょっと、心配しただけだ」
ちょっとどころではなかったがそれを云えばオージはますます萎縮するだろう。
事件から、一年弱。
最初の半年間、オージは外出しなかった。信哉と一緒に八ツ森医院に通院する以外は。家の中に居る時は本を読んでいるか水槽の魚を見ていることが多かったが、何もしないで虚空を見つめている時間もあった。
信哉はオージが外の世界に向かって行くのを阻止したくは無かった。できるだけ見守りたいと思っている。ただ、それは慎重に行われるべきだった。自分の目の届かない所でオージが思いもよらない出来事に驚いたり傷ついたりするようなことはどうしても避けたかった。
離したくない。
わけじゃ、ない。
自分達で選んだ道とはいえ宮沢を出て生活を始めた。オージにとって今のこの生活が、もしあのまま宮沢に居続けた場合の生活に比べて心地悪いかと問いすれば、そうではない、と答えるだけの自信は有しているつもりだし、それを有するだけの自覚はいつだって忘れないでいたい。と、信哉は強く願う。しかしその願いが極まって問題を過てば意味が無い。

(おれは、バカだ)。


「どうだ、美味いか?」
もうさっきの話は終わりだ、という気持ちを込めたのが伝わったのか、オージの表情が少し和らいだ。
口の中のパスタを飲み込むのと同時に、こく、と頷く。
こんな時、信哉は、正直に云って涙が出るほど嬉しい。
オージが今ここに現実に生きていて、料理の感想を伝えてくれる。
(生きてるんじゃない、生かされてるんだ、おれは、オージに)。
「腕の痕、まだ消えていないな」
突然、話の流れから逸れたことを云われ、オージは問いかけるような目を信哉に向けた。
「これ?」
そう云って見せる、フォークを握る手の内側には蚯蚓腫れのように赤い跡が縦に三、四本、走っている。
「……たまに赤く目立ってくるんだ。信哉さん、これがいつ付いたものか、知ってるの?」
「オージは忘れたのか?」
二人は互いの答えを待ち合わせて押し黙った。
にらめっこに負けたように信哉が、くす、と笑った。
「そうか、本当に忘れてるのか。おれはその傷のために一生オージを忘れないけどな」
「……何?」
「いつか気が向いたら教えるよ」
すっかり覚えていないオージはかなりもやもやしたが、信哉が愉快そうにしているので無理に聞き出すこともない、と思った。
「……ニコが、今度信哉さんの料理食べてみたいって」
「オージが何か云ったのか?」
「……いつもおいしい、って」
そうか、と信哉は答えた。
それからの二人は黙々と食べることに集中した。 手作りの料理が一品ずつお皿から消えていく。
食後には恒例のレモンシャーベットが冷蔵庫に待っているだろう。絶対に。


090822