それは、二学期始業式翌日の、昼休み。
「ごめんくださいっ。柴崎茜先輩はいらっしゃいますかっ」
三年生の教室の入口でおれはとある用件でとある人物を探していた。
そう、しばざきあかね、という人物を。
(女の子みたいな名前だな)。
名前を聞いた第一印象はそうで、聞いた途端おれの脳内には女の子としての「しばざきあかねちゃん」が完成した。その「しばざきあかねちゃん」が女の子でないことは事前情報としてすでに手中にあったにも関わらず、だ。
「ん。茜に用?」、入口近くの席で弁当を食べていた生徒がおれの顔を見上げて「あ、きみのこと知ってる。二年の宮野くんだ」と遠慮なく指さしてくる。こっちとしては知らない相手だったが「ども。宮野です」なんて云っておれもぺこんと頭を下げる。その間に別の生徒が椅子の上で体をひねると教室の奥に向かって叫んだ。
「起きろ、茜ー!」
起きろと云われたからには寝ている人物だろう。
おれはすぐに、机にうつ伏せている生徒がそれだと気づいた。
罰 ゲ ー ム
「いや、だから無理だって。しゃれにならなくなったらどうすんだよ」
はじまりは始業式だった。
半時間に及ぶ校長のありがたい話をまじめに聞いている生徒などほとんどいない。多くの生徒は眠っているか隣と喋っているか、呆けたような顔、つまり休み気分の抜け切らない顔を、形だけ前に向けているところだった。
「しゃれにならなくなったら、それはそれでおもしろいだろ」
「いや、おもしろいってどこがだよ。おれは全然おもしろくねえよ」
つい声を荒げてしまって隣の女子にちらりと気づかれる。気まずくなったおれは体の向きを変えた。
宮野暁、南高校二年生。
お気楽くんに見られることが多いが実は案外小心者なのだ。
「そりゃそうだろ、宮野はおもしろくはないだろ。だってこれ罰ゲームだもん。おもしろかったらいけないよ」
「……」
緑ヶ丘中学時代から一緒である同級生、向井の顔をおれはこれでもかというくらい睨みつけた。しかし望むような効果は発揮できず、ただ相手を喜ばせただけに終わった。
「いいよなあ、宮野は。罰ゲームとは云え先輩に告白できちゃって。しかも、アノ、柴崎先輩」
本当に羨ましいと思ってるんだったら譲ってやるよ。
そう云いたいのをおれはぐっとこらえた。云ったところでやっぱり向井は楽しそうにするだけだろうから。
てか今更だけどこの罰ゲームの趣旨が分かんねえ。
ぶつぶつ呟きつつも「賭けに負けたら罰ゲームな」発言いいだしっぺのおれは、柴崎先輩のいるという教室までやって来て、入口でご対面を果たしているところだった。
ちなみにおれは柴崎茜という人物をこの時まで知らなかった。名前を聞いたこともなかった。いや、あったことはあったのかも知れないが覚えてはいなかった。とはいえ向井がおれの罰ゲームの相手に選ぶからには只者ではない。んだろうが、実際会ってみた感想として今のところこれといった特徴は見当たらない。背はおれより低いがおれがもともと発育の良いほうなので柴崎先輩はまあ男子高校生として平均的だろう。もしくは若干低いくらいか。髪色は暗く、白い肌は一見不健康っぽく見えないこともなかったが寝起きだからだろうか。顔の造りは決して派手ではないが目尻は切り込まれたように横にすっと長く、片方にホクロがあった。特徴らしい特徴といえばそのホクロくらいだ。
ところでこの罰ゲームのきっかけとなった賭けの内容は、なんてことない、「始業式までにおれの宿題が終わるかどうか」だった。おれは「終わらせる」と宣言し、向井は涼しい顔で「無理だろ」と断言した。その時のおれは確かに賭けに勝つ気でいたのだが、いざ休み終了間際になってみるととても数日ではやりこなせない膨大な量の宿題が余っていた。遊んでばかりいたおれが原因であることは疑いようもない。要は自業自得。分かりやすく敗北だった。
そして、向井の提案してきた罰ゲームの内容が。
「そんじゃ、三年の眠り王子に告白して来い」
「……それ、男?」
「うん」、向井は特に引っかかる点をスルーする勢いで頷いた。
「……なんで?」、尋ね返すおれ。当然だ。
「そういうの流行ってるんだよ、さいきん」
「……流行ってるって、どこで?」
「女子の間で」
「……そうか?」
「そうだよ」
「……そうか」
よく分からないがまあいずれにせよおれが何かに戸惑って何かに恥ずかしければ向井は満足なんだろチクショー。
「何?」
そしておれは現在、おれが向井を睨みつけたのとは比べ物にならないであろう眼力で睨まれている。
柴崎茜。
もしかして、いや、もしかしなくとも寝起き悪いタイプ。それも、かなり。
「えーと……いや、あの、その」
「てかさ、きみ、誰」
渡りに船(?)とばかりにおれはその質問に食いついた。
「あ、申し遅れましたが、おれ、みやのあかつきっていいますっ。趣味は猫の世話っ。特技はカキ氷早食いっ。好きなミツは基本メロンで、たまにイチゴミルクですっ」
云い終えてすっきりしているおれの横、柴崎先輩を呼び出してくれたグループが声を上げて笑った。
「……違う」
「え、違うって何がですか?」
おれはどぎまぎしながら柴崎先輩を見下ろした。露骨に不機嫌そうだ。
「何の用かって意味だよ。きみのプロフィールなんかに興味ない。そんなことを聞かされるためにおれ起こされたの?」
そう云って柴崎先輩はぐっと距離を縮めてきた。
このままじゃ負かされるっ。
「えっと……じゃあ、用件ですけど、」
おれは意を決した。
「柴崎先輩、だいすきですっ。待ってますんで、お返事くださいっ」
教室中に響くような声で叫んだ。冗談と分かって笑ってくれる人もいるがおれは笑えない。何故かってそういうルールだからだ。さあ云ったぞ、と振り返ると遠くから窺っていた仲間が「云った!」と走り去るところだった。云い逃げを予定していたおれが走り去ろうとすると後ろから腕を掴まれた。
「ちょっと待ってよ」
おそるおそる振り返ると柴崎先輩本人だ。
やば。
これめちゃくちゃ怒られる。
そう覚悟していたのに柴崎先輩は意外にも表情を和らげて微笑んだ。
(あ、笑うと幼い)。
黒髪が一瞬、風も無いのにふわりと揺れた。
「……宮野、だっけ」
その笑顔につられるようにおれも、はいっ、なんて、元気良く頷く。
「そんなんじゃおれ、つまんないよ? 宮野」
昼休み後半。
自分の教室に戻った途端机に突っ伏したおれは、向井含む数名の仲間からねぎらいの言葉をかけられていた。
「いや、よく云ったよ」
「さすが宮野だなあと思った」
「うんうん、惚れちゃう」
「柴崎先輩もまんざらでもなかったりして。……って、おい宮野?」
一人が顔を覗き込んでくる。
ほっといてくれ、と手で追い払った時、タイミング良く昼休み終了のチャイムが鳴った。スピーカーからは間もなく掃除の音楽が流れてくる。
おれの異変に気づいた仲間が一人ずつ去っていく。辺りに誰もいなくなった頃におれはようやく顔を上げた。そしてまたすぐに両手で顔を覆った。と云うのも、ちょうど廊下を柴崎先輩が通るところだったからだ。寝場所を探しに行くのかも知れない。
ふと何かに気づいたように柴崎先輩が立ち止まる。
おれは慌てて腰をかがめたが柴崎先輩はついにこちらを見ることなく歩き去った。
ああ。
髪をかきむしる。
どうしよう、ああ。
溜息が出る。
心も頭も何も思い通りにならない。自分も他人も何一つ云うことをきいてくれない。そんな世界で特定の誰かに特定の感情を抱くことが厄介であることはすでに経験済みだ。でも、また。まただ。
うーん。
おれは唸る。
ひとまず教室を出た。
自分の掃除場所である中庭に足を向ける。
校舎から一歩外へ踏み出すとコントラストの度合いが違った。
うーん、と唸り声をそのまま背伸びに変える。
夏休み中は太陽のぎらぎらした感じが嫌いだった。
だけど今はそんなに嫌じゃない。
(茜ー)。
「……か」。
柴崎先輩のクラスメイトが柴崎先輩を呼んでいたように呼んでみる。
ぼっと熱くなった顔面を不審がられることのないよう俯いて歩いた。
(そんなんじゃおれ、つまんないよ? 宮野)。
そう云った時の柴崎先輩の声が笑顔が。
視界にかかったフィルターみたいに。
外せもしなければ、ぼやけてもいかない。
「あかねー……、」
少しだけ真面目な声で呟いて、すぐに「せんぱい」を付け足した。
でもいつか捨てられますように、だなんて。
だって不健全なのも健全な証拠ですもの妄想はお手の物ですもの。
やば。
柴崎茜についておれはもっとたくさんちゃんといっぱい知りたくなってしまった。
090904