東高生徒会室の響信哉は、手の中の携帯電話が鳴るのを待っていた。
「……遅い」
机の上には今日中に目を通しておかなければならない書類が積んである。
時刻は午後七時半。
(四十分になっても連絡が入らなかったらこちらから電話しよう)。
もどかしさから生じる苛立ちを抑えきれず信哉は鋭く舌打ちした。
居残って生徒会室の掃除をしていた下級生が何を勘違いしたのかいきなり慌てた様子になる。
おどおどしながら用具入れに掃除道具を戻す下級生に目をやった信哉は、倉木光のことを思い出した。
この苛立ちの原因である男。
くらきひかり。
北高の生徒会長。
信哉とは旧知の仲だ。
今から十年前、光と信哉は出会った。
場所は、宮沢邸の庭で。
白 黒
当時、信哉は宮沢邸の離れに暮らしていた。
今は亡き宮沢家の女先代が若かりし頃、旅先の地で出会った英国人男性との間で生した子、それが信哉だ。
産まれてから七年間、信哉は、異国の地で、父親である男性と二人暮らしをしていた。後になって分かったことだが、男性は当時すでに家庭を持っていたらしい。子供も二人いて、年は八歳と十歳だった。
信哉が七歳になって初めての夏、どのような話し合いがなされたか知らないが、女先代の意向で宮沢家に引き取られることになった。
突然だった。
半分は自分も日本人の血を流しているとはいえ、抗い難い運命によって異国に住むことを余儀なくされたようなものだ。
まず、言葉が分からない。また、外見上は父親の特徴をより強く受け継いだものだから、周囲の目もあからさまに余所者を見る目つきとなる。幼い信哉にとって慣れ親しんだ土地と肉親から離れて暮らすというだけでも十分心細いというのに、宮沢邸の住人による冷淡な待遇はこたえた。もっとも、当事者である女先代は至ってあっけらかんとしていたが、だからと云ってとりわけ親切に接してくれるというほどでもなかった。
だから信哉には「父親」の記憶こそあれ、「母親」の記憶はほとんど無い。女先代は信哉にとっては「母親」というよりは、家と食を与えてくれる、遠い存在だった。
そんな中、信哉の遊び相手になってくれたのは宮沢邸の男女の双子だ。
双子の年齢は自分より一つ下だから、信哉を出産してから一年後、女先代は宮沢家の後継者を産んでいたことになる。
双子の姉は名を小町という。弟の名は大路。小町と大路。女系宮沢一族のならわしだろうか、家主の座を継ぐことのできない男児に対して与えられたせめてもの優越。それが、広い道を意味する「大路」という名前に込められた意味なのかも知れない。
だが当時の信哉はそう難しくは考えない。
ただひたすら、「コマチ」と「オージ」、その二人を間違えないようにするので精一杯だった。
それは容易いことではなかった。
男女の双子ということで二卵性ではあるのだが、まるで一卵性で産まれた同性の双子のように顔かたちが似通っていたからだ。酷似していた、と云い換えてちょうど良いくらいかも知れない。
その上、小町と大路はしょっちゅう服装を交換して周囲の大人を騙した。髪型は二人ともショートカットから中途半端に伸びたくらいで、中性的な顔立ちは男児とも女児とも見えた。
ある時期、小町と大路と信哉の三人の間でかくれんぼをして遊ぶのが流行った。
じゃんけんなどで決めなくともオニは最初から信哉と決まっている。これはそういう遊びなのだと教えられていたので信哉も疑問を抱かなかった。抱いたとしても遊び相手の機嫌を損ねてしまうくらいなら口にはしなかっただろう。
「もういいかい」
「もういいよう」
すぐ近くの草むらから返事がした。
これなら簡単だ、と信哉が草むらの中を覗き込むと、そこにいたのは小町でもなく大路でもなく、自分と同じような少年だった。同じような、というのは、年の近さのことばかりではない。
少年の瞳は、少し緑がかっていた。
「だれ?」
草むらから体を起こした少年が信哉に歩み寄る。
「だれ?」
信哉も少年に訊ね返した。
「おれは、くらきひかり。おまえは?」
信哉は少しの間を置いて、
「おれは、くらきひかり。おまえは?」
同じ言葉を繰り返した。
少年は声を上げて笑った。
その頃から信哉は、倉木光のことが気に食わない。
091107