まだ十二月にも入っていないというのに店内はクリスマスのディスプレイになっている。
テーブル横のツリーに飾られたオーナメントの雪だるまとにらめっこしていたまこっちゃんは「うまーい」という歓声で我に返った。
ひめかわと松橋は呼び出し人の光の到着を待ちきれずこの店のおすすめキャラメルトーストにかぶりついている。
「香ばしく苦めのこのキャラメルソースがっ」
「添えられた生クリームの甘さと絶妙マッチしてるっ」
無邪気に食欲旺盛な二人をまこっちゃんは冷めた目で見据えた。
「お。まこっちゃんも、食う?」
ふと視線に気づいたひめかわが食べかけを差し出す。
不意打ちだったまこっちゃんは「いらない」と答えた後で少し考えてから「やっぱ、いる」と受け取った。そうそう、とひめかわが頷く。
こんな時、分かられてるんだな、とまこっちゃんは思う。
ひめは、バカだけど、莫迦じゃないから。
いつも笑ってる今のひめよりいつも笑わなかったひめのほうがなんか懐かしい、とまこっちゃんはまた良からぬ妄想をした。
でもそれは危険なことだ、と待ったを掛ける自分もちゃんと存在している。
まこっちゃんは一度も「おいしい」と思わないままキャラメルトーストを飲み込み、再びオーナメントの雪だるまに目を逸らした。
その時だった、店の入口に制服姿の光が現れた。
すでに何度か来たことがあるのだろうか、カウンタ内で作業をしていたマスターと親しげに言葉を交わした後、三人のいる奥へとやって来てまこっちゃんの横の空いている席に座った。
「あ、ほんにひはー」
挨拶をしたつもりの松橋とひめかわの口の周りにはキャラメルソースがべったり付いている。
「……もうちょっと大人になれ」、思わずこぼれたまこっちゃんの言葉に光が笑った。
「仕方ないよ、だって子供だもん」
まあそうなんですけど、となんとか感情を抑えたまこっちゃんが背凭れに体を預けるのと反対に光が体を乗り出した。
「なあ、ひめ」
「はひ?」
「これうちに送ってきたのって、」
唐突に光が一通の白い封筒を取り出す。
その中にあった三枚の紙切れがテーブルに並べられた。
紙切れはどうやら週刊誌をコピーしたもののようだった。
一枚目には、資産家、一家、殺害、という文字がタイトルに組み込まれている。
二枚目には、惨殺、真相、光と影、美少女、などの文字、三枚目には少女の顔写真が載っていた。
日付を読み取ったところ最近ではない。今から三年前のものだ。
ひめかわは光の顔を見上げた。
尋問的なものを考えていたひめかわの予想に反して端正な顔は微笑みさえ浮かべている。
ひめかわは何気なく光の隣に座っているまこっちゃんに目を向けた。まこっちゃんはこの事件を知っているのだろうか。松橋は記事が広げられた途端「あっ」と声を漏らしたところからして見覚えがあるようだ。
(三年前ってったらおれひきこもりに近かったからなあ……)。
これがどうかしたんですか、と疑問を口にしたひめかわは再び光の顔を見上げて息を呑んだ。
猫に睨まれた鼠ってこんな気持ちだろうか。
ひめかわは生まれて初めて鼠の気持ちを実感する。
それでも光の笑顔は相変わらず崩れていない。ニコに近いものがある。
硬直するひめかわの顔に光はさらに顔を寄せ、耳元に唇を近づけて云った。
「送ってきたのって、まさかてめえじゃねえよな?」
キ ャ ラ メ ル ・ ラ メ B
ちちちちちちちがいますっ。
すすすすすすすいませんっ。
ゆゆゆゆゆゆゆるしてくださいっ。
椅子の上で縮こまったひめかわは隣の席の松橋に力一杯しがみつきながら容疑を否定した。しがみつかれた松橋にもひめかわの恐怖が伝染したようで、ひめかわと一緒になって椅子の上に足をのせてがたがた震え上がっている。
「んな大袈裟な」とまこっちゃんがヘタレズを哀れみの目で見てくるが、「まこっちゃんは正面に座ってないから見えなかっただけだっ」と反論するくらいの権利は二人にも残されている。
「ふうん。悪いことしてないのに謝るわけ?」、光は容赦無く追い討ちを掛ける。
三枚の記事を重ねて封筒に戻しながら「おれは信哉と違うよ?」と釘を刺す光の笑顔は、何が違うか分からないがとにかく不吉な点で不穏な意味で違うのだろうとひめかわを一層震え上がらせた。
「信哉は詰めが甘いんだよね」
いえいえ、詰めの甘い人が金属バットかついで他校の祭りに乗り込んできたりとかしませんからっ。
と、七祭でのことを主張したいひめかわだったがそれを見越した上でなお詰めが甘いと光が称しているのであれば今自分は黙して語らずが得策なのではないかと思い直した。
「ま、ああ見えて凶暴なのは凶暴だけど」
いやいや、ああ見えてってか見たまんまですからっ。
と、初対面の時点で信哉に恐怖心を植え付けられた松橋などは主張したいところだったがそれよりも今目の前にいる人物の体から発せられる得体の知れないオーラを刺激するほうが状況の悪化に繋がる恐れが強いと思い直した。
「まあ、違うって否定する人間に自白を強要するほど悪質ではないからしないけどね、でも、疑いは捨てないどくよ」
封筒を鞄に仕舞い込んだ光は店員にエスプレッソを頼んでから姿勢を元に戻した。
距離的に離れたおかげでひめかわと松橋も少しは緊張がほぐれる。
おそるおそる床に足を戻そうとしたところで再びびくっと跳ね上がり椅子の上に縮まった。
光がポケットから何かを取り出したからだ。
「う、撃たないでください! はひいっ!」
咄嗟に松橋が叫んだが出てきたのはただのライターだった。
煙草に火を点けた光はまこっちゃんと反対側に向けて最初の煙を吐いた。
松橋は止めていた息を長く吐いた。
光が口を開く。
「いるんだよね、こういうの。嗅ぎ付けて、どう思いますか、って。その度に思い出させられて、挙げ句には、そっちも悪かったんじゃないか、って。やったほうだけが悪いんじゃないんじゃないか、って」
光は今朝の信哉からの電話を思い出す。
オージにマスク着用を云い付けたのは風邪対策のためだけじゃない。先日、家に送付された封筒の中身をオージも薄々気づいているだろうことを知っていたからだ。何故なら初めてのことじゃない。差出人の無い手紙。顔の見えない送り主。やや厚みのある封筒の中にある物は、決して良い物ではない。
オージにとって分厚いめがねもぼさぼさの髪もライナスの毛布みたいなものだ。それがあると安心できる。それがあってやっと落ち着ける。
(せっかく生きているのに、生き残れたのに、どうして太陽にあたっちゃいけない?)。
光の脳裏に小さい頃の思い出が蘇る。
小町と大路。
面倒な事があると弟と入れ替わって難を逃れていた双子の姉。
自分がずっとあれは小町だと思っていた小町も。
自分がずっとあれは大路だと思っていた大路も。
もしかすると小町じゃなくて大路で、大路じゃなくて小町。
そんな要領の良い小町も、その要領の良さで最大の難を受けた。
ただ、これはあくまで憶測に過ぎない。
「……あの、光さん」
ぶるぶるしているヘタレズを横目に、まこっちゃんが光に声を掛ける。
「おや、何かな?」
「あの二人は、知らないんです。その、事件のことも。オージくんが、その、関係者だってことも。だから、」
「だから、いじめないでくだしゃい?」
「……いや、そういうんじゃくて。てか何で語尾おかしいんですか。おれそういうつもりじゃ」
「ごめん、遊んだ。でも、まこっちゃんは知ってるみたいだね。今の云い方からすると。どうしてかな?」
「お、おれは」
「まあ、別におかしいことじゃないけどね。一時はあんだけ報道されたんだ。白紙の状態には戻せない」
「……ええ、そういうことです。でも、ひめと松橋は本当に、」
「うん分かってる」、まこっちゃんの言葉を途中で遮って光が云う。
「彼らがそういうことしそうにないってのはなんとなく分かるよ、これでも人を見る目あるからね。てか、できそうにないでしょ。あのヘタレっぷりが演技ならその才能ゆえに逆に許しちゃうしね」
「……の割には随分本気で問い詰めているようでしたが」
「うん。そこはおれの性格の問題だ」
これ以上光には何かを話す気はなさそうだと判断したまこっちゃんは追加でデコレートクッキーを注文した。
やがて運ばれてきたのはリボンのかけられた袋に入ったクッキーだ。
「食べれば?」
自分の前に置かれた皿をまこっちゃんはひめかわ達の前にスライドさせる。
「うおっ」
まだ体をがちがちさせていた二人はその言葉に顔を輝かせ早速リボンをほどきにかかった。
「……なんか、ペット化してないか、こいつらのこと」
光が煙草を灰皿で消しながらまこっちゃんに質問する。
「ええ、似たようなものです」
カプチーノに口を付けたまこっちゃんが顔を上げるとミルクで白い髭ができていた。
それを見たひめかわが大笑いして、その後は光も一切、先の内容には触れず、北高の校内行事やオージの思い出話など訊かれたことについて語りながら会話を楽しんだ。
「へえ、光さんちっちゃい頃はオージと一緒に暮らしてたんですか。あれ、でも、信哉さんもそれらしきこと云ってましたよ」
「うん。だっておれと信哉とオージ、異父兄弟だもん。母親だけおんなじ」
ん、と首を傾げた松橋は事情を理解し「ハレンチ!」と顔を覆った。
「え、何が?」
と首を傾げていた光はふと何かに気づいたように頬を緩め、
「あ、もしかして松橋、お前さ、まだなんだろ」
と口角を吊り上げた。
「ぎゃっ云わないでください、まだなんだろ、とかおれに対してタブーワードなんです、それ以上は云わないでくださいいい」
あの日エースに云われたトラウマがあああ、と松橋は顔に当てていた両手を今度は耳に移動させた。
「そうだ、松橋。今度、紹介しようか」
光が提案すると、松橋の顔にまんざらでもない表情が浮かぶ。
「ほ、ほんとですかっ」
悪くはない話だぞ。むしろこの光さんが紹介してくれるんだから絶対美人だろうし、いや案外かわいい系かもな、まあ今の段階ではどっちでもいいやそれに西高内でおれエースの付き添いみたいなイメージ定着しちゃってるからむしろこれ他校に出会い求めた方がいいんじゃね。
的な思考が松橋の頭の中を駆け巡っていた。
「好みのタイプとかどんなの?」
「え、おれは……えと、背はちっちゃい方が良くって、色白で、髪の毛は黒で、できればさらさらロングで、性格は、物静かで、一言で云えば、大和撫子って云うか……夏のお嬢さん、って云うか……」
うわ懲りてねえ、とまこっちゃんは心内で毒づいた。
「……なんですけど、そういう方、いらっしゃいますか」
「いるいる。どちらかっつうと北高ってそういう雰囲気の子が多い。ギャルいないよ」
「うわ、おれ北高行けば良かったっ」
西高に入学を決めた自分の選択を後悔する松橋の隣でひめかわが「えっ」と声を上げる。
「ダメだよ、それ。だってもし松橋が北高行ってたら、おれ、松橋に会えなかったもん。また別の形で会ってたかも知れないけど、高校時代に出会えなかったもん。そしたらきっとこんなふうに仲良くなれてなかったかも知れないし」
「……うう、ひめ……!」
「……まつばせっ……!」
やっぱこんな子でお願いしまっす、と松橋がひめかわの顔を指差す。びしっ。
もうええわ、とまこっちゃんが松橋のつむじにチョップした。びしっ。
そういえばあと一ヶ月でクリスマスかあ。
まこっちゃんの珍ツッコミに笑いながらひめかわはツリーを見上げた。
赤いリボン。てっぺんの星。
白い雪。不機嫌そうなオージ。
(いっしょに過ごせたらなあ)。
ただそれを願っただけなのにひめかわは興奮してきて今にも踊りだしたい気持ちになった。
姫川一馬、高校二年生、冬。
肉体も恋心も絶賛青春中。びしっ。
091122
そうだ、プレゼントだけでも準備しとこっ。(byひめ)