放課後、待ち合わせ場所である公園に着いたまこっちゃんは腕時計で時刻を確認した。予定より十五分近く過ぎている。
「……しまった」
ふと視線を感じ顔を上げると向かい側のドーナツ・ショップから手を振ってくる人がいる。南高の制服を着たその人物の顔を見てまこっちゃんは自然と顔がほころんだ。

「柴さん、お久しぶりです。遅れてすいませんでし、た……?」
店内に入り柴崎の座るテーブルに歩み寄ったまこっちゃんは、こちらに背を向けて座っている、南高の生徒に気づいた。相手側もまこっちゃんに気づいた様子で振り返り、騒々しく音を立てながら椅子から立ち上がった。
「あ、こんにちはっ。おれ、みやのあかつきって云いますっ」
柴崎から事前に聞いて知っていたのだろうか、宮野はまこっちゃんのことを「まこっちゃん」と呼んだ。
一瞬、まこっちゃんは眩暈を覚えた。
しかしそれは、柴崎との久々の再会シーンで柴崎以外の人物がいたことに対する煩わしさのためではなく、あるいは、その宮野と名乗る初対面の相手のいっそ清々しいほどの馴れ馴れしさのためではなく、テーブルの上に積み上げられたドーナツが欠けていたからではなく、ましてや何らいつも通りの柴崎が原因なのでもない。
まこっちゃんから反応が返ってこないことに慌てた様子で宮野が自己紹介を続ける。
「まこっちゃんと同じく高2ですっ。趣味は猫の世話っ。今季の好きな食べ物はフォンダンショコラで、嫌いな食べ物はパクチーですっ」
雨上がりの雲間から顔を出した太陽のような輝きを放つ宮野を見ていたまこっちゃんはますます頭が痛くなった。ふと柴崎を見ると澄ました顔でストローを吸っている。まこっちゃんが「いいな」と感じていた目尻のホクロは健在だ。安心した。
柴崎と最後に会ったのは柴崎の中学卒業式以来。あれから約三年の月日が流れていたが変わった様子は無い。切れ長の目尻も、掴みどころの無い様子も。変わったところといえば、中学時代から変人扱いされがちで単独行動を好む柴崎に連れがいるという点においてだった。変人の友人は変人だ。そんな偏見を持つまこっちゃんはことさら宮野を警戒した。しかし仮に宮野が本当に変人だとしても、その要素は外見からは発見できなかった。


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「……どうも、永崎真です」

フルネームを名乗ることでやや突き放す気持ちを込めたつもりだが宮野の精神はそれを感じ取るほど繊細ではないようだ。ひとまず反応があったことに安心したらしく、一段と笑顔になる。背景で星の流れる音がしそうな笑顔だった。後輩にモテそうなタイプだ。
(いや、むしろ年上からか)。
まこっちゃんは柴崎の顔を見た。
目が合った。
柴崎はゆっくり微笑んだ。
「お久しぶり、まこっちゃん」
「どうも」、動揺したまこっちゃんは何故かお辞儀してしまった。
席は柴崎の隣と宮野の隣の両方が空いていた。まこっちゃんは迷った挙句、宮野の隣に座ることにした。そこからなら柴崎の顔をよく見られると思ったからだ。
「あ、おれ、飲み物頼んできますよ。まこっちゃん、何が良いですか?」
「あのさ、宮野くん」
「はい?」
「敬語、取って」
「あ、そっか。同い年ですもんね。えっと、で、何が良いですか?」
あんた頭弱いのか。
小さく溜息を吐いたが気づかない宮野は飼い主からの命令を待つ犬のような目でまこっちゃんを見ている。
「……じゃ、ホットココア。よろしく」
はい行ってきますっ、と威勢の良い返事を残して宮野は去った。
テーブルを隔てて柴崎と向かい合ったまこっちゃんはすでに軽い自己嫌悪に陥っていた。
(おれは小姑か)。
ふと顔を上げると柴崎が首をかしげている。
まこっちゃんは、読まれてる、と直感した。
「宮野暁。おれの、後輩だよ」
「……その情報はすでに本人から聞きました」
「かわいいでしょ」
「柴さんの持っているかわいいの定義をおれは正確には知りませんが、彼は不細工ではないと思います」
「ははっ。変わっていないね」
「はい?」
「拗ねると発言が英文の直訳みたいになる癖」
自覚のある点を指摘されたまこっちゃんは風邪でもないのに咳をした。
「べつに、拗ねてるわけじゃ。それに、変わりませんよ。たった三年じゃ」
自分で「たった三年」などと云っていながら、その三年を取り戻せないことも分かっていた。それは自分にとっても同じことだ。この三年間、何も無かったわけじゃない。この三年間を抜き取ってしまえば、今の自分じゃないことも。
変わっていないのはきっと、離れていた当人達だ。
少なくとも、おれは。
「今回も、柴さんから、ですか?」
「今回も、って何? おれから、って何?」
柴崎は食べかけのドーナツを一つ、指先で摘んだ。アルファベットのシーの形に欠けている。柴崎はそれを持ち上げ「視力検査」とちらつかせた。まこっちゃんは「下」と答えた。正解、と述べた柴崎はパン食い競争のパンを食べる要領で欠けたドーナツを下から食べる。
「……忘れたんですか」
誰にも云ったことはないが、あの頃まこっちゃんは柴崎が好きだった。
それが何という名前で分類される気持ちなのか判断は付かない。判断する意味も特に無いと思う。
自分のことを、まこっちゃん、と呼んでくれた。新しい世界を見せてくれた。柴崎のことを好きになるにはそれでもう十分だった。
卒業式では、もう二度と会うことはないだろうと思った。
それは、卒業式というイベント特有の錯覚かも知れない。もう会えないと思うことでせつなさを募らせ、これが最後と思うことで過去の思い出をより美化する。
しかし、こうして再会した。
メールでのやり取りはちょくちょくしていた。内容は廃墟に関する情報交換に徹底しており、学校生活や私生活に関する文面は一切無かった。ましてや互いの交友関係には一切触れていない。
むろん宮野の存在もついさっき初めて知った。
「ううん、あっちからだよ」
柴崎のその言葉が質問に対する回答だとまこっちゃんが気づくのに数秒を要した。
「宮野はおれのことがだいすきなんだって」
「そんな感じですね」
「あ、分かる?」
「分かりますよ、だって」
(だって、おれもそうでしたから)。
なんて、云うわけがない。
云えるわけ、ない。
「だって、見るからに懐いてますもん。犬のように。おれによくするのだって、おれが柴さんの知り合いだからなんでしょう」
「はっはっは。そういう見方をするんだったね、まこっちゃんは」
「忠犬ですか。駄犬ですか」
「基本的には忠実だよ。ただ、」
「ただ?」
「ベッドの中では、まだまだ駄犬かな」
「はい?」
「そう、彼は、待てができないんだ」
そう云って柴崎は憂鬱そうな溜息を吐いた。そこには喪服を着た未亡人のような独特の色気がある。
まこっちゃんは瞬きをした。
常に流し目のような柴崎の視線が、まこっちゃんの頭頂部を通過してその後ろに投げかけられる。

がちゃん、とカップを落とす音が響いた。
「あちっ」
いつの間にかまこっちゃんの背後に立っていた宮野が手にしていたトレイをうっかり落としてしまったのだった。
床にココアの液体がひろがる。
店内の客の視線が一気に集まった。
「片付けはお任せください。それよりお客様はあちらへ」、駆け寄ってきた女性店員が制服の前を汚した宮野を洗面所へと案内した。

「すさまじく確信的犯行ですね」、まこっちゃんが柴崎の目を見据える。
「かわいかっただろ。冗談であんなに赤くなってた」
楽しそうに肩を揺らす柴崎に罪悪感など無い。
「なんだ。冗談、でしたか」、その時だけはまこっちゃんも宮野に同情した。
「で、柴さんのほうはどうなんですか。宮野くんのこと」
それはまこっちゃんの柴崎に対する精一杯の攻撃だった。
柴崎が頬杖の状態から顔を上げる。
一瞬、虚をつかれたような表情を浮かべたが、またすぐ元に戻して云った。
「すきだよ。だい、が付くかどうかはまだ分からない」。
それを聞いたまこっちゃんは心の中で「やっぱりな」と頷く。
いっそすっきりした。
吹っ切れたように背凭れに体を預けて伸びをするまこっちゃんに柴崎が顔を寄せる。
「だめだよ、まこっちゃん」
「何がですか」
「宮野はおれのものだから」
それも冗談のつもりで云ったんだろうが、にしても柴崎はまこっちゃんの真意に気づいていない。今回ばかりは気づいていないフリをしているのでもなさそうだ。
でも、見抜かれないことは成功なんだ。
まこっちゃんはそう思うことにした。
「安心してください。おれ、横取りの趣味はありませんから」
まこっちゃんは得意の無関心を装った。
しかし柴崎がまこっちゃんにそう釘を刺してみたくなる経緯も理解できないではなかった。
初めて宮野を見た時、まこっちゃんはこう思ったのだ。
(……あ、こいつ、似てる。ひめに似てる)。
もしもそこにまこっちゃん本人にさえ気づかれることのない感情の露呈があったとしたら、柴崎の指摘もそれほど不適合だったことにはならない。しかし話はそこまで複雑な方へ持ち込まれなかった。柴崎もまこっちゃんも深追いするタイプではない。
しかし柴崎の次の台詞はまこっちゃんを動揺させた。
「あ、分かった。好きな子横取りされたんだ」
思わずまこっちゃんは椅子から腰を浮かせた。「はい?」。見当違いだという雰囲気を滲ませつつ、内心では自分の落ち度に気づいていた。
「横取りって発想が出てきたってことは、自分が横取りされたんだよ。ね」
そして柴崎は的確に指摘してきた。
まこっちゃんはひめかわを思い出して黙った。それから、ひめかわが夢中になっている人物のことも。
横取り。
自分のもやもやの原因が、この世にありふれた、子供じみた、そんな言葉、だったとは。
「かも、知れませんね」
しかも、あんたの件で二度目なんだよ。
まこっちゃんは正直へこんだ。
「話、聞くよ? 場合によっては力になる」
柴崎のその声でまこっちゃんは項垂れていた頭を上げた。
「どうしてそんなに親切なんですか」
「だって、まこっちゃんだもん」
仏様のような顔で柴崎がまこっちゃんを見下ろしている。

イケナイコト、しようとしてる人の目だぜ?

最近そう云ってきたのはエースだったか。
エースと呼ばれるようになるだけのことはあるんだな、確かに。



柴崎とまこっちゃんが密談を終えた頃、ようやく宮野が席に戻ってきた。
テーブルの上には女性店員が運んできたホットココアが置かれている。
「……すいませんでした。なんか、二度手間になっちゃって」
椅子に座った宮野が肩を落とす。
「いいよ。おれが自分で注文しに行けば良かったことだし。逆に、ごめん」
「……まこっちゃん」
「そうだ、宮野。帰りはおれの家に寄っていくと良いよ。着替え、貸してあげる」
「……え、茜ちゃ、いや、柴崎さんのお宅にですか、光栄です!」
沈んだ表情を浮かべていた宮野の顔が瞬時に明るくなる。
わっかりやすいな、と心の中で呟きながらまこっちゃんはようやく手元に辿り着いたホットココアに口をつけた。


091206
クリスマス前って嫌いだ。 (by まこっちゃん)