なんでおれまたここでバイトしてんだろう。

駅裏の小路に入った先にある喫茶店『ベリベ』のカウンタ内でオージは自問していた。

「あ、オージ、それかわいいっ」

奥の席でいつものメンバー、すなわち、西高の松橋、まこっちゃん、エースらと「クリスマスの思い出」について語り合っていたニコが追加注文のためカウンタに近づいてくると、オージの顔を指差してはしゃぎだした。

「……何が」

この世の楽しいことは全部おれのものと云わんばかりに屈託無いニコの笑顔に、この世の楽しいことは全部おれとは無関係だと云わんばかりの声でオージは訊ね返した。何がメリークリスマスだ。

めずらしくニコに対して無性に苛立ちを覚えながら視線の先を辿り、頭上に手を載せてみたオージは、自分がいつの間にかサンタ帽をかぶっていることに気づき勢い良くそれを床にたたきつけたのだった。


ス ト レ イ ・ ス タ ー




てっめえ、とオージが振り返ると全身サンタ姿の犯人ひめかわが不満げに唇を尖らせている。
「……あーあ、かわいかったのに」
「知るかっ。勝手に変なもの頭にのせてんじゃねえよっ」
「せっかくおそろいなのにい」、ひめかわはオージの足元からサンタ帽を拾い上げるともう一度オージにかぶせようとして腕ごと振り払われた。
カウンタ内の様子を聞きつけたエースが「オージくん、も一回見せて」とアンコールする。隣の松橋も同調し、まこっちゃんだけは頬杖をついてホットココアに視線を落としていた。
「……は、ばかじゃねえの。しねえし。誰がするかよ」
ぶ厚いめがねの縁を指で揺らしながらオージは彼らに背を向けた。

事の発端はつい昨日。
「明日、予定入ってる?」。
ひめかわの質問に「べつに」と曖昧に答えたのが思えば運の尽きだった。
だったらおっちゃんとこでクリスマスパーティー兼おこづかい稼ぎしよっか、と誘われ、最初の内こそ拒否していたオージだったが根負けしてしまった。
ベリベに行くのは夏休みのバイト以来だ。
正直、オージ自身、そろそろ行きたくなっていた頃だった。本当に行きたくなければ何が何でも拒絶しただろう。
相談を受けた信哉は苦い顔をしたがその場に同席していた光の助言でなんとか許可をもらえた。その代わり帰りはおれを呼べよ、と信哉のお迎え条件を付けられているがいつものことだから特に問題は無い。
ちなみに信哉は生徒会の集まりがあると云い、光は個人的な用事があるようだ。
どちらも女子からかなりの数の誘いを受けているに違いないが、信哉と光では対応がまったく違う。生徒会の集まりに出席するというのは信哉が他の誘いを徹底して断るための丁度良い口実だったかも知れない。
「ねえ。大路くんって、クリスマスは響さんと過ごすの?」。
数日前、上級生から訊ねられたことをオージは思い出す。なんだこいつ妙な質問をするな、てかおれも響だし。と訝しんだオージだったがしばらくしてから理解した。一対一が不可能ならばせめてあわよくば同席させてもらおうという魂胆だったのだろう。もちろん目的は信哉だ。
(……そういえば信哉さんのそういう話、聞いたことない)。
原因の一つは自分にもあることをオージは分かっている。そういった点では光のように好きに過ごしてくれた方がオージとしても気が楽だった。ただ、それは信哉の所為だけではない。携帯電話の着信を確認する癖は止まない。それはオージからの着信に限ったが、かつてたった一度の着信を無視したことを後悔している信哉にとっては仕方の無いことだ。自分があの電話に出ていればもしかすると助かったかも知れない。現実はどうだったか今となっては時を遡って知ることはできないが回想はいつも同じ道をたどる。自分の関心が少し遠ざかりちょっと目を離した隙に尊いものが奪われてしまうことの恐ろしさを体で分かっている。光にはそれが無い分、信哉よりオージから自由だとも云える。

「……ごめん、もうしないからっ」
ひめかわの声で我に返ったオージは何を謝られているのか把握できなかったがサンタ帽の件だろう。
「本当にもうしないな?」
「うん、無断でオージの頭にのせたりしないから」
「絶対だな」
「だから、おねがい、も一回かぶってくださいっ」
「無断じゃなければオッケーっていう問題じゃねえしっ」
オージに怒られたひめかわはしくしくしながらサンタ帽を手の中で丸めた。ニコが「あ、じゃおれにちょうだい」と奪って行った。ひめかわはその後姿を見送り、オージの横顔に目を向ける。
「本当に、ごめん。だから、そんな哀しい顔しないでよ。オージが哀しいと、おれも哀しくなる」
オージはゆっくりとひめかわを仰いだ。
哀しくなる、と云いながらひめかわの目が潤んできている。
オージはすっと目を細めた。
「……は。何が? おまえ何泣きそうになってんだよ。ばかじゃねえの、」



きっと血はまだあたたかかった。
父親よりも母親よりも、小町がいなくなったことで自分の家族はいなくなった。
あの日は補講を受けていて、帰りが遅れた。
もしもいつもどおりの時間に帰っていたら。
そう考えて怖くなった。
だが、弔いを終え、事件が報道され、悲劇が「劇化」する頃になるともう、目の当たりにした瞬間のようには考えることはなかった。
いつもどおりに帰っていれば良かったと、逆を考えるようになった。

黒い手は一家を拭い去ろうとしたが小指から欠片が漏れた。

どうしてすべてじゃなかったんだ。

この顔が嫌なんだ、と云うオージにめがねを買ってくれたのは信哉だ。
鏡の前に立ち少しは気分が落ち着いたが物足りず、髪の毛を伸ばすことにした。
眉間に皺を寄せるようにして物を見る。

そうして自分に似た誰かは、笑い方を忘れることにした。



「だって、オージが泣きそう」。
ひめかわが目を潤ませながら無駄に接近してくるのでオージは後ずさりした。そう広くないカウンタ内なので後退場所はたちまち失われる。今にも抱きつかんばかりの距離に迫ったひめかわがオージの瞳を覗き込む。
「泣かないでよ、オージ」
「……泣きそうなのはおまえだし」
「うそっ」、ひめかわは慌てて目をこすった。泣いてないもんもう絶対泣いてないもん、と、訊かれてもいないことを繰り返し主張しながら。それから顔を上げると今度はすっかり笑顔で「じゃ、そろそろプレゼント交換しよう」、と突然云い出す。
「……は?」
首をかしげているオージを奥の席へ引っ張っていったひめかわは空いている場所に無理矢理座らせた。まこっちゃんの横だ。向かい側のエースと目が合う。にやりと笑いかけられたので睨み返した。
ひめかわは単純でバカだがエースはクールで意味不明だ。
以上の解釈はオージによる。以上。

「えっとね、まずはまこっちゃんから」
ツリーの下に置いてあった白い布袋からひめかわは包みを取り出してまこっちゃんに渡した。
「あ、どうも」、まこっちゃんは当然のように受け取る。
「えっとね、ブックカバーだから」
「云っちゃうのかよ!」、松橋が席を立つ。ひめかわは不思議そうに首をかしげて「間違って渡してたら嫌じゃん」と述べた。ああそうか確かにそうだよな、と納得してしまう松橋だ。
ひめかわは続けて袋の中をごそごそ云わせた。
「次はね、えーと、あ、松橋宛てだ。はい、これ」
「うわ、ありがたいっ。って、結構ちっちゃいな。何だろ」
ひめかわはラッピングに付いていたメモを読み上げた。
「中身はね、開けてからのお楽しみだって」
エースが「ま、来年こそ、ソレ、使えるように頑張れよ」と肩を叩く。それで中身を理解した松橋が赤面しつつ「うっせえよ」などと声を張り上げるのをニコが遮った。
「はいはーい、ひめ、おれのはっ?」
「あ、ニコ宛てのもちゃんとあるよ。ちょっと待ってな」
そう云ってひめかわは赤いブーツの形をしたお菓子の詰め合わせを取り出した。
「わあ、すっげえっ。おれ去年これお願いしてたんだっ。さすがサンタさんっ」
受け取ったニコは、この量なら正月までもちそう、とほくほくしている。去年何を誰にお願いしていたのか他のメンバーはあえて訊ね返さなかった。ニコはまだまだ夢見る少年なのだ。
送り主のまこっちゃんは(ふうん。近所のスーパーで500円で売ってたやつだけどああまでして喜んでくれると結構嬉しいもんだな)と実感していた。
「えとね、次はね」、と続けて袋を漁るひめかわの肘をオージが突いた。
「……なあ、あのさ」
「ん、オージのもちゃんとあるよ。後でね」
「いや、そうじゃなくて。これってどういうシステムになってんだよ」
「あ、そっか。オージは初めてだから知んないか」
ひめかわは今気づいたように云ったがニコも初めてのはずだ。あまりに溶け込んでいて気づかなかった。
「そうそう。これね毎年やってんだ。毎年って云っても去年からだからまだ二回目なんだけど。まず、参加メンバーの名前を書いたあみだくじ作んの。で、好きなところ選んでもらって、プレゼントの贈り主と貰い主のペア決定」
ねっ、と何故か自慢げなひめかわ。
オージは自分から質問しておきながら気の無い反応を示した。

その後も袋からは続々とプレゼントが出てきた。
「はい、じゃあこれでおしまいっ」
預かっていたすべてのプレゼントが行き渡ったところでひめかわが袋を畳み始める。
「……いやがらせか何かか」、何も手にしていないオージが不機嫌に立ち上がろうとした時だった。
店が、暗くなった。
突然のことに人々がざわつき始める。
数秒後、店内が明るくなった時、オージは目を見張った。
天井にも壁にも大小さまざまな星が光っている。しかもそれは一色ではなく、赤や青や黄色や緑だったりした。
「……オージ、これがおれからのプレゼントっ」
呆然としていたオージは、はあ、と気の抜けた返事をした。
「てか、おれだけじゃなくてみんな見てるし」
「もう、違うっ」
「何が違うんだよ」
「まだ分かんないか。鈍いなあ。ま、そんなとこもかわいいけどっ」
「は、だから何が」
「だから。この星の並び。よく見ろ、オージ・ラブユーって書いてあるだろっ」
またも自慢げなひめかわにオージは一言、「……気持ち悪い」。
オージなりの照れ隠しなんだろうと考えるポジティブなひめかわは思い切ってオージの両肩に両手を置いた。
「お、オージっ」
「……な、何だよっ」
さっきまでとは違うひめかわの様子に、オージがびくっと体をこわばらせる。
「いけいけ、ひめー、ごーごー、ひめー」、エースと松橋が囃し立てる。
「お、お、オージっ」
「……てか何、力入りすぎてて怖いし。あとおまえセンス無いのに思い切った真似する癖やめろよもう。見てるほうが恥ずかしいし。てか、居た堪れないし」
「……オージ!」
オージが、オージがおれのことを心から心配してアドバイスしてくれたあっ、と感動するひめかわが「すきっ」と飛びつくのとオージが後ろに倒れるのと店内が外からの強い光に照らし出されるのとは同時だった。
光線の正体は車のヘッドライトだ。
何者かが意図を持って照らしている。
そう何者かが意図を持って……、
「あ、信哉のお迎えだねっ」
ニコの元気な声と裏腹にその場に居たメンバーは全員体をこわばらせた。店内にいる他の客はむしろ展開を楽しんでおり、これから何が起こるのかと期待に胸を膨らませた。
ヘッドライトが消え、運転席から人影が降りてくる。
店のドアが、ぎいい、と開いた。
「あれ、おかしいな。おれこれに似た光景どこかで見た記憶がある」、エースが云うと松橋がうんうんと頷く。
「分かる分かる、おれもこれどっかで見た。洋画だったような気が」
でもどこだったか、と唸る二人の前でまこっちゃんが呟いた。
「……ターミネーターの冒頭じゃないか」
ああそれだ、と手を鳴らすエースと松橋。

ついに店に入ってきた信哉は店内を見渡し、ひめかわとオージのいる方へゆっくりとしかし確実に歩み寄ってきた。
俯瞰してくる信哉とバッチリ目が合ってしまったひめかわが、ぎゃあっ、と情けない悲鳴を上げ反射的にオージに密着する。
「やっぱすごいな、信哉のオージセンサーっ」、この場の緊張に不釣合いな陽気さでニコが笑う。それは場の空気を和らげるわけでもなく、かえって張り詰めた空気をことさら強調する。

嗚呼、左様なら、我らがひめよ永遠に……。

誰もがそう確信した時だった。
店の電気がついた。スイッチの前にまこっちゃんが立っている。
(助かったぜ、まこっちゃん!)、ひめかわは慌てて立ち上がるとオージの体を起こす。信哉からの鋭い視線を痛いほど全身に感じつつ、必死でオージの衣服に付いた床の汚れを払い落とす仕草をした。周囲よりかなり遅れて状況を把握したオージが「あ、信哉さん」と名前を呼ぶと、信哉の視線は初めてひめかわから逸らされた。

「用事が済んだから来てみたんだが、邪魔だったか?」、信哉の言葉にひめかわが「とんでもないっ、いやもう大歓迎ですっ」と即答するがその声は情けなく震えている。

何故かひめかわの緊張をありありと感受できてしまった松橋は既に平然としているエースの腕にしがみついた。「ん、何だよ」。「すまんエース、おれとひめは一心同体なんだ、ひめが怖いとおれも怖いっ」。「ふうん、ま、いいけど」。「すまんっ」。がしっ。

信哉は手にしていた紙袋をテーブルの上に置いた。
メンバーの視線が集まる。
「ひめかわ、取り出せ」
「はいっ」
信哉の命令に躊躇しないひめかわは中身を確認せず紙袋の中に素手を突っ込む。
ああしかしそこには猛毒を塗られた大量のハリネズミがあっ。
わけの分からない妄想に陥っていた松橋の予想とは裏腹に目に飛び込んできたのは、誰もが知っている高級洋菓子店のロゴだった。一口分のチョコレートが数百円する。
「クリスマスケーキの差し入れだ。もう食ったか?」
だとしても、食え。
と真顔で云われれば断る理由はどこにも無い。
ひめかわはカウンタから皿とフォークを多めに持って来ると様子をうかがっている他の客にも声を掛けた。
「あの、もし良かったら一緒に食べませんかっ」
ひめかわとしては少しでも人口密度を高めるつもりで云った台詞だったが好評だったようだ、小さな喫茶店は大家族で行われているようなクリスマスパーティーと化していった。





(ああ、これ、いつ渡そうかな)。
ひめかわはズボンの後ろポケットに隠し込んだプレゼントの厚みを確認した。中身は手袋だ。先日、駅に立っていたオージが寒そうに指先に息を吐きかけているのを見た。
(もしかしてもう誰かが先に渡しちゃったかな。信哉さんとか)。
ひめかわはケーキの味が分からないくらい考え込みながらオージの方をちらりと見た。
ケーキを口に入れたオージが静かに笑っていたように見えたがひめかわの視線に気づき目が合うと怒ったような顔になってしまった。

(……一応、準備だけはしてきたし)。
オージは上着のポケットに押し込んできたプレゼントの厚みをこっそり確認した。プレゼントと云っても中身は猫缶だ。そう、猫の缶詰。マグロ。一缶。
相手のひめかわは必ず準備してくるだろうし自分だけ何も渡さないのは気分が悪い。だからと云ってひめかわの利になるような物、後々形が残る物は選べない。迷った挙句、姫川家に住まう猫達のことを思い出した。
だけど、ばかずまなら自分で食いかねないし。
そう考えたオージは思わず笑いそうになったところで、自分に向けられるひめかわの視線に気づいた。

「……あいつ、むかつく」。

そう呟いたオージは真っ白なケーキにフォークを刺す。
いまだにどの星の並びが文字になっているのか発見できずに。


091224