三日ばかり冷たい雨が降り続いた翌日のこと、青い空には雲ひとつ見当たらなかった。
休憩時間に入った途端ひめかわは机に体を倒した。
先日の席替えで当選した日当たり良好な窓際の席が祟ってこの日は特に眠い。
「ふあああ」。
口を開ければあくびが出る。
腕に顔を埋めたひめかわはちらりと斜め後ろを振り返りまこっちゃんの様子を確認した。
机に広げてあるのはおそらく『月刊・わすれられた日曜日』だろう。全国各地の閉園した遊園地に関する記事がメインだ。その他にもまこっちゃんは廃墟関連の同人誌を多数、定期購読している。たとえば『季刊・名も無き遺影』、『不定期発刊・ひみつ』などなど。そのほとんどが個人発行で、中にはまこっちゃんの中学時代の先輩の編集による物もあるそうだ。内容について詳しく教えてもらえたことはない。ひめかわは興味を持って質問するがまこっちゃんはあまり触れて欲しくなさそうな反応をするのだ。確か、何らかの事件により住人が引越し無人となった空き家がメインの冊子で、タイトルは何だったか。息の長い冊子だった。
(そういえばさいきん、おれ、まこっちゃんと廃墟探検とかしてないなあ)。
その時、ひめかわの視線に気づいたまこっちゃんがふと顔を上げた。
おは。
笑顔で手を振ったひめかわに気づいたまこっちゃんは一度上げた顔をまたすぐ戻した。
「うわあ、ふられたあ」。
窓から射す光はあたたかく、世界は平和に過ぎ、もっと冷たい反応を期待していたひめかわは少し口元を歪めてそんな独り言をした。


ラ ブ リ ー ・ ブ ラ ウ ニ ー 1




昼休み、まこっちゃんは『隔月刊・跡地』を読みふけっていた。これはつい先日、編集者である柴崎茜本人から直接もらった物であり、定期的に目を通している冊子の一つでもある。
「うおー。まじで」
「へえー。そうなんだ」
「うわー。知らなかった」
「ほおー。参考になるなる」
まこっちゃんの向かいでは幼馴染のひめかわと、隣のクラスの松橋が頬をくっつけ合うようにして一冊の雑誌を覗き込んでいる。興味を惹かれて内容を盗み見たまこっちゃんは思わず「うっ」と声にした。
「あ、まこっちゃんも一緒に読む? 参考になるよ、これ」
気づいたひめかわが雑誌の向きを変え見えやすいようにしてくれるがまこっちゃんは椅子ごと後ろに下がった。
「ひめ、そんなの買うわけ?」
怪しげな冊子を多数定期購読している自分が云うのもおかしな台詞だと思いつつまこっちゃんが訊ねる。
「ううん。これ、女子から借りたやつ」
「何の為にだよ」
「男心を研究しようと思って」
「おとこごころを?」、ひめかわと松橋の顔を交互に見たまこっちゃんは首を傾げた。
おまえらじぶんのせいべつわかってる?
「改めて学問として、だよ」
まこっちゃんの視線の意味を汲んだ松橋が解説する。
その隣でひめかわが「そうそう」と頷く。
「それにさ、もうすぐバレンタインじゃん」
「まあな。あと二週間弱だっけ。それが?」
「バレンタインと云ったらおれとオージの記念日っ」
「記念日」
「そ。おれ、去年のバレンタインの日に初めてオージと会話したんだよなあ。それまでずっと同じ列車乗ってたんだけど、正直ぜんっぜん興味無くて。あ、でも途中からずっと気にしてたけどね。えへへ」

ああ、とまこっちゃんは気の無い相槌を打つ。
そうだ、思い出した。

確かに去年のバレンタインだった、ひめかわが、いつも以上にきらきらした目で、登校してきたのは。そして教室に入って来るなりまこっちゃんに駆け寄ってこう云った、「まこっちゃん。おれ、見つけたっ。好きになれそうなもの、見つけたっ」。

「……ふうん。記念日。で?」
「おれは作戦を練ることにしました」
「……失敗しろ。めげろ。落ち込め」
「え?」
「……あ、いや。なんでもない。で、作戦って?」
まこっちゃんの質問にひめかわがよくぞ訊ねてくれたとばかりに体を乗り出す。今にも鼻先がくっつきそうだ。
「おれ、オージを甘やかさないことに決めました」
云っている本人にとっては一大決心であろうことは引き締まった顔つきを見れば分かる。
だが、
「どうしてそうなった?」
「ほら、ひめってさあ、今まで押しまくってきたじゃん」
まこっちゃんの質問に答えたのはひめかわ本人ではなく松橋だ。
「確かに。見ている方がうざいくらいに日々是アタックだったもんな、この一年間を振り返ると」
「だから、今度はいっそ引いてみろ、とアドバイスした」
自信たっぷりな口調の松橋の人差し指が、女子から借りたという雑誌の記事に置かれている。そこにはたった今松橋が述べたのと同じような恋愛の質疑応答があった。
「……でもさあ」、その時松橋の頭上から、ひめかわの物でもまこっちゃんの物でも、まして松橋の物でも決して無い声がした。
声の主は売店の人気商品・焼きそばパンを手にしたエースだ。
「でもさあ、その作戦とやらの問題点は。ひめが実際オージくんにちゃんと冷たくできるかどうかってとこだよな?」
思わず「確かに」と頷いた松橋の隣でひめかわが下唇を噛み締める。そんなひめかわのことを見ているまこっちゃんのことをエースが見下ろしている。この時ばかりは、誰もあくびなんかしない。まこっちゃんが視線をエースに移すとエースはわざとらしく肩を竦め、唇の端に付いたソースを舌で舐め取った。
「ま、やってみないと分かんないか」
エースの言葉に自信を取り戻したひめかわが「がんばるっ」と両手を握り締める。「がんばれっ」と松橋がその上に両手を重ねる。
「あ。オージくんからメールだ」
エースが机に置かれたひめかわの携帯電話を指差す。
「えっ。マジっ。何だろっ。今日一緒に帰ろうとかかなっ。うんうん帰る帰るっ」
「……はい、ブー。ひめ、おれはちょっとがっかりした」
「ブーって何だよ、エース!」
「先に謝るがメールは着いていない」
「えええっ」
エースの云った通り、ひめかわが慌てて開いた携帯電話の画面にメール着信の通知は無かった。
「……だ、騙されたあ」
「いいか、ひめ。オージくんからのメールは最低でも半日は無視すること」
「無視してオージが心配したらどうすんだよっ」
「それから、電話は絶対に自分から掛けないこと。これは当然だな」
「電話もかっ」
「向こうから着てもすぐには出るなよ。あと、通学中や下校中にたまたま会っても挨拶しないこと」
「うううっ」
「できるか、ひめ?」
「無理ですっ」
「即答か」、エースがひめかわのこめかみを指で軽く押した。
「す、少しずつできるようになるから良いんだっ。じゃないとオージも戸惑うだろうしっ」
「分かってないな。……うーん、そうだ。いきなりなんだけどさ、今度みんなでひめん家泊まりに行っても良い?」
「え。泊まるのは全然構わないけど。むしろ峰子が生活に潤いが欲しいから誰か遊びに連れて来いだのうるさい。でも、みんな、って?」
焼きそばパンの最後の一口をもぐもぐしながらエースは唸った。全て飲み込んだところでようやく口を開くと、
「まず、ここにいる四人だろ。と、オージくん。あ、ニコちゃんも誘おう。そしたら信哉さんも安心してくれるでしょ。今週の土日とか予定大丈夫?」
うっわすっげ楽しそう行く行くそれ絶対行くううう、と猛烈に賛成したのは松橋だ。松橋の反応を見て断るタイミングを逃したまこっちゃんはエースを微かに睨むが相手は気づかないふりを決め込んでいる。
「じゃ、ニコちゃんとオージくんにはおれからメール入れとくから」
「オージ、来てくれるかな……」
「心配すんな、ひめ。おれが何とかするから。……あ、次、体育だ。着替えないと」
立ち去るエースの背中を見た松橋も思い出したように弁当箱を片付け始める。
「でも良かったな、ひめ。ああ見えてエース、ひめとオージくんのこと、最初からすっげえ応援してたから」
「え、そうなんだ」
一瞬で笑顔になったひめかわの向かい側でまこっちゃんが「面白がってた、の間違いだろ」とつっこんでいる。
「あはは。それ云えてるな。確かに」
笑わせるつもりでなかったまこっちゃんは松橋が笑い出したことに驚きながらも呆れてトイレに立った。

「……お泊まり会か、楽しみだなあ。オージ、来てくれるかなあ。峰子、喜ぶだろうなあ」

一人になったひめかわはじわじわと淡い期待が湧き上がってくるのを感じながら、息子の友人達を喜んで迎え入れる母の顔を想像した。

見上げた空にはやっぱり雲ひとつ見当たらなかった。快晴なり。

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