朝のホームは通勤客や通学客で混雑している。
そんな中、改札口へ向かう人の流れから外れる人影があった。
黒髪にぶ厚いめがね。頭髪で顔まわりがモサ付き、素顔は分かりづらい。身長が低くもっと年下に間違われることもあるが東高の制服は本物だ。
オージはゴミ箱の前で立ち止まると鞄の中に手を入れた。中から封筒の束を取り出す。封筒の中身は二度と見る気にはなれない物だった。あの事件直後に実家に届いていた比ではないが、いまだにこうして届くことがある。不特定多数の送り主の顔は見えない。
「……」。
オージの手を離れた封筒の束はゴミ箱の中に落ちた。それを確認すると一息吐き、ずり下がっていためがねを掛け直す。
(大丈夫。光さんには、見られなかった)。
その為に新聞を取って来る役割は毎朝オージが率先して引き受けていた。
オージには兄が二人いる。異父兄だ。しかもそれぞれ異国の血が混じっている。
オージが幼い頃、ほとんど時期を同じくして、瞳の色が自分とは異なる二人の兄を紹介された。彼らは年上だったが家庭内での処遇は明らかに差別化されていた。子供心にそのことを不思議に思いながらも良く遊んだ。兄達も子供だったが本家の長男であるオージにはやはりどこかで気を遣っているようなところがあった。オージの双子の姉であり宮沢後継者にあたる、今は亡き宮沢小町は二人の兄を「白猫さん」「黒猫さん」と呼びつけては自分の機嫌を取らせることが度々あった。オージはそれを真似することが出来なかった。
封筒の束がゴミに埋もれたのを確認したオージは鞄のチャックを締めようとしてヘアワックスの缶を落としてしまった。あ、と思った時にはもう遅く、地面に当たった衝撃で蓋が開き、中に入れてあった物が散らばる。
「はい、落し物」
「……あ、ありがと」、オージは引ったくるように受け取る。その際相手の顔を確認したオージは一瞬、めがねの奥の目を丸くした。
「なんだ、ニコか」
桐谷コウ。通称、ニコ。
オージの同級生であり、あの事件について事情を知る理解者の一人でもある。
「ひめじゃなくて悪かったね、だ」
「……何でそうなるんだよ。違うし」
「今日、一緒の電車じゃないね」
「……それは、ちょっと用事、あったから。一本早いので来たんだよ」
用事とはもちろん封筒の束をホームのゴミ箱に捨てることだ。作業自体は数秒で終わるがひめかわに見られると質問を受けそうで嫌だった。
(って、なんでおれがニコ相手にいいわけしなきゃいけないんだ)。
オージは上着のポケットに手を入れ歩き出す。
後ろをニコが飛び跳ねるような歩き方で付いて来た。
「ねえねえオージ、週末のお泊まり会のことだけど、もちろん行くよねっ?」
「……うん」
その答えを聞いた途端、ニコがその場に立ち止まった。
先を歩くオージが振り返る。
「……何だよ、そんなに驚くことじゃねえし」
「うわー。うわー。うわー」
「……何」
「おれ、オージ絶対行かないって云うかと思ってた。そんで待ち伏せしてたのにっ」
「待ち伏せ?」
「説き伏せようと思って。それが無理なら強制参加の勢いでっ。あ、でもそんな必要無かったみたいだねっ」
歩き出したニコはオージに追いつくと「うれしいうれしい」と手を取りスキップする。
「……恥ずかしいし。落ち着け」
「でも、なんで? 最初から行く気?」
「……ちょっと、湊さんに、訊きたいことあって」
「誰?」
「ひめかわばかずまの兄だよ。……あ、ニコは会ったこと無いか」
「うん、無い。どんなひと?」
オージはしばらく考えた後、こう答えた。
「……ばかずまには、似てねえな」
聞いたニコが笑う。
「あはっ。兄弟似てないんだ。じゃ、オージんとこと同じじゃんっ」
ラ ブ リ ー ・ ブ ラ ウ ニ ー 2
週末に入り、五名のお泊まり高校生を迎えたもてなし好きのひめかわ母・峰子の歓迎ぶりはそれはそれは大変な物だった。
特にオージに関しては三時のおやつ付きという具合である。
「……完全におれ一人だけ子供扱いされてる」
手作りケーキの皿を受け取ってメンバーの揃う縁側へ戻って来たオージは、熱いまなざしを送ってくるニコに気づいた。
広い庭ではいつの間にかバトミントン大会が繰り広げられている。現在は、ニコ・松橋チーム、エース・ひめかわチームに分かれて点数を競っている。接戦だったようだがニコがケーキに気を取られ脇見している間に点数を離されたらしく松橋が悔しがっている。
「くっそー。もうエースは一人で良いだろ、ひめはこっちのチームに来いよっ」
三対一で平等だろ、と叫ぶ松橋にひめかわが、
「でもエースさっきから左手でラケット持ってんだよ」
と述べると松橋が顔を真っ赤にした。
「くそう。頼まれても無いのに勝手にハンディ付けやがってばかにしてんのかよっ」
「なんなら目も瞑ってやろうか」
「うっせえエースっ、今日こそお前ぶちのめしてやるからなっ」
闘争心に火が付いた松橋の勢いは止まるところを知らなかった。
「……オージっ」、周囲の状況に構わずニコはオージに熱いまなざしを送り続けている。
見詰め合うこと数秒。
「……やる」、オージがケーキを差し出すとニコはバトミントンのラケットを放り投げ、縁側に駆け寄って来た。
「おいひいっ」
もぐもぐと口の周りを汚していくニコを見つめたオージは「おかわり、あるってさ」と教えておいた。実は自分は甘い物が苦手だが、これだけおいしそうに食べてくれるニコがいれば峰子も喜ぶだろうと考えてのことだ。
手が空いたオージはきょろきょろと辺りを見回した。様子に気づいたひめかわが「オージ、しよっ」と誘うがそんな気分では無かった。
「……なあ、ばかずま。湊さんは?」
「今日バイト」
「……ふうん。何時に帰って来んの」
オージの質問にひめかわは顔色を曇らせた。
「たぶん六時頃だけど。……まさか、オージ、まさか、オージまさか」
「……気持ち悪いな、何だよ」
「うう。うう。うう」
「……だから何だよ」
「おれより湊の方が良かったっ?」
ついに堪えられなくなったひめかわの顔面に無言でエースはラケットを押し当てた。網越しに顔を寄せ、ひめかわにしか聞こえない程度で囁く。
「ひめ。落ち着け」。
エースの言葉で我に返ったひめかわは神妙に頷くと縁側のオージに向き直った。
「そうだ、あいつは六時に帰って来るんだぜ、分かったか、ばかオージ」。
オージが一瞬ぽかんとした顔をする。
ひめかわは「し、しまった」と慌てて弁解しようとするがエースが再びラケットを押し当ててきたので唇が動かせなかった。
「耐えろ、ひめ。これでいい。お前は何も間違ってない」。
地面上にラインを引いて作ったバトミントンコートの外で点数係をしていたまこっちゃんはそんなエースとひめかわの様子を不審そうに眺めた後、オージを見た。髪とめがねで相変わらず表情は分かりづらいが今までに無いひめかわの対応に戸惑っている様子は感じ取れる。
そんなオージに追い討ちをかけるようにエースが云う。
「それまで待ってろばーか。だってさ」。
おれそんなこと云ってない云ってない云ってないいい、とひめかわは身振り手振りで訴えようとするがいつの間にか松橋までエースに加担してひめかわの顔にラケットを二重にかぶせている。
めがねの奥で目を細めたオージは「……あっそ」と呟いて家の奥へ戻ってしまった。
干乾びた作物のように土の上で伸びきったひめかわを、オージ以外のメンバーが取り囲んで見下ろしている。
「すごいね、さっきの」、最初にまこっちゃんが素直な感想を述べる。
「うんうん、オージびっくりしたと思うよ」、口の周りにクリームを付けたニコが感心している。
「オージくんもびっくりしたと思うけど、ひめも限界だったみたいだな」、仕掛け人のエースがラケットの先でひめかわの背中を突っついた。
「こんなんで今日の夜まで保つかな……」、唯一心配そうな顔をしている松橋だけがいかにも常識人だった。
その時、意識を取り戻したひめかわが今にも泣き出しそうな声を漏らした。
「うう。……おれ、オージのこと、仲間はずれにしちゃった。自分がされたら嫌なことなのに、オージにしちゃった……うう。うう。うう」
罪悪感で胸がつかえて上手く喋れないらしい。
ぽろぽろ涙を零しているひめかわを見下ろしていたまこっちゃんは視線をエースの横顔に向けた。
「何か問題でも?」、エースは首を傾げる。
「……やっぱりあんたか」、忌々しそうに吐いたまこっちゃんは息を吸うとひめかわの傍らにしゃがみ込んだ。
「なあ、ひめ」
「……なに、まこっちゃん」
「確かにさっきのひめの言葉遣いには驚いたけど、内容は普通だったじゃないか」
「ほ、ほんと?」
「だって、六時まで待ってれば、ってことだっただろ。ばーか、は確かに余計だったけどな」
「うう。でもそれエースが勝手に云ったことだもん」
「そうだな、あいつが勝手に云ったことだ。知ってるよ」
「オージ、怒った?」
「さあ。猫と遊んでんじゃないかな」
まこっちゃんは適当に云ったのだがひめかわは思い当たる節があるようで安堵の笑みを零した。
「そっか。猫か。オージ、去年のクリスマスプレゼントに猫缶くれたっけな……」
それを聞いたエースと松橋が突然「うっ」と唸り、両手で顔を覆い後ろを向いた。
「聞いたか、松橋」
「ああ、聞いた」
「クリスマスプレゼントに猫缶とか……」
「なんて不憫なんだ。ひめ関係ねえじゃん……これは本格的に今回のお泊まり会で何とかしてやらんと!」
ひとしきり同情を寄せた後、今回の目的を再確認し合ったエースと松橋は再びひめかわを振り返った。
「そうだ、ひめ。良いモノやるよ」
しきりにひめかわを慰めていたまこっちゃんはそう云うと一旦家の中へ戻り、手に何かを持って戻って来た。
その頃にはひめかわも何とか気力を持ち直し体を起こしている。
「はい、おみやげ」、まこっちゃんがひめかわに差し出したのは親指サイズの木彫りの人形、らしき、何らかの物だった。
「みんなの分あるよ。ちょうど今日全員揃うからと思って持って来てたんだよ」
エース、松橋、ニコの手にもひめかわの手にのせたのと同じような物体をまこっちゃんは握らせた。
「……あのさ、まこっちゃん。これ、何」
「こないだ廃墟ホテルに行って来てさ。その時のおみやげ」
廃墟ホテル。
の。
おみやげ。
しばらく沈黙が続いた後、ニコがおそるおそる「食べれる?」と訊いた。
「食べれないよ。食べてもお腹壊すと思う」
「じゃ、玄関とかに飾っとくやつ?」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「実はよく分からないんだよ。おれにも。途中の道端でおじいさんが売ってた物だから。何なのか訊こうと思ったんだけど、顔上げたら居なくなってた」
なんか普通に。
怖。
エース、松橋、ニコの頭に浮かんだ漢字は同じ一文字だった。
ひめかわだけが物体を太陽に照らすように掲げ、しばらく嬉しそうに眺めて、ほんとうれしいありがとう、と立ち上がった。
「まこっちゃん、おれ、おかげで元気出た。すっごく嬉しい。ありがとう」
涙の跡はもう乾いている。
土の付いた顔に満面の笑みを惜しみなく浮かべるひめかわを見つめた松橋は思う、
(あ、ひめが色んな人にモテる理由がちょっと分かった)。
その日の夕方、ひめかわとオージは橋の真ん中で並んで川面を眺めていた。
「湊にバイト帰りのおつかい頼んだんだけど、重くなってるかも知れないから、誰か駅まで迎えに行ってくれないかしら」。
バトミントンで体力を消耗し和室で寝転がっていた四名と、やっと静かになった縁側で猫の丸い背中を撫でていた一名。
峰子の呼び掛けに反応したのはその内、二人。
「……あ、やっぱおれ行かないことにしよっかな」、もう一人の顔を見て手を下ろしそうになったひめかわの手を峰子がぴしゃりと叩いた。
「まぎらわしいことしないの。じゃ、オージくんと一馬。よろしくね」
峰子の口元は笑っているが目には「当然一緒に行ってくれるわよねまさかとは思うけどオージくん一人に行かせるんじゃないわよね」という期待が込められている。オージ贔屓の母親に逆らうとどうなるか分からない。ひめかわは頷くことしかできなかった。
「がんばれよ、ひめ」。
出掛けにエースと松橋がエールを送ってくる。
ひめかわはその言葉に励まされながらオージの後を追って玄関に向かった。
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