ある晴れた日。
オージは庭にしゃがみ込み、穴を掘っていた。
掘り起こした土の香りが春を感じさせる。
「何やってんの?」、後ろから覗き込むひめかわ。
オージは黙ったままシャベルを置くとポケットから木の実を取り出した。
「あ、それは。まこっちゃんからのお土産の人形!」
オージの手の動きがぴたりと止む。
「……人形?」
怪訝そうに見上げられただけでひめかわはどきっとしてしまう。

あのお泊まり会の翌週、オージはめがねを外し髪を切った姿で登校した。それまで深く隠されてきた目元がはっきり見えるようになると印象は随分と変わり、ひめかわは「お願いだから元に戻してくれっ。おれだけが知ってるオージで良いのにっ」と土下座しかねない 勢いで頼み込むハメになった。

信哉と光は数日前から大学受験のため家を空けている。出発当日、駅の改札口で別れ際にオージが手作りの おまもりを手渡すと二人は人目もはばからず交互にオージを抱き締めて片方ずつ頬にキスをした。後からオ ージに聞いたところによると「ひめかわがやきもきするところを見るのが好きなんだよ、あの二人は」だそうだが、真相は定かではない。


ス プ リ ン グ ・ ラ ッ ク




「人形じゃねえし。これ、木の実」
一度は穴に置いた物を再び取り出してオージがひめかわの鼻先に突きつける。
「え、そうなの?」
「……だって芽が出てきたもん」
ひめかわが手にとって見ると確かにオージの云う通り、固い殻を突き破って黄緑色の葉のような物が顔をのぞかせている。
このざらざらした謎の物体の正体がまさか木の実だったとは。
てっきり工芸品の類だと思っていたひめかわには意外な事実だった。おそらくまこっちゃんもまだ知らない事実だろう。
「でも、何の実だろう?」
「さあな。埋めてみれば分かんじゃねえの」
生えてこなかったらそれまでだけど、と云いながらオージは淡々と木の実に土を被せていく。
「よし、これで良いだろ」
こんもりとなだらかな小山を作ったオージの達成感に満ちた表情をひめかわは膝を抱えながらじっと見つめた。
「……何だよ、じろじろと」
「ううん、オージはかわいいなあって思って」
その台詞は聞き飽きた、と顔を背けたオージの耳たぶが桜色に色づく。

(あ。左耳にほくろ。オージ、ほくろまでかわいいい……!)。

ひめかわは声が漏れないよう自分の腕に顔を埋めて笑った。
「ね、オージ」
「今度は何だ」
「その実、どれくらいの時間、捜してた?」
「三時間くらいじゃねえの。何で」
「そっか。三時間か」
「何が、そっか、なんだよ」
「人が変わるのって年単位じゃないこともあるんだな、って。だっておれ、いっぱい時間かかったもん。だからオージは強いと思う」
うん強い、と頷いたひめかわは「あっ」と声を上げた。
「でもおれの木の実、部屋に置いてるけどまだ芽出てない。これ、ほんとに木の実?」
「……もしかすると、水が必要なのかもな。ほら、おれのは一回水に浸かったじゃん。だから先に芽が出た 、とか?」
オージの説明にひめかわは「あ、そっか」と感心して手を打つ。
「そっか、種には水が必要なんだ。おれにとってオージが必要なように」
「……今自分上手いこと云った、みたいな顔すんな。上手くねえし」
「あ、違うか。じゃ、オージにとっておれが必要なように、か」
「……そこじゃねえし。もう良い、おれ眠いから昼寝する」
立ち上がったオージの手をひめかわが引っ張った。
「えっ。今日は一緒に遊ぶ約束じゃんっ」
腕を引かれ重心を失い傾きかけたオージの体をひめかわが支える。
「あっ。オージの耳の後ろ、なんか石鹸の良いにおいするっ」
「嗅ぐなっ」
「切ったばかりの髪の毛、先っぽがチクチクするっ」
「擦り付けるなっ」
シャベルを持ったまま闇雲に振り回されるオージの手をひめかわは難無く捕らえると自由を奪った。
背中を取られた以上自分に不利な状態だと気づいたオージは潔く諦めてなされるがままになる。
「オージ、オージかわいいっ」
「……あー、はいはい」
「ところでオージさ、信哉さんと光さんが大学合格して出て行くことになったら、この家に一人で住むの?」
「ま、そうなるな。信哉さんもマンション手離すし、今さらおばあ様のところへは戻れないし」
「あ、そうだ。最近あのおばあちゃんのところ行ってる?」
「うん。こないだ行ったら何故かすごく元気だった」
「女装して?」
「ちげえよ。……もう、やめたんだよ。小町のフリすんのは。無意味だったみたい」
「どういう意味」
「おばあ様、実はボケてるフリしてただけみたいなんだ。おれが小町のフリしてるだけだってこと見抜いて たみたい」
「えっ。それが事実なら迫真の演技過ぎただろっ」
「事実だよ。そうだよ、宮沢の女は恐いんだよ。はあ」
「そうだったんだ。だけど、何の為にだろうね」
「ボケたフリをすると相手のことがよく分かるんだって云ってた。おばあ様はきっとテストしてたんだよ。自分の後継者を。おれは、いい子だね、って云われた……オージはいい子だね、って、まだちっちゃい子供みたいに……」
その時頭を撫でられたことを思い出してオージは自分の髪の毛を引っ張る。
分かっててくれたんだ、見ていてくれたんだ。
そう分かって嬉しいと同時に、なんだか、ほっとした。

ひめかわは背後からオージの腕を捕らえていた手を今度はその腰に回した。
細い肩に顎をのせると頬同士がくっつき合いそうになる。
オージは一瞬嫌そうな顔をしたが本気で避けたりはしなかった。

「ね、オージ。一緒に暮らそう?」。

それを聞いたオージの手からシャベルが滑り落ちてひめかわの足の甲を直撃した。
「痛っ。痛いっ」
「……あ、悪い。びっくりして」
しゃがみ込んだオージを追ってひめかわもしゃがみ込む。
「うち、部屋ひとつ空いてんだ。オージのことは家族にもちゃんと了解取るし。てか、もともと本当の家族じゃないんだし、オージが入ってくるくらいどうってことないしっ」
「いやいや、どうってことあるだろ」
「春から受験生になるのに、一人暮らしは大変だって。うちにおいでよ、オージ」
「……でも、信哉さんと光さんに訊いてみないと」
「もー、またっ。これはオージが決めることだよっ。……ん?」
その時ひめかわの肩に、ぽん、と誰かの手が置かれた。
ゆっくりと振り仰ぐとそこに立っていたのは。
「なあんだ、光さんでしたか。信哉さんかと思ってびっくりしちゃいましたよ、もう、驚かさないで下さいよっ。あ、試験お疲れ様でした。どうでした?」
「ん、試験はなあ。まあまあだよ?」
「まあまあでしたか、なるほど」
つられて笑ったひめかわだがふと底知れぬ恐怖のようなものに襲われて硬直した。
「……なあ、ひめちゃん」
「は、はいっ」
「さっきオージに云ってたこと、あれ、本気?」
光が癖のように手首を鳴らす度、ひめかわの強がりは瓦礫のように崩れていく。
「……実はおれ、試験、白紙で出したんだよね」
「えっ、何でですか」
「だってさ、おれも信哉も合格しちゃったらオージここに置いて出て行かなきゃなんないじゃん」
「そりゃ、まあ、そうですね」
「だったら浪人してみよっかな、って」
みよっかな、じゃないですよ何やってんですかあんた! 浪人ってね、だいたい浪人になる理由が不純ですよ、あんたもいい加減にオージ離れしてくださいっ!
とは云えないひめかわは「め、名案だと思われますっ」、心にも無い言葉を口にしつつ首を縦に振った。
「だよね」、ふいに光の手が離され、ひめかわがほっと安堵の息を吐いたのも束の間。
「……ただいま」
門をくぐって来たのは受験帰りの信哉だ。
「ん、ひめかわ。何でここにいるんだ」
前門のトラ後門のオオカミとはこのことか。
ひめかわは観念した。
「し、信哉さん……ご、ご無沙汰しております。安心無害のひめかわでございます。試験の出来はいかほどでしたでしょう か」
「ああ、あんなものは白紙で出しておいた」
あんたもかっ。
つっこみの形に動き出した右手を慌てて左手で鎮めるひめかわだった。
「そ、それはそれは。オージがせっかくおまもり作ってくれたのに、もったいないことしましたねっ」
ひめかわがあえてオージの名前を出すと信哉と光が「それなんだよ」と口を揃える。
「おれ達の為に慣れない裁縫をして合格祈願おまもりを作ってくれるようなオージを一人残して行けるかよ」
光が云うと、
「同感だ。それに、オージと離れて暮らすくらいならおれは海外だろうがここから通う」
信哉が真顔で冗談のようなことを云う。云っている本人は至って真面目であることはその目を見れば分かる。
(オージの作ったおまもりがこんな形で効いてしまうとはっ。うう、おれの幸せ一年計画がっ)。
項垂れたひめかわが地面に膝をつく。
その背中に桜の花びらが舞い散った。

明日は雨、明後日も明々後日も雨でも、その次が晴れかも知れない。
それが分からない内はまだ諦めようとは思えないし、思わないよ。
昨日が暗くて、一昨日もその前も暗いままでも、だけどまた春が来たでしょ。
それが分からないからここまで来れた、そしてこの記憶でまた目を覚ませるんだ。

「なーんてな」。

ひめかわが顔を上げると信哉と光が笑っている。

「試験はちゃんと頑張ってきたよ。ひめかわの云う通り、これはオージが決めることだ」
オージ、と名前を呼んで信哉がオージの頭に手をのせる。
ただ名前を呼ぶだけなのに、その響きはなんて甘くなんて優しいんだろう。繋いできた手を離す瞬間、最後 に与える言葉、みたいな。
「オージがこの家に住みたいなら住み続ければ良いし、よそへ行きたいなら手配する。オージがひめかわの ところへ行きたいと云うんなら、おれ達は反対しないよ」
「……信哉さん」
「おれもオージの意見を尊重する」
「……光さん」
オージは二人の兄を見上げた。
これまで暮らしてきた家を振り返る。
木の実を埋めた足元の小山を見下ろす。

いつか芽が出て花が咲いてまた種になった時、おれはどうなってるかな。
おれはどういう気持ちでその種を拾えるかな。

「……信哉さん。光さん。ひめかわ。……おれは、おれの気持ちとしては、」

風が春のにおいを運ぶ。
その日はもうすぐ傍までやって来ている。

オージが決意を述べると信哉と光が浅く何度も頷いた。
見守っていたひめかわが大きくジャンプする。

春は、来たよ。

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