七年前のあの日は雪が降っていた。
「き、桐谷くん。こ、これっ」
ランドセルを背負い下校途中だったニコの前に突然真っ赤な箱が差し出された、あの日は。
チ ョ コ レ ー ト ・ パ パ パ ニ ッ ク 1
帰り道に降り積もる雪を見下ろし歩いていたニコは、いきなり視界に入ってきた赤色に驚いていた。
「……あ。タカシマさんだ」
タカシマさんはニコと同じクラスの女の子だ。今まで話したことも無ければ、彼女が誰かに話しかけているのを見たことも無い。休み時間も一人でいることが多く、授業中に当てられて発表する時も声の小ささを先生に注意されている。クラスで彼女の声をはっきりと聞いたことのある者はほとんどいないだろう。ニコも例外ではない。この時初めて話しかけられ、そうかタカシマさんってこういう声だったのか、と思ったくらいだ。
「えっと、これ、何?」
ズボンのポケットに手を突っ込んだままのニコが箱の正体を確かめるように腰をかがめて下から覗き込んだり上から探るように眺めると、その視線から逃れるようにタカシマさんはマフラーに半分ほど顔を埋めてしまう。
寒さのためかその他の理由からか、箱にかけられたピンクのリボンがぷるぷる震えている。
「い、いいから、これ、もらってください」
声まで細かく震えている。
ニコは首をかしげながらもその箱に手を伸ばした。
「あ、でもバレンタインってまだ先だったと思うけど」
箱の右上に貼られたシールの文字で中身を察したニコが云うと、タカシマさんは隠し事を見つかってしまった子供のように小さな肩を震わせたが、ある瞬間、思い切ったように顔を上げた。
「あのね、桐谷くん。桐谷くんに云いたいことが、」
「あ、はい」
「わたし、わたしね……」
「うん」
「も、もうすぐ……」
「うん、もうすぐ、何?」
顔を上げたニコがまっすぐな目を向けるとタカシマさんは再びマフラーに顔を埋めて口ごもる。
うーん、なんかよく分かんないけど、ありがと。
ひとまずお礼を云っておこうと思い口を開いたニコは背後から忍び寄って来ていた誰かに呼ばれた。
「きっりたにくうんっ。だあいすきいっ」
ぷに。
振り返ったニコの頬に人差し指が食い込む。
「うっわ、ひっかかった、ひっかかった」
「……ユウマ」
頬を押されたニコが口をもごもごさせながら云うとクラスメイトのユウマはますます面白そうに笑い、あっれえ、とわざとらしい声を上げながらその手から赤い箱を取り上げた。
「こっれは、何かなあ?」
ニコの手からユウマの手へ移った赤い箱はあっというまにリボンを外され、包みを剥がされる。タカシマさんは今にも泣き出しそうな顔をして取り返そうとするが学年一身長の高いユウマの手には届かない。
贈り主の抵抗も空しく蓋が開けられてしまい、手作りと思わしきチョコレートが晒される。
「すっげ。うまそ。一個いっただき!」
ユウマは盛大な歓声を上げ、たくさんあるから一個くらい良いよな、と勝手に取り出した一つを口に放り込むと、「あっまい」と目尻を下げた。
「うまっ。ほら、ニコも食べろよ。ニコがもらったやつなんだから、遠慮せず、さあさあ」
まったく悪びれたところが無い。ユウマはこういうやつだ。「うまっ」と率直な感想を述べるユウマの目に悪戯の意味は無く、むしろタカシマさんの意外性に対する一種の尊敬の色さえ浮かんでいたくらいだ。
「ねえねえ、タカシマさん。タカシマさんは、ニコのこと好きなの?」
だがその一言でタカシマさんは泣き出してしまった。
ニコもユウマも驚くほど大粒の涙がその目から零れ落ちる。
「……あ」、ようやく状況を把握したニコは慌ててユウマからチョコレートの箱を取り返す。が、泣きじゃくるタカシマさんを前にその後どうすれば良いのか皆目見当がつかなかった。
「わ、悪い。おれ、タカシマさんがニコにやったやつ、勝手に食べちゃって……無神経で、ほんっと、ごめん!」
驚いたユウマが素直に謝るとその場のテンションはますますひどいことになった。
いっそ最後まで悪者ぶってくれた方がまだ対処しようがあっただろう。
しかし根は優しいユウマが謝ることにより悪者がいなくなってしまった。
それでもタカシマさんは泣き続ける。
長身のユウマも頭を下げる。
雪が降る。
降り続く。
まずい、どこかで終わらせなくては。
この状態をとにかくなんとかしなくちゃ。
なんとかしなくちゃ。
なんとかしなくちゃ。
なんとかしなくちゃ。
チョコレートの箱を握り締めたニコは考えた挙句、つい云ってしまったのだった。
「ごめん、タカシマさん。おれ、実は、甘いもの大嫌いなんだ」
禁断のその一言を。
無慈悲なほどに、無垢な笑顔で。
100213