駅北口を出て左に折れた先の路地にある喫茶「山猫軒」でひめかわはデジカメのスライドショーを確認しながらしきりに首をかしげていた。
「あっれ、おかしいなあ。やっぱり何も写ってない。ちゃんと撮れたと思ったんだけどなあ」
 テーブルを隔てて向かい側に座っているオージは待ちくたびれて硝子越しの緑の庭を眺めている。
 店内は明かりが落とされ薄暗く、ライトに照らされたケーキのショーケースや入り口などは雨の日の田舎のバス停のようだった。本棚には宮沢賢治の書籍がずらりと並んでいる。店主の趣味なのだろう。

 休日を利用してひめかわはオージを中央まで呼び出した。通学途中の車両内でやや強引に約束を取り付けられたオージは迷惑そうに顔をゆがめたものの渋るそぶりは見せなかった。
 ひめかわはこのところ、オージのそういった面によく気がついていた。
 一見人付き合いなど苦手のように見えながら、実は戸惑っているだけで、嫌いなわけではないのだ。まこっちゃんと向かい合った時だってオージは警戒しながらもきちんと会話をするし、幽霊同好会などといったわけの分からない活動にも付き合ってくれている。
 不器用なだけなんだ、きっと。
 ひめかわは好意的にそう解釈する。
 長い前髪の間からのぞく目は世界を睨んでいるようで、世界から睨まれることを恐れている。
 厚いレンズ越しで濁って見えるその瞳が、どきっとするほど本当は澄んでいるのを、ひめかわは知っている。
 きれいだよ。
 恥ずかしげもなくひめかわはその言葉を繰り返す。毎朝、毎朝。
 だって、本当のことだから。
 変装する必要ないし、陰湿そうに振舞うことはないし、もっと素の自分を見せたら良いのに。
 ひめかわはそう願うがオージはその点いまだ頑なだ。
 一度、突然の雨に打たれてずぶ濡れのオージが乗り込んできたことがあった。ワックスを使ってまでぐしゃぐしゃに見せている髪は水を浴び本来の質感を取り戻していたし、レンズを拭くためにめがねをはずしたオージの素顔にひめかわはぽかんと口を開けたまま見惚れるばかりだった。その数秒後、暴言を吐きつけられたのは云うまでもないが。
「じろじろ見んな。変態」
 水気をふき取ったオージは前回ひめかわがたまたま見かけた「変装風景」を繰り返した。元来まっすぐな髪を雑にかき回し、目の上にかぶるくらいの長さになるよう引っ張り、ねじり、目つきが悪く見えるように顔をしかめ、またあのレンズで顔の半分を隠してしまった。
「あっ、ハイハーイ。もしかしてそれ、オージなりのおしゃれ? とか?」
 斜め前に座って推理するひめかわのことをオージは一瞥した。
「これがおしゃれに見えるか?」
 やや、うんざりしたように答える。
 それだけでもひめかわは嬉しかった。
 オージはなんだかんだ云って反応してくれる。無視しない。
 調子に乗ったひめかわは弾むようにオージの隣に座り直した。
 あっでも隣に座ると顔が見えないな。
 再び正面に座りなおすひめかわをオージは呆れたため息とともに見ている。
 あそこにあるボールを取って来い、と云っても自分のところへ戻ってくる犬をどうしようか困っている飼い主のような表情だ。
「あんたさ、この先おれとどうなりたいわけ?」
 オージは途方にくれたように首をかしげる。
「どう、って? 仲良くなりたい」
「それから?」
「できれば、ずっと一緒にいたい」
 かえって不思議そうな顔をして当然のように答えるひめかわのまなざしに、オージは一瞬泣きそうな顔をした。
 しかしそれはほんのわずかのことで、ひめかわは、自分の見間違いかも知れない、と思った。
 泣いているオージなど想像できない。
 笑っているオージをそう簡単に見ることはできないように。
「……バカと変態はお断りだ」
「まあ、そりゃあ西高の偏差値は低いけど」
「学校じゃなくて、あんたの話だ、ばあか」
 オージはそう云ったきりそっぽを向いてしまった。
 ひめかわはデレデレしながら「かっわいい」と繰り返した。


キ ャ ッ ツ ア イ ・ ス イ ー ト




「あんたの撮影技術ってどの程度のものなの?」
 退屈そうに姿勢を崩したオージから遠回しに皮肉を云われたひめかわは素直にごめんと謝り、無言で席を立つと足早にトイレへと向かった。
 数分後、ドアを開けて出てきたひめかわは「ごめん、ごめん。腹、くだしちゃって」と無理に笑顔を作る。
 その目の下が赤く腫れているのを見たオージは肩を落とした。
「……ちっ、あれくらいで泣くなよ」
 行動の意味を見透かされたひめかわは恥ずかしさと嬉しさで目の縁に涙をもういっぱい溜めながらオージの手をぐっと握った。
「ううっ。……だって、だって、オージに退屈な男って思われたらおれ……もうっ、生きてい」
「いけるだろ」
 それくらいのことで、とオージは吐き捨てる。
「あんたって、第一印象と全然違う。もっと、こう、あれだと思ってた」
「あれって?」
「……えーと、不純?」
 ひめかわは不服そうに首をかしげた。
「おれ、不純そうだった?」
 その質問には答えず、オージはひめかわの手元からデジカメを取り上げる。
  画像を一枚ずつスライドさせながら、ひめかわには聞こえないくらいの声で何かぶつぶつとささやいた。
「……ったく。おれにそっくりの女を激写したとかなんとか云って。誰も写ってないじゃないか。それより、こんな場所で何十枚分もシャッター切ってるあんたが通報されなかったことにむしろ驚きだ」
 投げ返されたデジカメを慌ててキャッチしたひめかわは、でも、と口を開いた。
「でも、おれ、オージのほうが良いから!」
「……は?」
「おれ、オージに似た女の子がいても、オージのほうが絶対好きだから!」
 周囲の客の視線を感じてオージはもじもじと下を向いた。
「ばっかやろ。大声出すなって。……分かってんだよ、そんなの」
 分かってんだ!
 ひめかわは目を輝かせ、勢い余って席を立った。
 もうどうにでもしろ、とオージは冷めたカプチーノに口をつける。


 遅れてごめん、と席に入ってきたまこっちゃんは二人の間に流れる異質な空気を察知したが気づかないふりをした。
 苦いような甘いような、こっちがむずむずしてくるような。
 慣れなくて怖くて、でも近づきたくてもどかしい、他者にも伝染するような初々しさ。
(……うっ。しまった)。
 まこっちゃんは、自分の来るタイミングがもう少し早いか遅いかだったならば良かった、と後悔した。

 東高の宮沢大路。
 と。
 西高の姫川一馬。
 こいつら実は、両思いだ。

 恐ろしいのは当の本人達がそのことに気づいていないということ。

 お冷を持ってきた店員にブレンドコーヒーを注文したまこっちゃんはできるだけいつも通りに振舞った。
「おい、ひめ。前回云っておいた物件のことだけど、オージくんには伝えたか?」
 問いかけられたひめかわは、はっとした顔をした。
 それだけで悟ったまこっちゃんはバッグから取り出した地図をテーブルの上に広げていく。
 その間、オージが質問した。
「……なあ、あんた達って幼馴染なわけ?」
「違うよ。おれとまこっちゃんは中学からの付き合い。三年生で初めて同じクラスになったんだ」
「……ふうん」
「おれ、こう見えて中学校時代はいじめられっこだったんだ。なっ、まこっちゃん」
「毎日泣いてたよな」
「誰も一緒に遊んでくれないから、休み時間も寝てばっかだったし」
「でも、おれは、面白いやつだなあって思ったよ。同じクラスになってから、初めてひめと喋った時」
 決してすすんで語りたい過去じゃないだろうに笑いながら話せるふたりのことを怪訝そうに見比べていたオージだったが、まこっちゃんの表情がふとやさしげに変わった瞬間に気づき俯いた。
 俯いたが、やはり目をそらしてはいけないことだと顔を上げる。
「受験の時期に入って、目指す高校も同じところだって分かって、すごく嬉しくて、それからはつるむことが多くなった。で、無事に合格してからは高校デビューしようって話になって、一緒に美容室行ったりして。ま、おれの変化はたかが知れてたんだけど、ひめが劇的大変身でさ。もともと顔立ちは悪くなかったし、教室では目立たないように背中丸めてたから分かりにくかったけど、身長あったんだ。で、高校に入った途端モテモテ。すごく悔しいだろ。ひめなんかずっといじめられてればよかったんだ」
「うわ、まこっちゃん、ひどっ」
 オージにはふたりの絆が羨ましかった。
 そんな思い出を、もう苦痛ではない記憶の一つとして口にできる贅沢さが。
 そして、オージは少し嬉しかった。
 そのことを彼らが自分に教えてくれたことが。
 ふたりにはそんな心情の変化を悟られないよう、何かに気づいたようにはっと緑の庭があるほうに目を向けたりする。
「だから」、
 まこっちゃんはオージの横顔に声をかける。
 呼び戻されたオージは厚いめがねの奥でありのままに目を瞬いた。
 何か云い掛けていたはずのまこっちゃんはオージのその表情を見て、笑いをこぼした。
「あ、やっぱり。オージくんとひめ、なんか似てる」
「……ん、なわけないしっ」
 違う。
 それは、違う。
「ひめも、そう思ったんだと思う。だから、なんだかんだ云ってきみがとても気になるんだよ」

 違う!
 オージは叫びたかった。
 感情を溢れさせたかった。

 自分も自分にまつわるごたごたを告白してそれでも最後に微笑むことができるくらいなら上等だ。
 だけど、おれは、違うんだ。

 今度はオージは悲しい気持ちになった。
 ひめかわが不安そうにオージを覗き込んでいる。まっすぐな茶色い瞳。あのボールを取って来い、蹴っても、蹴っても、寄ってくる、犬のように。
 どうしてそんなに生ぬるいの。
 どうしてそんなにあたたかなの。
 どうしてそんなに、おれを惑わせるんだ。
 ねえ、ひめかわ。
 あんたはおれを、きれいだというけれど。
 おれは。
 あんたみたいに、きれいじゃないよ。

「オージ、だいじょうぶ? だいじょうぶ?」
「……は? 何だよ。人のこと、いきなり頭おかしくなったみたいに」
「だって、顔色、」
 ひめかわの心配が煩い。
 オージは席を立つとさきほどのひめかわと同じようにトイレへ向かった。

 数分後、どういいわけしようかと考えつつ席に戻ったオージはテーブルの上に広げられた地図を覗き込むふたりが気を遣って話題を変えていたことに安堵し着席した。
「あっ、オージ。それでさ、今度の物件だけど」
「……ぁあ?」
「ここ」
 まこっちゃんが指差す箇所に目を落としたオージは喉元まで出かかった声をすんでのところで引っ込めた。
 心臓が縮こまる。
 呼吸が荒くなる。
 ひめかわとまこっちゃんはそんなオージの様子には気づかず話を続ける。
「三年前、殺人事件のあった家」
 怖いだろ、とふたりは無邪気な子供のようににやにやしている。
「……ふうん。で、その家、ここから近いのかよ?」
「バスで一時間くらいかな。バス停からは少し歩かないといけないけど」
「明日の放課後に行く予定だけど、特に用事が無いならオージも一緒に行こうぜ」
 難なく断れるくらいの余地を残して、ひめかわはオージを誘う。
 その気遣いを察知したオージは自分でも気づかないうちに頷いていた。
 何故だろう。
 考えて導き出した答えは、何度考え直しても変わらなかった。
 そうだ。
 じゃあそれが正解だ。

 おれは、どうしてなのか、こいつの残念そうな顔を見たくはないんだ。

「あ、でも、あの男、信哉とかいうやつに、オージ、怒られないか?」
「……大丈夫だろ」
「ねえ、オージ。ちょっと、質問があるんだけど、いい?」
「……なんだよ?」
 オージに睨まれたひめかわは云いづらそうにしている。
 見かねたまこっちゃんが代打した。
「オージくんと信哉さんは、どういう関係なのかな?」
「信哉さんは、遠い親戚だ。本名は響信哉。ふたりももう知ってるように、東高校の生徒。怖い人じゃない。おれのこと心配してくれてるんだ。おれ、いま、一人暮らしだから」
「えっ、あんな田舎に? わざわざ? どうせ住むなら駅近くが良かったんじゃない? 乗り継ぎとか面倒だし」
 ひめかわの言葉にオージは眉を顰めた。
「……おれ、騒がしいところきらいなんだよ」
「あ、そうか?」
 すっかり納得したひめかわの隣でまこっちゃんは静かに何ごとかを思案しているようだったがオージの住まいに関しての話はこれでもう終わりになった。



 山猫軒から外に出るとまだ明るかった。
 あきらかに陽が長くなった。もうすぐ夏が来るのだ。

 あの夏が、来る。

 車両でオージは短く居眠りをした。
 夢の中でオージは白いワンピース姿の少女に出会った。
 少女はオージに向かって何も云わなかった。
 ただじっと見つめてきた。

 目を開けると涙が滲み、薄暗くなってきた車窓に自分の顔がぼやけた。


090320
そういえばあいつも、よく泣くよな。 (byオージ)