ベテラン司書のタナカさんは、おれと目が合うと、久々に会った孫にでも対するように顔をほころばせた。
「葉月くん、おはよう。今日も来てくれてありがとう」
孫、か。まあ確かにおれくらいの孫がいてもおかしくない年齢だろう。
でもタナカさんはプライベートを語らない。
それはおれに対してだけというわけじゃなく、他の図書館スタッフに対しても同じようだった。浮いているというのとは違うけどタナカさんは周囲に打ち解けない。だからと云って避けられているわけではなく、むしろ慕われているほうだと思う。だけど誰もタナカさんの、図書館での勤務態度やそこでのタナカさん以上のタナカさんを知らない。
「おはよう、ございます」
「聞いてよ、葉月くん。さっきね、外でうっかり蝉を踏んじゃったんだよ」
今日の仕事はタグを貼り終えた本を書架に並べる作業だった。おれがカートを押し、タナカさんが一冊ずつ挿していく。
「その踏んだ蝉がね、なんとまだ生きてたんだよ。大きな声でぎゃんぎゃん鳴かれて驚いてしまった。驚くと同時に申し訳ない気持ちになった。きっとすごく痛かっただろうと思う・・・・・・」
同じことを月山が云ったら片手間に「ふうん」の一言だ。
現実のおれは「そういうことがあったんですか」と聞く姿勢を見せた。
タナカさんはおれを素直にさせる魔法を使っている。
「酷いことをした、と。・・・・・・伝わるなら、謝りたい」
「何もそこまで責任感じること無いですよ。どうせ死に際だったんでしょう」
元気を出して欲しくてわざと軽く云ったものの、タナカさんは寂しそうに笑っただけだった。おれは後悔した。
「死に際だったからこそ、最期にやりたいことが、あともう一度だけ鳴いてから死にたい、とか、あったのではないかな、と思って・・・・・・」
同じことを月山が云ったら「だったら墓でも建ててやれ」の一言だ。
タナカさんはおれに乱暴な言葉を使わせない魔法をかけている。
「葉月くん。ぼくは・・・・・・、ぼくはだね」
タナカさんの横顔はもう微笑んでもいなかった。
おれは話を聞く前から「大丈夫ですよ」と声をかけてやりたくなった。タナカさんのこと、何も知らないけど、おれの知ってるタナカさんは、優しいひとです。魔法みたいなひとなんです。だから、悔やまないでください。
「ぼくは」。
人を殺そうとしたことがあるんだよ。
仮に、タナカさんがそう云ってきたんだとしよう。それでも驚かない練習。ひかない練習。おれは「はい?」と頷いて腹式呼吸した。
「ぼくは、酷い人間なんだよ。葉月くんが今まで出会った、どの人よりも、そうである自信が、あるくらいに」。
結論から云うと、タナカさんの告白はそれきりだった。
「いやでもおれの実家には十年も息子をほったらかしにしてた男が住み着いてますけど。家事は何もできないしストーカーだしニートだし」と、月山のことを事細かに説明したいくらいだったが、止めておいた。そんな家庭内事情を聞かされたところで困惑するだろう。いや、タナカさんなら親身になって聞いてくれる。それが分かる。だからこそ話せない。おれごときの悩みで、月山なんかのことで、タナカさんを親身になんかさせちゃいけないんだ。
(タナカさんみたいな人が、父親だったらな)。
そうか。
そうか今分かった。
おれはタナカさんに理想の父親像を見ている。
居心地が良くて、大切にしたいと思えて、自然に笑みも零れて、思いやれる。そういう時間を一緒に過ごせる相手を、父親にしたかった。子は親を選ぶことはできない。同様に親も子を選べない。「おまえみたいな子だと分かってりゃ作らなかったよ!」と云われたらそれまでだろう。(月山は絶対に云わなそうな台詞だ)。
だけど親には義務がある。人の親になったのなら、大人になる義務がある。
十年。十年だ。
それまで音沙汰も無かった。電話も手紙も無かった。それがある日いきなりやって来て「君の父親」だ? ふざけんのもたいがいにしろっ。とまではまあおれの性格上到達しないわけだけど、手離しで喜べるほど暢気でも無い。
不思議と母さんには腹が立たない。
それはおれが母さんに女手ひとつで育ててもらった恩義を感じているから、では無く、単に母さんの性格というか人格を知って諦めているからだろう。自分の母親に対してこんなことを云うのも気恥ずかしいが、母さんは美人だ。息子のおれが云うのもかなり変だが、これは男が放っておかないだろうなと思わせる。確かにそれは、あの永遠の少女じみたオーラは、母さんの自由な生き方に拍車を掛けてしまうきっかけとなったかも知れない。それでもやっぱり母さんにムカつく人間なんていないということが分かる。
ムカつくとか憎むとかいう感情は、好意を抱くことや愛情表現をすることよりも精神的に疲れる行為だ。おれたちはよほど強い執着が無い限り、自分以外の他人に対してそれほど疲れる行為を施せない。ムカつきや憎悪は広義には愛の一種なんだ。だって、それほどの時間と手間隙を、「どうだっていいやつ」には注がないだろ? 母さんは本当に誰かを好いたのだろうか。それとも、誰か一人、どれか一つを特別にすることができないくらい、すべてを愛したのだろうか。これは本人にしか分からない。おれは訊く機会を保証されていない。
だが、今の理論でいくと、おれは月山を非常に強く意識していることになる。
同居していた時よりも離れて暮らす今のほうが煩わしさに拍車が掛かるのはどういう仕組みだろう。
月山がちゃんと食べているか。夜更かししていないか。変な商売に手を出していないか。詐欺に遭っていないか。女に誑かされていないか。家の中で野垂れ死んでいないか。生きているのか。息をしているのか。
あいつは頼りなくてバカだから心配なんだ。
だってあいつは十年。十年もの間、息子と会わなくて平気だったんだぞ。母さんとは会っていただろうか。もしかするとこっそり会っていたかも知れない。おれのことだって草葉の陰から見ていた日があったかも知れない。それでもそれは会った日にカウントされない。空白の十年は長く、何も起こらず、あまりに平穏すぎた。それを今さら、取り戻したがるように、馴れ馴れしく近寄って来られても、その顔を睨みたくなるだけだ。
父親の不在が原因で不幸だった、とは思わない。おれは母さんとの二人暮らしを結構満喫していた。とすると何にこんなに腹を立てているんだろう。おれは月山の言葉を素直に受け止めることに抵抗がある。それは月山の発言内容にも原因があるけど、おれの中にも原因がある。その原因は何だろう。
月山はムカつく。いらいら、する。
だけどこれはおれのさっきの考えに遡り照らし合わせると、愛の一つの形、となってしまう。
「・・・・・・ねえし」。
そこでおれは強く頭を振った。
おれの悶々にちっとも気づかないふりをしてくれているタナカさんの横顔はおれの癒しだ。無視されているよりも見守られているという感じがする。不思議だ。おれはこの感覚をタナカさんから初めて教えられた。やっぱりタナカさんはおれの理想の父親像だ。父親ってのはこうでないと。
後半の作業ではいつものように新聞の話をした。文化面や読者の投稿欄のことがメインだ。タナカさんも何度か投稿して掲載されたことがあるらしい。謝礼というのは図書カード五百円分なのだそうだ。おれは今度その記事を探してみますと云った。タナカさんは何について投稿したんだろう。
(それより、タナカさんのフルネームって、何だっけ)。
あと一週間で終わるこのバイトを、おれはとても残念に思っている。
タナカさんと過ごした時間を、かけがえのないもののように感じている。外で蝉がじゃりじゃり鳴いている。仮におれが蝉だとして七日目に踏み殺されたら悔しいだろうか。タナカさんを恨むだろうか。呪うだろうか。少し考えたけど、そうするとは思えない。図書館を包み込むような蝉の合唱は、後悔を次の日に残さない生き方をしているようにも聞こえたからだ。もしかして人間だけなんじゃないだろうか。ずるずる何かを惜しむのは。恨んだり呪ったりする生き物は。わざと明日に残すからだ。期待なんかかけるからだ。夢なんか見るからだ。今日で終わりになるかも知れないのだと、考えることもないからだ。
ああもう誰か踏んでくれ。
おれは蝉になった気持ちで懇願する。
死ぬ覚悟を決めるより前に、アッと叫ぶ暇も無いくらいに唐突に、ありきたりにあっけなく曖昧に平凡に、踏み潰して亡き者にしてしまってくれ。
おれは頭が痛い。
その晩、おれは熱を出した。
バカがひくという夏風邪だった。
月山から携帯に電話があって無視していたらメールが届いた。
バカがひくという夏風邪をひいているところだった。やけにテンションの高いメールだったが大丈夫だろうか。
それにしても、同時にひくか、普通。
おれはこの偶然が意味するところをやっぱりただの偶然だと思い込むだけだ。
まことの事実であってもたとえ嘘であっても、その答えは何のよりどころにもなりはしない。