西側書架の整理に行った時だった。
吹くはずのない風がどこからか吹いてきて、ガウンを羽織ったぼくの体をぶるりと震え上がらせた。
風の吹いてくる方を見当しそちらへ目をやると、つい半時間ほど前に室内の換気を終えてきちんと閉じておいたはずの窓の内、一番奥が開け放たれ、そこから入り込んでくる寒風によって白いカーテンがはためいているのが見えたんだ。
「ちゃんと閉めておいてって、アロンに頼んでおいたのに……」
ぼくは、図書委員でありながら閉館まで残って仕事をしていたことのない、いい加減な同級生の顔を思い浮かべる。祝日の明日は外出許可を取り、最近街に新しくできたカッフェへ行くのだと云っていた。今晩はその為の準備で忙しいんだそうだ。まったく、カッフェに行くだけで何を準備することがあるのか、毎祝日寮に残っているぼくには分からない。だからこそアロンに仕事を頼まれても用事に思い当たらず、今日こそはと決意しながらいつも押し付けられてしまうのだ。
「はあ、ぼくは学年図書委員長なのにな」
委員長、というところに特に力を込め、響きの虚しさに大きな溜め息を吐きながら、目の前で揺れているカーテンを押さえ付けた、その時だった。
「うわっ!」
ぼくの驚いた声に相手はゆったり振り返る。優雅にさえ見える仕草で。
「何?」
「何、って、き、きみ……こんな、こんなところで、ここは」
窓枠に腰掛け外へ向かって長い脚を投げ出していた人物は、この学校で彼を知らない者はいないというくらいの有名人、「魔女の息子」だの「死神の息子」だのってあだ名のユリウスだった。柔らかな癖のある、青みがかった黒髪。アーモンド型の目(大人びている)、長い睫毛のかかる瞳の色はペリドット。着崩した制服は校則違反なのに、彼にはしっくり馴染む。
ユリウスは銜えていた煙草を口から離すと、ぼくをじっと見つめ、それからまたすぐ前方に顔を戻した。
ぼくは、ここが禁煙場所であることと(だって、そうだろう!)、ここが三階であることをどうやって彼に伝えるべきか迷った。伝えないべき?いや、ぼくは学年図書委員長なんだ。相手が誰であっても、ここは図書館で、ぼくは図書委員長だ、見つけてしまった以上はきちんと忠告するべきなんだ。
「あ、あのっ」
決意してようたく出たのは、みっともなくうわずった声だった。
ユリウスはぼくの声など聞こえなかったかのように、煙草を持った手の親指で長めの前髪を掻き、ふう、と白い煙を吐いた。鈍色をした空を背景に、その煙は暗示的な模様を描いた。ぼくがそう感じた、ということなのだけれど。きっと、それだけのことなのだけれど……。魔女?死神?いやいや、そんなこと、断じてない。人間だっ。
「閉館?」
問われたぼくは素早く首肯した。
「もう、そんな時間か……」
「はい、そうです。だから、そこを退いてもらわないとぼくは窓を閉めることができないし……あ、窓を閉めるのもぼくの仕事なんです、あと、それに」
「それに?」
「それに、そこは寒いから」
「寒いから?」
「だから」
「だから?」
「だから、風邪を引くかも知れないし」
「風邪を引くかも知れないし」
「きみも早く中に入れば良いかと……思います」
ああ、ぼくは何を云っているんだ。
一昨日の夜に熱を出したのだけれど、それがまたぶり返したのだろうか。それとも。
「名案」
しかしユリウスはぼくの不審など意に介さないといった感じで難なく従ってくれた。もしかすると顔を赤くしながらどもるぼくを心底哀れに思ったのかも知れない。きっとそうだ。そうにちがいない。
「フィガロ」
「え?どうしてぼくの名前を?」
「同級だろう。フィガロ・ルーイッツ」、ユリウスは少しむっとしたような顔でぼくを振り返った。思わず一歩後ずさると、ユリウスは手に持っていた煙草の火を窓の桟に押し付けて消火し、まったく危なげのない仕草で身を反転させると室内へ戻った。その様子はまるで羽の生えた生き物だった。今にもバレエを踊り出しそうな軽やかな身のこなし、そう、洗練された、とても、洗練された……すらりとした長身。育ちが良いというのとはまた違って、もっとこう、野良猫に見るようなしなやかさだよ。
逆光のため、整った目鼻立ちが余計に際立つ。その容貌に見下ろされぼくは無意識にもう一歩後ずさった。彼の眼光がそうさせるんだ。
「あの、ここは、禁煙ですけど」
云わなければ良いのに。でも、何か喋っていなければその内本当に何も喋れなくなるような気がした。心臓が早鐘のように鳴る。ユリウスの靴の先が、ぼくのさがった分だけ詰め寄る。
ああ、ぼくの早鐘、今にも届いてしまうんじゃないだろうか!
顔を上げればユリウスはどんな顔をしているのだろう。そう思いながらぼくはもう半歩後退しかけたが、踵が書架に当たった。動けない。しかしユリウスはそれ以上距離を縮めようとはしなかった。その代わり顔の横に手が伸びていて、ぼくは、咄嗟に目を瞑った。ぼくに触れないユリウスの指先は、煙草の臭いじゃなく、リリーのような香りがした。
「チビの委員長」
「……う、はい」
「ここは禁煙だって?」
震えているぼくの前髪の寝癖を軽くひっぱり「知ってる」とだけ云い、ユリウスは去っていった。しかしすぐにターンすると戻ってくる。呼び止めた覚えのないぼくは今度こそどんな嫌味を云われるのだろうと怯えていたのだけれど、ユリウスはぼくの直前で立ち止まると紳士のように丁寧に腰を屈め、「死神のキスを?」。
ぼくが慎重に首を横に振ると、彼は体勢をすっと元に戻し、くすくす笑いながら去っていった。
残ったのは、落ち着かないぼくの心臓と、ユリウスの指先から香ったリリー……。
水曜にひいた風邪がぶり返し、祝日は寝て過ごした。同室のアロンは街へ行ったきり帰ってこない。ぼくは医務室から氷嚢を借り、一人でベッドに横になっていた。眠れない上に退屈なときはベッドに横になったまま、図書館から借りてきた本を読んだり、鏡の前に立っていろんな髪型をつくってはああでもないこうでもないと試行し、結局はユリウスと自分との埋めることのできない差異を痛感しただけでまたぱったり眠ってしまう、そんなことを繰り返して月曜日の朝がきてしまった。
こんな日に限って、嫌な予感って的中するものだ。
宿題の問題を一番にあてられてしまった。ぼくがしどろもどろにいいわけをすると、周りからくすくす笑いが起こる。こんなことなら適当な答えでもしておくんだった!
しかも不幸は一時限目で終わらなかった。なんと二時限目も三時限目もぼくがあてられてしまったのだ。何たる災難。
そういうわけでようやく一息吐くことができたのは放課後になってからだった。
図書室へ向かうぼくは後ろから髪を軽くひっぱられた。
リリーの香り、……ユリウスだ!
「今日これだけ当たったんだ、明日の宿題はしなくて良いな。チビの委員長」
「ぼくはチビじゃない。きみが高いだけだ」
「そう?じゃ、ただの委員長」
ぼくは鞄を脇に抱え直し、この厄介な同級生を引き離そうと早足になる。しかしユリウスの脚の長さに対抗するべくもなく、すぐ元のペースに戻された。
「逃げるなよ」
「追うからだ」
「おれが図書室へ向かっちゃいけないのか」
云い返せなくなったぼくを見てユリウスが肩を揺らすのが分かった。
まったく。
「ごめんよ、フィガロ。今度からちゃんと名前で呼ぶからさ」
「そのことを怒ってるんじゃないよ」
「え、きみは怒ってるのかい。いつから?」
まったく!
ぼくはユリウスの問いかけにはもう答えまいと決め、図書室へ向かう廊下をひたすら歩き続けた。
ふと窓の外に目を遣る。鼠色をした空を見上げ、セント・ルーズベリーの春はまだ遠い、と思う。校庭の向こうを流れる運河の岸を茶色く汚れた雪が延々と縁取っている。
私立セント・ルーズベリー音楽宮は今から一世紀以上前にこの河岸に建立された。家庭教育か学校教育かという議論が世の中で活発になってきた頃のこと。
ぼくのパパは土地を所有する大地主、いわゆる有閑階級だけれど、同室にして同じ図書委員のアロンや、同級で入学以来学年首席、その上あの、去年の春に中途入学して以後(何でも大変な手術のかどで入院していて初等の卒業が遅れていたとか)、毎週末上級生達からお誘いの絶えない美少年ローレンツ・シュルーズと幼なじみだっていうテオ・ベッセルなんかは平凡な家の出身だ。つまり、学内では世論を動かす大人達の論争の延長線上にあるような諍いがいまだ絶えない一方で、学校という施設の本来あるべき姿(とラテン語のポールズ先生は云っていた)、家柄と無関係に、意欲ある生徒一人一人がその才能を琢磨していける場が整えられている。
ぼくは横を歩くユリウスにちらりと視線を投げかけながら、どことなく謎めいた雰囲気を漂わせる彼の素性に思いを馳せる。
こういった集団の場で有名人になるには、容貌が優良かつ学年首席、だの、伯爵の息子にして規律違反の常習者、だの、何かしら複合的な特徴を有していなければならない。ただ優秀、ただ美しい、ただ不良、ただ親が貴族。そんな単品では弱くっていけない。重要なのは複合的特徴、そうだな、例えば中途入学のローレンツ。ローレンツ・シュルーズ。年齢は同じなんだけれど学年はぼくらより一つ下の彼、小鳥みたいにかわいくて健気で明るいんだ。食事の前後にはいかにも苦しそうな顔で薬を呑んでいる。心肺が弱いとかで体育の授業には参加できないけれど、先生の目の届かない休み時間はしきりにサッカーゲームに混じりたがる。見かけに似合わず、活発なんだ。まあ、その度に体調を崩しちゃうんだけど……。ぼくは何度か彼と医務室のベッドで隣り合ったけれど、とても親しみやすくて優しい感じの子だった。冬の太陽みたいな子だね。夏の太陽って眩しすぎてたまに嫌われちゃうだろ。それに比べて冬の太陽ってみんなから尊ばれ愛される。そういう感じさ。今にも消えちゃいそうな儚い感じが、中途入学してくる生徒にろくなやつはいないんだっていうぼくの偏見、そして学校の常識をうち破ったんだ。それだけでローレンツは注目を浴びていたのに、なんとあのお堅いテオ・ベッセルが、それこそ薄い硝子細工、雪の結晶みたいに大切に扱うものだからますます有名になる。
ところでこのテオ・ベッセル。彼がまたとんでもない優等生で、図書委員を努めるぼくなどは図書館という場所でほとんど毎日のように彼を見かけるんだけれど、まったく、彼ときちゃ!朝から晩まで本にかじりついているんだよ。真正面の席で談笑している生徒が数名いようが、窓の外がごうごうの嵐だろうが、そんなのお構いなし。読書に没頭すると周りのことなんて気にならなくなるんだな。たまにそういう人っているよね。好きなことをしている間は周りで何が起ころうと知ったこっちゃないって人。テオのそんな姿を大人びてるって敬遠する生徒が多いようだけど、彼は古典ばかりじゃなく戯曲や、そう、最近ではシェイクスピアなんかを借りていく。恋をしているんじゃないかな、なんて思うんだ。つまり、きっとみんなが思っているような堅い人ではないんだ。きっと……。それにしても、開館時間いっぱい読書しておきながら、部屋に帰ってもまた読書だなんて。同室の子はどんな思いで過ごしているんだろう。
ああ、そうだ。
彼には双子の弟がいた。名前は、ええと、たしか、ラインハルト。ラインハルト・ベッセル。テオ・ベッセルと違って彼のことをファミリー・ネームで呼ぶ人は少なかったようだけれどね。ラインハルトがいた頃、今以上にぼくは内気で交流も多い方ではなかったから、実は、思えばとても残念なことに、彼のことは、あんまりよくは知らない……。ただ、聞くところによると、ラインハルトっていうのは兄のテオとは正反対の性格で、何冊重ねても本なんか悪戯の道具にしか思っていなかったようだ。思い付く限りの莫迦をやる時、いつも先頭に立つタイプ。万が一にも先生に見つかって怒られる時だって。そういう潔さと仲間思いのところが人気だったみたい。もしぼくと知り合っていたら、彼はぼくのことも仲間に入れてくれただろうか。
そう、この学校には身近な例を挙げただけでも色んな生徒がいる。ほらその窓の向こう、煉瓦塀の上に並んで腰掛けているのは、ああ、第一学年のエーベルとクラウスだ。
そうそう、ここで私立セント・ルーズベリー音楽宮の学年次編制について紹介しておくよ。
この学校ではおよそ十才から十八才まで、総勢二百名あまりの生徒が寄宿寮で生活しながら大学受験や就職を目指して勉強している。在学期間は人それぞれで、同級でも同年というわけではない。ちなみにぼくやアロン、テオ・ベッセルは現在第二学年、半年遅れの中途入学者ローレンツやエーベルは今年の秋に入学したばかりの第一学年。
寮は棟の数だけ三つ。ジューダス寮、ペトロス寮、マーカス寮。入学前には決定されているよ。各寮につき学年ごとに計八人の学年寮長がいて、その内の最年長が寮長をつとめる。ぼくのいるマーカス寮の寮長は、ザインという人。ちなみに第二学年の寮長はあのテオ・ベッセル。早くも将来のマーカス寮長だって噂されてる。まだ先のことなのに……。寮には個室と二人部屋とがあって、ほとんどの生徒は二人部屋で共同生活を送る。家族じゃない者との共同生活、それこそ寄宿寮の意義だからね。きっと。入学前は同室の相手のことばかり考えて頭が痛くなったよ。今は、アロンで良かった、と思ってる。ま、すっごくいい加減なところはあるけどね……。
ええと、そう、エーベルとクラウスについて話していたんだっけね。あの二人は本当に仲が良い。親のいない兄弟みたいにいつも一緒だね。クラウスがリボンタイをきちんと締めるようになったのって、エーベルに云われてからじゃなかったっけ。「小さな悪魔」って云われてる、エーベル。エーベルハルト。クラウスにはあんまり笑いかけてあげないんだけれど、まったくというわけじゃないから、小悪魔そのもの。エーベル自身そう呼ばれることを悦んでいるような節があるからこれは陰口じゃないのさ。
エーベルの容姿はローレンツとどことなく似ているんだけれど中身はまったく違うようだ。
エーベル、彼は、そう、垣根の野ばら。飼い慣らされているし小さいから安全だろうと軽んじて手を伸ばすと鋭い棘が皮膚を裂く。その痛みが癖になったのがクラウス。ちなみにクラウスは「手さぐりの騎士」なんて呼ばれ方をしている。これは、彼の祖先が王族の近衛兵だったことに由来しているそうなんだけど、真偽のほどは定かじゃない。エーベルもクラウスも、家はとても裕福なんだ。エーベルに至っては、祖先が王族だった、なんて噂もあるくらい。確かめようもないんだけど。だけど、エーベルの一日をさりげなく観察してみればあの子がいかに物事を自分の思い通りに進める能力に長けているかが解るよ。人を動かすことに慣れているんだ。つまり、お姫様。
一方のローレンツ。彼は、高山に咲く白い野花。風が吹くと微笑むみたいに揺れて、登山家はその清廉さゆえに彼を摘めない。だからせめて一時でも共に佇みたい、同じ風を受けてそよいでみたい、と思わせる。ローレンツはエーベルに比べると苦労を知っている方だろう。まあ、エーベルに比べれば誰だって苦労を知っている方に入るんだろうけれど。だけどローレンツはそのせいで卑屈になったり歪んだ性格をしているってわけじゃない。それどころか自分のことのように他人を気遣ったり、塞いでいる子がいたりするとさりげなく話しかけてあげられるタイプ。彼の声って本当にやさしいんだよ。まるで天使みたいだ。
そう、ぼくから見れば誰だって、いつだって、鮮やかに輝いているんだ。
天使なんだ……。
うん、ぼくのような者から見れば……。
だけど、ユリウスと一緒に歩いているというだけでみんなの注目を集められるなんて、ぼくは実際少しだけ機嫌を良くしていた。そんなふうに顔には出さないんだけど。
だって、そういうのって、癪だろう。
「落としたぜ」、ユリウスが立ち止まる。
ぼくは気にせず歩き続けたが、ユリウスが、紙面に書かれた言葉を声高に読み上げ始めた途端、大慌てで引き返した。
「親愛なる春の君。君は窓枠の鳥、鈍色の雲間より銀の光射したる時、その手足は今にも太陽に輝ける二枚の白翼となって……何だこれは、詩か?」
「ち、違うよ字の練習だよっ」、取り返した紙切れをなるだけくしゃくしゃと丸め、ガウンのポケットに突っ込む。そうすることで紙切れの秘密性を揉み消したつもりだったけれど、ユリウスの目に覗き込まれたら、ああ、すべて見透かされてしまいそうでぼくはこわい。
「字の練習?」
「そ、そうだよ。悪い?」
顔を熱くしたぼくを横目に、ユリウスは微かに笑った。
「悪くない。素敵なラブレターだ」
「え?ら、ラブレタ……?って、何を云うんだいきみ、そ、そんなんじゃないよっ」
「どうして隠すんだ。おれ詩作に格別の偏見はないけど」
「だ、だって、本当にラブレターなんかじゃ……!」
「ああ、字の練習なんだ。だったら見せてくれても良いじゃないか」
「そんなの見てどうするんだよ」
「添削してやる」
「けっこうです!」
そう云いながら図書室の扉を勢い良く開け、読書をしていた他の生徒からたしなめられてしまった。
「第二学年の図書委員長はこれだ!」、口に手をやってユリウスが肩を揺らす。ぼくは忌々しげに彼の横顔を睨んだ。まったく、誰の所為だと思って……!
「きみ、今度ここで煙草を吸っていたら先生に云いつけるからな」
「云おうと思えばこないだのことを云えるんだ。どうしてわざわざ次回を待つんだい。それってどんな思いやり?」
まだ笑いを口元に浮かべながらユリウスが耳元に唇を寄せてくる。
「案外楽しいやつだな、フィガロ・ルーイッツ。見直した」
ぼくが何も云わないでいるのを気にも止めず、ユリウスは図々しくもカウンタに腰を掛けた。彼には椅子に座る習慣がないんだろうか。この前の窓枠といい、カウンタといい。
「ねえ、きみ。きみは目が悪いの」
「何だい、いきなり。視力はかなり良いが」
「だったら、そこに椅子というものがあるよ」
「遠いな」
「きみの脚なら三歩だ。遠いの範囲じゃない」
「遠い、って云うのは、フィガロからだよ。だからここで良い。フィガロの一番近くが良い」
ユリウスはぬけぬけと云い、これ見よがしに長い脚を組み直す。他の生徒がちらちらと非難めいた目線を送ってくるけれど、ぼくにだってどうしようもないから困っているんだ!
「ユリウス。きみ、宿題をしないの」
「黒板の前で解けば良いだろ」
「授業にもあまり出ていないね」
「教壇の人間がおれの知らないことを教えてくれるなら出るさ」
「……なんてやつだ」、ぼくは小声で吐き捨てる。
「それより、フィガロ。見て欲しいものがあるんだ」
「見て欲しいもの?」
「裏庭の楠の洞に隠してある」
「何をさ」
興味を持ち始めたぼくの肩に腕を回し、ユリウスは微かに首を左右に振った。
これほど近くにユリウスのペリドット色の瞳を見るのは初めてだったのでぼくは大袈裟なほど震えた。
「今すぐに教えてなんかやるもんか。それ以外にどうやってあんたをこの退屈な場所から連れ出せる?」
なんてやつだ、なんてやつだ……。
ぼくは渋々、せめて閉館後、彼に付き合うことを承諾したのだった。