緑の祭典以後、ユリウスは数ヶ月間ルーズベリーを休学した。
彼とタッソの保証人であるニアガーデン氏が屋敷で栽培していた依存性のある香物質を生成する植物によってユリウスには入院が必要だった。検査の結果命に別状はなく、復学したユリウスはそれ以降、授業中に居眠りをしたり授業に遅刻したりすることもなくなった。夜更かしする必要がなくなったためだ。
ニアガーデンはユリウスとタッソを学業に専念させると誓約した。でなければ自分が彼等二人を養子にする、と学校長が強硬な態度で交渉したからなんだ。……本気か冗談か分からないけど、完全に冗談とも思えないところがあるよね。学校長ってユリウスとタッソのことになると実親のように真剣なんだから。とにかくこれでユリウスは勉強時間を確保できるようになり、テオに及ぶことこそなかったもののルーズベリーを卒業するまで成績は彼の次点をキープした。
ユリウスより一足先に卒業したタッソは食堂のコックの紹介で有名なレストランに就職、自分のお店を持つためにたくさん修行を重ねた。数年後、宣言通り自分のお店を持ちそこのオーナーシェフになったタッソは雑誌の取材で「豊富なアイデアはどのように浮かんでくるのですか?」との質問に対し「大切なひとが喜んで食べている顔を思い浮かべれば、作るべき料理なんてものは自然とできあがる」と、恥ずかしげもなく答えている。ぼくはすぐにそれがユリウスのことだと分かった。
そのユリウスは卒業後まもなくグラン・タウンに戻り、ニアガーデンの敷地の一部を借りてちいさな学校「カノン」をひらいた。そこではグラン・タウンの子供たち誰にでも勉強を教えている。それはユリウスの昔からの夢だった。カノンにはエーベルとクラウス、それにルーズベリー学校長までが資金援助をしており、数名の教師を雇うこともできた。ぼくも一度訪ねたことがあるけれど、カノンの子どもたちは本当に学ぶことを楽しんでいる。小さな子がユリウスのことをママと呼んでいたりして、本当に家族のようだなと思った。その中でユリウスも多忙ながらに楽しそうだった。一際体格が大きくわんぱくな子供をしつけながら、こいつ昔のタッソに似てるんだかわいいだろ、と破顔した時に、ぼくは、ああやっぱり似たもの兄弟だな、と思ったものだ。子どもたちはグラン・タウン在住でないぼくが来るとひどく不安そうな顔をした。ぼくは彼等を安心させるために、カノンが決してなくならないこと、ユリウスが彼等の前から突然にいなくなったりしないことを教えてあげる必要があった。
一方、アロンとガーデルは新聞記者になった。二人の書く記事はでたらめがほとんどだけどたまにビッグニュースを当てることがあって、読んで楽しめるゴシップ紙のように扱われた。二人はグラン・タウンにできたちいさな学校「カノン」についても特集を組んだのだが反響は最も大きく、街中からカノン宛てに寄付金が送られた。
テオは音楽宮卒業後、外国の理系大学へ進学し、学生でありながら助教授もつとめている。将来は理系教授を目指すのか訊ねたところ、ルーズベリーで音楽の教師になりたいのだと云っていた。ほんと、嫌味なまでに贅沢なんだから!
ローレンツは持病を克服し、今はピアノの先生をしている。休日は家でおとなしくしているのかと思えばお気に入りのサッカーチームの応援に飛び回っており、日々を満喫しているようだ。幼い頃から寝てばかりいたから、かえって反動かもね。
そして、ぼく。
フィガロ・ルーイッツは、絵本作家になった。
と云っても、残念ながらいまだ無名だ。
今はまだ勉強中の身。カノンを訪れたりタッソのレストランへ行ったりアロンやガーデルの書いた記事を読んだりローレンツと一緒にサッカー観戦に行ってみたりと、日々ネタを捜している最中。
絵本作品とは関係なく、自分の学生時代を振り返ってみた手記の表紙には「メイデン・エイデン」と記した。
Made in Eden
哀しいこと、辛いこと、たくさんあったけど、すべては光の、楽園の中で起こっていた。ぼくたちは多くの大人に見守られ、たくさんの仲間と触れ合い、時には仲違いしたりすれ違ったりしながら、大人になってきた。内側からは分からなかったけれど、外から見てみればその場所はエデン、ぼくらの経験したあらゆる出来事はエデンにあるものだった。そこでぼくらは天使だった。罵っても妬んでも憎んでいても、まぎれもなく天使だった。誰もが。
ところで、タングを覚えている? ララ・クロウの親戚で、ぼくが第二学年のときの生徒会副会長。ララ・クロウが今どこで何をやっているのか知らないけれど、このタングとはしょっちゅう会うんだ。と云うのも、タングがしばしばカノンを訪れるから。ユリウスはタングが来ることを良く思っていないけど、何故か子供たちが喜ぶので仕方なく受け入れてやっている感じ。グラン・タウンの子供たちにとって片眼のタングは顔を覚えやすいのかも知れない。タングはどうにかしてユリウスを旅行に誘おうとしているんだけど、カノンがあるからそれはできないと断られた。すると翌日にはカノンの生徒全員分の切符と旅行道具とを揃えてくるものだから、さすがのユリウスも驚きながら承諾した。この旅行、タッソが同行したのは云うまでもない。
そう、タッソのことで一つ云い忘れていたことがある。
ルーズベリーにいたころはその体格から、酒樽のタッソ、なんて呼ばれていたタッソだけど、卒業してレストランに入ったとたん、厳しい修行のせいもあってか成長による変化なのか体つきがみるみる引き締まって、今じゃ熱狂的な常連客がつくくらいの精悍な美男子なんだ! 長身にコックコートをまとって、削げた頬に真剣なまなざし、昔は目つきの悪い、ぐらいにしか感じていなかった目元も今ではなんだか色っぽくさえ見えて、久々に会ったぼくは本当に驚いたものだよ。だからこそ若き有名料理長となったタッソがインタビューで「大切なひと」なんて発言した翌日にはもうお店のまわりは大変だったんだから! ユリウス本人は「だからおれは昔から云ってるだろ、タッソはやさしくてかわいいやつだって。みんな鈍いんだ」と、それこそいちばん鈍いことを云っている。ユリウスは、レストランの窓際の席、もっとも見晴らしのいい場所が、満席のときでさえ空席であるのは、そのテーブルに生花の一輪ざしが絶えないのは、自分のためだと気づいているのだろうか。
今日もレストランは多くの人でにぎわっている。
有名な割に敷居が高くなく価格も手ごろで、若いカップルや家族づれ、それにいつもの常連客の姿も見える。
ぼくはのテーブルに紙を拡げ、新しい作品に着手していた。フレーバーラテの氷が音を立てて溶ける。
と同時にコック姿のタッソが颯爽とホールに現れ、何事かと思っていると例の空席を自ら念入りにチェックし始めたので、正午になったのだな、と分かった。椅子の高さを調節したり花が枯れていないか手に取ってみたり、ちょっと神経質すぎるのではないかというくらいに念が入っている。事情を知っている気のおけないコック仲間が厨房から苦笑している。
「ったく。オーナーはあの席に限っては何でも自分でしなくちゃ気が済まねえってんだからなあ。任せてもらえない俺達はまだまだ修行が足りねえってことだ」
かもね。
ぼくは彼らの言葉を聞いて苦笑する
ようやく気が済んだらしいタッソがぼくの横に立った。
「よう、フィガロ。さいきんはどんなものを書いてるんだ」
「幸せな結末の物語だよ」
ふうん、と気のない相槌を打ったタッソは腰に手を当てて窓の外へ目をやった。その顔を見上げたぼくは、このひと本当に本当のタッソだよな、と確認などしたりして、彼の容貌の変化にいまだ慣れない。だってほら、むこうのテーブルの女の子たちがちらちら見ているよ!
「フィガロ・ルーイッツ」
「えっ。な、何?」
「すまなかったな」
「え、何。いきなり何のことだい」
「ルーズベリーで。あの晩のことだ。噴水の傍で、あんたがユリウスに宛てて書いた手紙を破いた。酷いことをした。本当にすまなかった」
「ああ、あれね。今になって思えば、あんな恥ずかしい手紙、渡さなくて良かった、って、感謝してるくらいだよ」
「ふん……あいかわらずおかしなやつだな」
って、気を遣って云っているに決まっているだろ!
「こっちこそ本当に、感謝してる」
「こ、今度は何だよ」
子供を宥めるみたいに頭に手をのせてきて、タッソのやつ、ぼくをまだ「チビのフィガロ」だと思っているんだな。
ぼくが顔をしかめていることにも動揺せずタッソは厨房へ向かって何か合図した。しばらくするとウエイターがデザートをトレーにのせてやってきた。
「今季の新作だ。まだ公開前のものだけど、ぜひ、一番に味見して欲しい」
「えっ、良いの」
「ルーズベリーに入学してから。あんたのことを話す時、ユリウスは明るかった。あいつのあんな顔、久々だった。ユリウス、ずっと笑わなかったんだ。もちろん、まったくじゃない。でも、本当に笑ってはなかった。あんたに出会う前までは。だから、あんたには感謝している。あいつのすべてを知っているおれには、できなかった。あいつについて何も知らないあんただからこそ、できたんだ」
ぼくはスプーンの上にのったクリームを前に、ユリウスと初めて言葉を交わした時のことを思い出した。
(死神の、キスを?)
後から知ったところによるとユリウスは陰で「死神」と中傷して呼ばれることがあったそうだ。彼はあの時その呼称を自嘲的に使ったのだ。
しかし何も知らなかったぼくはわけが分からず首を横に振った。
その反応を見たユリウスは、さもおかしそうに笑ったんだった。
口に含んだクリームは甘酸っぱい味がした。
「タッソ」
「何だ」
「良い、天気だね」
レストラン・リリウムの窓際席からは今日も街がかがやいて見晴らせる。
「ああ、良い天気だ」
その時、ドアが開き。
「ユリウス!」
入口に立つ人物を振り返ったタッソが、少年時代の彼よりもずっと少年らしく笑った。