西側書架の高窓に腰掛け、用意していた煙草をポケットから取り出す。
見慣れていたがついにこれで最後だと思うととてもありがたいものに思われた。
口に銜えてマッチ箱を開ける。
一本目は風で吹き消えた。二本目も駄目になり、三本目でようやく火をつけることができた。
そんなことをしている自分の不器用さに気づき、器用な従弟の顔を思い浮かべる。いつもぶすっとしていて誰にでも平等に無愛想だ。
(だけど、ほんとは、すなおでかわいい)。
そのことを自分だけは知っている。
こんな時にどうして笑えるんだろう、おれは。
肺を煙で満たして咽る。深く吸ったことはない。いつも浅くしか。
(この煙草は、自分だ)。
そう、それでいい。
風が吹き煙草の火が赤く光る。背中の傷が痛む。
余った命は、いま終わる。
やっと、終われる。
だけど、これでいいんだろうか。
おれは死んで聖人になりたいだけで、それは単なる利己主義で、ちっともあいつのためにはならないんじゃないだろうか、それどころかあいつを追い詰めることになるだろう。それとも、それが望みか。
「じゃあ、賭けようか」
誰にともなく云う。
「この煙草が燃え尽きるまでの時間に、誰かが声をかけてきたらセーフ。それがないなら、アウト」
もう何も考えたくはなかった。
ラインハルトのことも。
テオ・ベッセルのことも。
ニアガーデンとの夜や。
両親のこと。
学校中の好奇の目、無邪気な中傷。
不確かな未来。
確かなことなど何もない。何も。
でも。
このことだけは確かでありますようにと、願うだけなら許されるかな。
(タッソには、幸せになって欲しい)。
名前を呼ぶと息ができなくなる。心臓が痛くなる。おれは人を愛してはいけないと思う。おれを気にかけるタッソの本当の気持ちには気づいてる。だけどそれに応えることは許されていないと思う。
その時、煙草の火が小さく爆ぜた。
「う、わっ」
そいつはおれの姿を見て驚いた様子だった。
「あ、あのっ」
フィガロ・ルーイッツ。同じ学年の、確か学年図書委員長だった。彼の周りはいつも騒がしい。遠くから見ていて、その性格を羨ましいと思ったこともある。失敗を恐れる。怖くて涙目になる。恥ずかしければ顔を赤くする。……そして、嬉しければ、笑う。
「閉館か?」
おれが問いかけるとフィガロはこくこくと頷いた。怯えられていることが、少し悲しい。だけどもう少し怖がらせてみたい気持ちにさせる。不思議なやつ。
きみの目の前で落ちようか?
なんて、イジワルな考えが頭をよぎる。
「あと、それに、そこは寒いから……」
フィガロがおれの座っている場所を見ながら何か云いたそうにしている。聞こえづらいので反復して促した。
「寒いから?」
「だから、」
「だから?」
「だから、風邪を引くかも知れないし」
風邪。今から死のうとしているやつがそんなこと心配するかよ。そう云ってやりたい気持ちになった。
フィガロはおれが笑みを堪えていることに気づかないまま、
「きみも早く中に入れば良いかと……思います」
そう云ったきり俯いてしまった。
窓枠の外と内。
隣り合っているのに。
内側の世界だけ、そこに立っているフィガロの存在であたたかな場所に見えた。
むしょうに戻りたくなった。
その温度に触れたくなった。
莫迦だけど。
莫迦だから。
また同じ行動に出るかも知れないけど。
それでもおれは。
「名案」
つい数分前、もう二度と踏むことはないだろうと思った図書室の床にもう一度足を下ろす。「死神のキスを?」。試しに誘ってもフィガロはわけが分からない様子で首を横に振った。
(そうだ。もう少し、あと少しだけ)。
彼に背を向けて歩きながら、この余った命を終わらせることにおれはあと少しの猶予を与える。