アーチ状の門から玄関までは曲がりくねった小径が続く。
先を歩くタバタからきっちり五歩分の距離を空け、チハヤは光の上だけを選んで跳ねた。
しばらく行ったところで振り返るとアーチ状の門はすでに見えない。入る時に見かけた青いポストにはサクラダと書かれていた。
ミセス・サクラダ。
チハヤ、タバタ、そしてルーイチが研究センターのある島にいた頃、本部を通して退化の暗号を送り続けてくれた人物だ。島を出てから三人は本部の所在するメトロポリス33に紛れ込み、空の見えない街で2DKのアパートを借りて生活している。33とはメトロポリスを上空から見た図を縦軸と横軸で位置付けた際の数値だ。研究センターのあった島の呼称はアイル33I。33という数字は、メトロポリス33とその島が連絡船で結ばれていることを意味する。アルファベットは、そういった島が一つではないことを意味する。
どういう手段を使ったのかタバタはこれらの情報と、ミセス・サクラダの名前、住所を探し出し、チハヤを連れて会いに行くことに決めた。ルーイチはここへ来てすぐに勤めだした工場の仕事が忙しく抜け出せない。
「ようこそ、いらっしゃい。こんな田舎で、来るまで退屈だったでしょう」
花柄のワンピースを着た白髪のミセス・サクラダは、スーツ姿のタバタと握手を交わした。
「恩人にこうしてお会いでき光栄です。ワタリです」
ワタリとはここへ来てからタバタが使う偽名だ。
ちなみにルーイチはエトウを名乗る。
「私もよ。会えて嬉しいわ、ワタリ。それから、あなたがアイル33IのCT、ええと」
「チハヤです」、リビングの入り口で立ち止まっているチハヤの代わりにタバタが返事をした。
「まあ、それにしても綺麗に処理したわねえ」
「ミセス・サクラダが危険を冒して情報を提示してくれたお陰です」
とは、チハヤから切り離された耳と尾のことを話している。
「スリリングだったわ」
それからミセス・サクラダは自分が神遊びの商業化プロジェクトの一つに携わってきたことを明かした。
開発プロジェクトは当然それ以前から存在していたことも。
「プロジェクトからはとっくに抜けたわ。代わりに、と云っては何だけど、パレントを希望した。パレントは、商業化プロジェクトで誕生したCTやDGが乳離れするまで世話をする人のこと。それから方々に貰われていくの。そのパレントも数年前にやめ、引退後は優雅な田舎暮らしってわけ」
ふたりの視線が自分から離れると、ようやくチハヤはリビングに足を踏み入れた。壁に沿うように歩きながら、ガラス細工の並べられた棚の前に立ち止まる。自分の顔が映った。ソファに腰掛けたタバタの姿も見える。何やら熱心に会話している。
プロジェクト。
アイル。
パレント。
何もかも聞き慣れない単語。
棚の中、特にレースの上で整列した動物たちの姿にチハヤは目を奪われた。
猫、鳥、犬、魚。
それから、チハヤが知らない生き物。
一つ一つの形を確かめながら棚沿いに歩いて行くと、木製のデスクに当たった。コンピュータがのっている。振り返ると、ミセス・サクラダと目が合った。
「ああ、そうだわ。私が最後に担当した子の日記を見せてあげるわ」
「日記?」
「ええ。特定のCTやDGはパレントと交信できるの。例えば、アイルに連れて行かれる子はそうね。アイルから送られるメッセージは普通すべて本部で検閲されるんだけど、その子のメッセージがあんまりにも子どもっぽい内容だから直通になったのよ。まあ、少しは私も意見したけれどね。検閲係の後輩に。ふふふ。・・・とってもかわいいDGだったの。本部の人間に貰われていったわ」
コンピュータの前の椅子に腰掛ける際、ミセス・サクラダはチハヤの頬に触った。
「髪も瞳も真っ黒。ふふふ」
指を髪の中へ滑り込ませる。
「ああ、こうやって触るとまだちょっと残っているのが分かるわね。見て分からなくても」
手術をしたタバタは、それが精一杯だった、と答えた。
チハヤはお尻も触られる気がして思わず後ずさったが、ミセス・サクラダの手はもうキーボードに触れていた。
「お孫さんの誕生日プレゼントにするんだって云っていたかしら」
「孫の?」
「ええ。噂によると、その子、医者になったのよ」
ミセス・サクラダの操作するマウスポインタが画面端の青いキャンディのアイコンをクリックすると、画面上に本が出てきた。本のページをめくる要領で見ていくものらしい。目次には日付が並んでいる。
「ええと、いつだったかしら。確か・・・ああ、あった。ほら、ここからよ。アイルに出発する前の日から。送信場所は公衆電話になっているわ」
目次をクリックするとポインタが手の形になってページをめくる。
ママ あした33をでます きょうはかいものにいきました ぼくはおかしとふくをかってもらった はやくあしたになるといいな
「これが最初のメッセージ」
「・・・あの、DGはどうやって日記の送信を?」
「パスワードさえ覚えていれば、コンピュータのあるところどこからでも送信できるわ。そして、これが次の日記。アイルに到着してからしばらく経った頃のね」
ママ ここはきれいですうみがある ぼくはいろんなところへいきます たてもののうえにすこしCTとDGがいました あそんでくるのできょうのにっきもうおわりにします またかきます
「このDGはアイルの監視員だったんですか?」、タバタが訊ねるとミセス・サクラダは笑いながら首を捻った。
「まあ、そう分類をされることもあるわね。だけど、アイルには専門の監視員がちゃんと行くのよ」
「このように交信できるDGが監視員のリストに載ることって、あるんですか。妙な質問ですが」
「ええ、あるわね。交信する以上はあのリストに載せられるわ。でも内容はただの日記って場合も結構あるのよ」
ふたりのやり取りを傍で聞いていたチハヤだが、意味不明の記号の羅列にうんざりし、コンピュータから離れた。テラスから庭園が見晴らせる。色とりどりの花が咲き乱れていた。裸足で外へ出る。芝生が足の裏をちくちくと刺す。
ママ ぼくはきょうあたらしいともだちをみつけた CTです めとかみはくろい めはおおきい それはきれいだけどげんきがない ともだちいない ぼくはかみがふわふわしているけど それは くろいろで さらさらしていました でもあまりさわらせてくれない あしたはぼくのおかしをあげる ぼくは ほんとうはじぶんがたべたいけどあおいろのをあげるよていです ぼくはともだちたくさんがほしい あと きょう ちゅうしゃした ときどきちゅうしゃしないとぼくはあまりよくないです しなくていいときもあります ちゅうしゃはこわいけどあまりいたくない だけどママは たぶんがまんできないよ いたくてママだったらたぶんないてしまうよ だから ちゅうしゃをするのがぼくでよかったね
ぼくは すこし しゃべれるようになったよ
ほんとうは ずっとまえから すこし しゃべっています
でももっと れんしゅう しないと よくない
どれくらい経っただろう。
庭園の散策に飽きて家の周りを一周、反対向きに一周したチハヤが見るとふたりはまだ画面を覗いている。
長引きそうだ。
そう感じたチハヤが垣根をくぐって小径の方へ出ようとすると、ポストの中を確かめる音がした。
咄嗟に体を庭園の方に戻し、垣根から顔を半分だけ出す。
砂利を踏む音。
地面をこつこつ鳴らす白い杖が先に見えた。
足音はチハヤの前でぴたりと止まった。
ママ ぼくはきょう おぼれた そしてきょうぼくはおぼれたから おこられた うみであそぶとたのしいけど たーた が おこるから こんどからは おぼれないようにあそんだほうがいいな ママはおぼれたことがありますか ぼくがおぼれたとき ママも ママはぼくをあんなにおこりますか ぼくは かんがえたんですけど どうしてあんなにおこられたか わからないです たーた は あたまがいいから たぶんりゆうをしっている ぼくはあたまがわるいから いやなきもち あしたあやまろうと おもいます ずっとなかがわるいのはいやだ いまはきらいだけど たーた をずっときらいになるわけじゃない ママはだいすきなひとがいますか ぼくはママのこともたくさんすき ママもおなじだったらとてもいい たーた は おこるとこわい ほんとうにきびしいです あしたちゃんとゆるしてくれるのか おいのりしてください さようなら
足下に黒い鞄を置くと中から萎びた花びらのようなものを取り出した。チハヤは垣根から顔を出してみたが、青年は気づいていないふりをする。萎びた花びらに口を付けて、ぷうっと息を吹き込んだ。そうすると花びらがぷうっと膨らんでヘチマの形になる。
長く器用な指が、きゅ、きゅ、と風船を捻る。
「なにかな、なにかな?」
チハヤはさらに近づこうとしたが枯れた蔓が足首にからまってそれ以上進むことができなかった。
「これは、猫。そうだ、猫ちゃんだ。しっぽが必要だ。しっぽはどこかな。ここかな?」
きゅ、きゅ、と捻る音。
頭ができた。
胴体ができた。
気づけば新しい風船が二つも四つも生産されて、それが次々と足になっていく。
「おやおや、しっぽはどこかな。・・・ああ、しまった!」
青年はその場にがっくりと膝をつくと泣き真似を始めた。
「しっぽがない。猫ちゃんなのにしっぽがない。困った、困った」
明らかに反応を求められている様子だったのでチハヤは仕方なく指を伸ばすと鞄の中から新しい花びらを取り出し手渡した。途端に青年は元気を取り戻し、ぷうっと最後の花びらを膨らませてしっぽを付けた。
「はじめまして、猫ちゃん」
丁寧にお辞儀する青年から受け取った風船を上下左右から確かめ、指で撫でたり舌で舐めたりする。
チハヤが垣根から抜けるのを手伝って、青年は自己紹介をした。
「お手伝いしてくれてありがとう。おれは、ジオ。サクラダ・ジオ。君は?」
器用な指が今は大きなあたたかい手のひらになってチハヤの顔の形や肩の位置を確かめる。いつもなら触られる前に後ずさるか、それが間に合わないようならば叩き落としていたところだが、ジオの手のひらはただ心地良さを感じさせるだけだった。
チハヤは思わず擦り寄っていきそうになり、慌てて踏ん張った。
手のひらで物を見るように生まれついた人間の手には、そういう魔力が宿るのかも知れない。
衝動を抑えたチハヤが黙ったまま風船を弄っていると、ジオはふいに笑った。
「ああ、良かった。喜んでくれたみたいだね」
「・・・」
チハヤは不思議に思いジオを見上げた。
その時、玄関のドアが開く音がした。
ミセス・サクラダにお辞儀をしたタバタが歩いて来る。予想外の早さ。ジオの姿を認めると簡単な挨拶だけ交わした。
「帰ろう、チハヤ。バスの時間だ。それから、裸足で外に出るな」、チハヤがテラスに置きっぱなしにしていた靴を投げて寄越す。
靴を履いたチハヤは大人しくタバタに従った。
振り返るとジオが見ていたので手を振ると、不思議なことにジオも手を振り返した。
本当は目が見えるのだろうか、とチハヤは考え直した。
バス停でバスを待つ間、タバタは一言も話さなかった。バスに乗り込んでからも同様。チハヤはタバタの三列後ろの座席から観察していた。タバタは深く考え込むように窓に頭を押しつけた。それから前髪を掻きむしった。モノレールに乗り継いでからも同じだった。
ふたりが2DKに帰り着く頃、メトロポリス33はもう夜だった。