翌日もジオに付いてモールを訪れたチハヤは、同じ場所に座ってレンを待った。
昨日も見かけた顔がちらほらあり、ここがCTやDGにとって集会所のような役割も果たしていることが徐々に分かってきた。頬杖をついたまま時計を見上げた時、ちょうどレンの姿が目に入った。向こうもチハヤに気づいて駆け足になる。

レンが連れて来たのはCTとDGが三人ずつ、合わせて六人だった。全員が首輪をしていた。チハヤを取り囲むと我先にと喋りだしたのでチハヤは眩暈がした。
「待って。初めてなんだから、ひとりずつ自己紹介しよう。あ、その前に。この子は、チハヤ。CTだよ」
レンの提案通りひとりずつちゃんと自己紹介をしてくれたが、チハヤは全員の名前をいちいち覚えるつもりはなかった。
「なあ、どうしてお前には耳もしっぽもないんだ?」
最後に自己紹介を終えた、紫色の首輪を填めたDGが云った。
「CTだとか云って人間だったりして」
「やめろ、ナオ」
レンにいさめられて口を噤んだが、ナオはまだ何かぶつぶつと云っていた。
「気にしないで」と、黄色い首輪のDGがチハヤに囁く。
云われなくても気にしていなかった。
ほとんどはチハヤに耳や尾のないことを特に気に止めず、おしゃべりを再開した。チハヤは黙って聞いていた。自分の所有者の話、家の中の様子、昨日はどこへ連れて行ってもらったか。
聞いている内に分かったことだが、どうやら半数以上が今日が初対面だったらしい。レンがモール内を歩き回って適当に誘ったようだ。ナオだけはレンと古くからの知り合いで、お互いの所有者が兄弟であるというところまで分かった。
話題は取り留めなく変わったが、アイル33の話に移った時にはチハヤも耳を傾けた。

「だから、隣同士だった33Iと33Jは33Eのためにつぶされたんだよ。33Eにお金をあつめるんだって」
「またか。さいきん、多いな」
「ぼくのとこもそんな話をしていたよ。33Eでまた新しいタイプを作るのかな。今度は何だろう」
「魚?」
「FSは33Iでつくっていたよ。33IにはBDもいたらしい。成功しなかったけど」
「成功しなかったんじゃなくて、つぶされちゃったからだろ」
「33Iのチーフはタバタ会長の孫だったらしい」
「タバタ会長?」
「CTの商業化プロジェクトを発案した人。知らないの?有名だぜ」
「知らない」
「タバタ会長は研究に没頭しすぎて結婚できなかったんだ」
「孫は?」
「孫は養子だよ」
「養子?ぼくたちみたいな?」
「それは違うんじゃないかな。ぼくも詳しく知らないけどね」
「それにしても33Iがつぶされちゃって、そのひとはどうなったんだろう」
「死んだんじゃない」
「もったいないね」
「頭のいいひとなんかたくさんいるからだいじょうぶだよ。ひとりくらいいなくなったって」
「それもそうだね」
「以前は33Iにたくさんの資金が流れて、そのために33Bや33Wがつぶされ、今度は33Eのために33Iや33Jがつぶされちゃったのか」
「どんどんつぶされてしまうね」
「でも今回の33Eは本当にすごいらしいよ」
「どこかどういうふうに」
「さあ」
「ぼくのとこもたくさんお金を出してるみたいだし、やっぱり色々すごいんじゃないかな」
「だから、どこがどういうふうに」
「そういえば、チハヤはどこから来たの?」

突然話をふられ、チハヤは瞬きした。
「ジオの家にずっといたわけじゃないのでしょ?どこにいたの?」
「チハヤはしゃべれないんだよ」、とレンが云うとナオが莫迦にしたように鼻を鳴らした。「つまんねえやつ」。
「練習すればしゃべれるようになるよ」、緑色が云ってくれたが、チハヤは特に気にしていなかった。
「だいたい、首輪がないなんて、裏で売買されてる類だろう」、とナオが吐き捨てる。
「黙れ、ナオ。・・・ごめんね、チハヤ。ぼくたちの飼い主は、みんなアイルに出資してるんだ。ほら、首輪は飼い主が出資者だという証。 だからぼくたち堂々と外へ出られるんだよ。それに、いろんな話を盗み聞きできる。チハヤが何も知らないのはチハヤのせいじゃないよ。それに首輪なんかない方が良いんだ。ほんとは。ぼくたちが自由に歩き回れる場所って、家の中か、このモールくらい。このモールのすべての出入り口にはセンサーがあって、通ると首輪が反応しちゃうんだ」
レンがチハヤを庇ったことが気に入らなかったのか、ナオはどこかへ行ってしまった。

「よくあんなやつといっしょにいられるなあ。レンはすごいよ」
ナオの姿が見えなくなった途端、黄色が心底感心したように呟いた。それを聞いたレンが苦笑する。
「・・・良いやつだよ。不器用なんだ」、レンはナオが消えた方を見つめながら云ったが、一同はチハヤを除いて聞こえよがしに溜め息を吐いた。それぞれの耳が一斉に萎れた。
「そうだ。33Hの話をしよう」
さっきまでほとんど発言していなかった白色が突然口を開いた。ナオが不在になったことで元気が出たらしい。
「それは良い」
全員が賛成する。
「33Hは、天国なんだよ」、相変わらず興味を示さないチハヤを気遣ってレンが説明する。
「そうそう。ヘヴンのHだ」
「CTやDGがたくさんいるんだ。首輪がなくても好きなところへ行けて、好きなものを食べられる」
「飼い主もいない」
「すごくきれいなところなんだって。本物の海があるって」
「おかしもたくさん」
「自由だ」
「どうやったら行けるんだろう?」
「そのことなんだけどさ、ぼくが聞いたところでは・・・」

最高に盛り上がる輪から外れ、レンはチハヤの顔を覗き込む。「ごめんね、楽しくない?」。チハヤは首を左右に振ったが、レンはまた謝った。
「33Hは、本当にあるかどうかは不明なんだ。誰かの作り話かもしれない。だけど、この話ってどういうわけだかみんな知ってるんだ。本当にあるからなのかな」
チハヤは首を傾げた。
その時、ふいに髪に手を入れられた。
「・・・、」
「ごめん。ちょっと確かめてみたくて」
振り解かれた手をおさえ、レンは申し訳なさそうに俯いた。
「でも、本当にCTだったんだね。ぼくみたいな耳とかしっぽとか、あったんだね。同じだったんだね。何かうれしいな」
チハヤは少し離れようとしたが、レンはしつこく距離を詰めてくる。
「ねえ、ジオってやさしい?抱きしめてくれる?」
とうとうチハヤは立ち上がって別のベンチを探したが、レンはぴったりとくっついて離れない。
「ジオはとてもやさしいんだよね。ぼく、わかるよ。ジオがくるからここにくるもの」
「・・・」
「ぼく、ジオみたいな飼い主がよかったな」
「・・・」
「チハヤはしあわせだとおもうよ。耳としっぽを取ってくれるひとがいて。きみに意地悪したいナオの気持ち、ほんとはちょっと分かるんだ」
「・・・」
「ねえ、ジオはやさしい?抱きしめてもらったら、ほんとうはどんな感じがするのかな?」
「・・・」
「・・・ねえ、ってば」
ふと足を止めてチハヤは振り返った。
無視され続けたレンがしくしくと泣いていたからだ。
「ぼく、知ってるよ。ほんとうは気持ちいいんだ。だけど、まだいちども、そんなふうに感じないのは、ぼくのからだがおかしいからかな」
一番近くにあったベンチまで連れて行き、レンが泣き止むまで待った。
「ぼくがしってることは、いたくて、こわい、ってことだけなんだ」
その時、正午を知らせる音楽が響いた。
レンが慌てて顔を拭う。
「おこられる」
誰に何を怒られるのかチハヤには分からなかったが、ひとまずレンの涙を拭うのを手伝った。
人ごみの向こうから、そんなレンを見ている人物がいる。
レンの所有者だった。
「そこで何やってるんだ?」
頭上から降ってきたのはジオの声。
午前の部は終えたらしい。帽子には客から貰ったらしい花がさしてあった。
「・・・」
チハヤがジオを仰いだ隙にレンは行ってしまった。
「一緒にいたのは、レンか?」
そう云いながらジオは臭いを嗅ぐ仕草をするが、本当に嗅覚が並はずれて優れているんじゃないかと思うくらい正確なことを云う。
「ああ、行ってしまったみたいだな。今日はもう帰ろう。お客さんが少ないんだ。なあ、お腹空かないか?買い物して帰ろうな。・・・こら、無視するな。チハヤ。そこにいるのは分かってるんだ」
レンの姿が小さくなる。
所有者の腕がその肩に回された。
急に背筋が寒くなって、チハヤは慌ててジオの袖を掴んだ。
なんだなんだ、とジオが笑う。
「こわいものなしが珍しく怯えてるな。何を見たんだい?」
チハヤ自身にも分からなかった。

スーパーからバス停までの道は川沿い。
午後一時の草のにおい。
遠くを走っているモノレールがおもちゃのように見える。メトロポリスそのものがおもちゃのよう。おもちゃのように見える世界の中で生きるおもちゃ。空のずっと高い場所から見れば、あるいは、海のずっと深い底から見れば、この世界には哀しいことも楽しいことも何一つ起こっていない。居たたまれない悲劇の一つ、美しさに涙するような愛撫の一つも。何でもない出来事に名前をつけて、そういうことにして、退屈な時間を潰している。歩くことも笑うことも、誰かの手を繋ぐことも、唐突にはね除けることも、仲直りもいがみ合いも全部、終わりまでの長い時間の潰し方。
青い草はやさしいにおいがした。
チハヤは試しに歩みを止めてみた。
だんだんジオの姿が遠くなる。
それでもジオが振り返って自分を呼んだ時、チハヤは声を上げそうになった。実際には喉から息が、普段の呼吸よりは多めに出ただけで声にはならなかった。
「声帯は正常だ」。
いつかタバタが云っていた。それでも神遊びでつくられたものは喋ることが困難だ。
原因ははっきりしない。
この世界には、そんなものがごまんとある。
いや、本当は、すべてのことがそうであるのに、分かった気になっているだけだ。
自分たちが選んだ方を信じているだけに過ぎない。
星は丸い。
花は生きている。
ひとはやさしい。
命はかけがえがない。
何もかも、なにもかも。
うそだと思えば、それは全部うそだ。
ただし、哀しいことじゃない。
この世界で何がしあわせかを、自分で決めることだってできるからだ。
「ああ。疲れたんだな」
引き返してきたジオがチハヤのすぐ隣に腰を下ろす。
「重たいか?荷物軽くしような」
チハヤの持っていたビニール袋の中をガサガサあさり、アップルウォータ、いちごのパックを取りだした。ボトルの蓋を開け、まず一口。ジオの喉仏が生き物のように小さく動くさまをチハヤは眺めた。
「飲むか?」
「・・・」
差し出されたボトルを思わず受け取った。
喉はそれほど乾いていなかったが、ジオが口を付けて飲んだものだから、チハヤは飲んだ。
甘い、
あまい、いちごも食べた。
「お、このいちご甘いな。チハヤが選んだものだからかな?」
太陽の光を浴びた髪が風になびくたび、ジオが笑うたび、名前を呼ぶたび、チハヤの左胸は少し痛んだ。

「ぼくがしってることは、いたくて、こわい、ってことだけなんだ」。
いたくて、こわい?
「ジオはとてもやさしいんだよね」。
ジオ、やさしい?
「どんな感じ?」。
どんな。かんじ。

意を決したチハヤがその手に触ろうとした時、ジオが立ち上がった。
「よし、ズルはこれくらいにして行くか」
追いかけ、その背中から思いっきり飛びついた。

つもりだった。
できる筈もない。
何度も決心しては諦めてを繰り返す内に、とうとうバス停に着いてしまった。
チハヤは仕方なく、ジオの影に自分を重ねてみた。
自分の小さなからだが完全にジオの輪郭に包まれたのを見届け、チハヤは小さくジャンプした。