三日過ぎ、四日、五日、六日、七日が過ぎてもレンとナオはモールに姿を現さなかった。
この頃になるとジオの手伝いにも慣れ切ってしまい、暇を見つけてはチハヤも仕事を真似てみるのだが、これがどうにもうまくいかなかった。実に簡単そうに見えるのだが、いざ始めてみると、風船が割れることを恐れるがために捻りが足りなかったり、吹き込む空気が足りなかったり、仕上がりは無惨なまでにいびつな形になってしまう。手伝いもしないチハヤが後ろでいくつもの風船を無駄に費やしていることを知っていたジオだが敢えて何も云わなかった。時々短くアドバイスするだけで、チハヤが自分でコツを掴むのを待っている。
「そう云えば最近、レン来ていないみたいだな」
透明な風船の中に一回り小さな赤い風船を膨らませてジオが云った。
完成品を受け取ったCTは嬉しそうな声を上げながら所有者の元へ戻っていった。首にはやはり、そのCTの自由を制限する首輪。それでもCTと所有者は本当に楽しそうだった。繋いだ手を大きく振りながらモール内へ消えて行く後ろ姿を見つめながら、チハヤはレンとナオのことを思った。
どうしてレンとナオは耳や尾を嫌がるのだろう。
もちろんそれなりの理由はあるだろうが、メトロポリス33では首輪さえ付けていれば耳を出そうが尾を出そうが見咎められることはなかった。それは彼らの所有者がアイルへの出資という形でメトロポリス33に貢献していることに起因している。今までにもチハヤはターミナル前で立ち往生しているCTやDGを何度か見かけた。首輪を紛失してしまったのか、それとも元から持っていないのだろうか。そういったCTやDGは決まって係員にどこかへ連れて行かれた。どこへ連れて行かれたのかは分からない。レンなら知っているかも知れない。
それからチハヤはアイル33Hの話を思い出す。
ヘヴン。
いつか誰かがそう云った。
嘘か本当かは分からない。ただの作り話かも知れない。だけどもし現実にそんな場所があるとしたら、自分は行ってみたいと思うだろうか。
ヘヴンの33H。
今いるメトロポリス33。
チハヤはここを嫌いではなかった。好きでも嫌いでもなかった。前にいた場所に比べればマシだなと思うことがあるくらいだ。しかしそれだって場所ではなく状況のこと。
ヘヴンも同じことなのだろうか。
場所ではなく状況のことなのだろう。
首輪を付けた者たちは棄てられるか譲渡されるか絶えるまでその首輪を外すことはできない。
それを幸せに感じる者もいる。
さっきのCTもそうだろう。
おもちゃは持ち主を選べない。
生き物が親を選べないように。
思い通りになることなんて何一つない、と思う。大きな笊で濾されたり精密なピンセットで選りすぐられたり、規定外だと放られたり。自分の意志で選んだ道など一本もなかった。いつも諦めていた。
あの島で体を開かれることに従順だったのも、それが自分のあるべき姿だと信じていたからだ。
チハヤの目にレンとナオがいびつに映ったのもきっとそのためだ。
状況を変えようとしている。
自分たちで選ぼうとしている。
生きるってそんなに大切なことだろうか。
「・・・」
問いかけてみたくて、チハヤはジオを見上げた。
「なあ、レンたち最近どうしてるんだろうな?」、ジオがもう一度口にする。
チハヤは応えられず首を傾げた。
その時だった。
ふたりの後方、時計台の辺りが不自然にざわついた。
気づいたジオが手を止めたので、良い具合に張っていた風船はみるみる萎んだ。ベンチに立ち上がったチハヤは騒ぎの原因を確かめようと背伸びする。
人が散り、その間をくぐってくるナオの姿をチハヤの目がとらえた。
追われている様子だ。
追っ手はひとりじゃない。
ふたり、いや、三人。
ナオの手にはナイフが握られて、その刃は血で汚れていた。
チハヤは咄嗟にナオの方に駆け寄っていた。
「・・・チハヤ、」
息を切らせているナオに頷くと、チハヤはその手を取って走り出した。人ごみをすり抜けながら、モールの出口へ向かう。警備員が両手を広げて立ちはだかったが、足の間をかいくぐった。
「こら、待て!」
首輪の通過を察知したセンサーがけたたましく鳴る。
その音を背中に聞きながら赤信号を無視し、道路を横断、振り返りもせず路地へ入った。
走った。
知らない道をくねくねと曲がりながら、自分たちがどこを走っているのかも分からなくなるまで、自分たちが走っているのか飛んでいるのかも分からなくなるまで走り続けた。
やがて追っ手の姿がなくなり、気づけばふたりは見知らぬ橋の下いた。

肩で息をするナオの手には、まだナイフが握られている。チハヤは慎重にナオの手を握る。いつからそうやって握り締めていたのか、爪の先まで白くなっている。やっと力を抜いた時、素早く取り上げた。
血を嗅ぐ。
ナオは息を吐きながらその場に座り込んだ。
「・・・?」
チハヤは何度も血を嗅いだが、どうしてもそれはレンの臭いがした。
さらにナオの服のポケットも黒く汚れている。チハヤは深く手を入れた。濡れた毛の感触を引きずり出す。ナオの手がもう一つのポケットから取りだした物をチハヤの前に差し出す。
先っぽだけ色の白い、茶毛の尾だった。
「・・・?」、チハヤはナオの両肩を掴んで揺さぶった。
ナオが何か喋ったが、橋の上をモノレールが通過する音に掻き消された。
「・・・れが、・・・たんだ」
チハヤは突然押し倒されて頭の後ろを強く打った。
体重をかけて押さえ付けられた肩が石との間で痛んだがチハヤは声を出せなかった。
「おれが、取ってやった。誰も取ってくれないから」
目を瞑ったナオは激しく頭を振った。
「いや、違う・・・あいつ、いや、あいつらが、ころしたんだ。おれじゃない!・・・たぶん、おれじゃ、ない。そう・・・おれじゃない。パーティーの合間に、わらいながらころしたんだ。チハヤ、おれを信じるか?」
チハヤはとにかく肩の痛みから逃れたくて頷いた。
それでナオは少し落ち着いたようだった。
「・・・っ、」
「あ・・・、ごめん、チハヤ」
チハヤはようやくナオの下から脱出した。
立ち上がって服の汚れを払い、地面に穴を掘る。レンの耳と尾を埋め、ナイフは川に放った。そしてチハヤは土手を上り始めた。中腹で振り返り、ナオがついて来るのを待つ。
「おれ、帰る場所がない」
項垂れるナオに小さな石をぶつけて、チハヤは急かした。
「どこか・・・連れて行ってくれるのか?」
ふたりの影が土手を上る。
急な坂を上りきった時、遠くにターミナルの北口が見えていた。


チハヤの寝間着はナオには少し窮屈だった。
「お前ほんと細いな。破いたらごめん。・・・ここ、ジオの部屋だろ?」
そう云いながら、辺り一面に転がっている風船を蹴る。
その時、階下で声がした。
「あら、おかえりなさい。今日は早いわね」
「チハヤは?」
階段を上ってくる足音。反射的に隠れようとするナオをチハヤは引き留めた。
「離せって、チハヤ。ジオには、まずお前から説明してくれよ。・・って、ああ、お前は説明できないのか。どうしよう」
答えない代わりに、チハヤはナオの手をぎゅっと握り締めた。
部屋のドアが開けられ、ナオが口を噤む。
ジオは部屋の中を見回すように、臭いを嗅いだ。
「ここは、だいじょうぶだよ」、そう云うと真っ直ぐにチハヤとナオのいる場所にやって来た。
「チハヤ。と、ナオだろ」
「・・・どうして」
「分かるさ。おれは、目が見えないもの」
云いながらジオは手のひらでナオの顔の形や髪の長さなどを確かめた。時々指が耳に触れると、ナオはくすぐったいような気持ちになる。
「ジオ・・・おれ、追われてるんだ」
「それで?」
「・・・だから、もし良かったら」
「良いよ。いたら良いよ」
「え?」
「ここにいたら良い。だって、何も悪いことしてないだろ?本当に悪いやつが捕まるまで、ずっとここにいたら良いんだ」
ナオはチハヤとジオを交互に見た。信じられないような目で。
「おれが本当に悪いやつだったら?」
ナオの言葉にジオは笑った。
「ははは。ない、ない。おれは、目が見えないもの。それくらいのことは、すぐ分かるさ」

その夜、ナオはジオの隣で眠った。
チハヤはソファの上で寝息を立てている。
ソファはチハヤの丈に丁度ぴったりだった。
その姿に黒い耳と尾があるところを想像する。
「なあ、チハヤ」
どんな頼み方をしていたら青い目の人は耳と尾を取ってくれたんだ?
レンを、救ってくれてたんだ?
手遅れにならずに済んだんだ?
お前の耳と尾のことは、どうやって頼んだんだ?
喋ることができたら、教えてくれるのか?
「なあ、チハヤ・・・」
小声で呼びかけてみるが反応はない。
熟睡している。
消えかけた痣が痛み出す。
窓から丸い月が顔を出し、出会った頃のレンを思い出したナオは少しだけ泣いた。
あれは明るい夜だった。
「・・・どうしてレンなんだ。死ねば良いやつなんか、もっといるのに」
ナオは頭の中で同じ人間を百回噛み殺した。
本当に悪いやつになりたい気分だった。