6, April
生き残ったのはCT一体、BD二体、FSとBDに至っては全滅だった。手術台の上もくず入れもとっくに整理されていて、僕が入った時、研究室にはチーフの姿しかなかった。
「ああ、おかえり」、その声を何年も聞いていなかった気がした。実際には、たった数日の間でも。
洗濯機が回っている。異物を飲み込んだような音を立てて。
「ナナタは?」
「麻酔が効いて眠ってる」
チハヤもきっとそうだろう。
「寝たら」、僕はそう声を掛ける。本当はもっと云いたいことがあるのに。
「ルーイチとめでたく再会できたのに?」
「無理しなくて良いよ」
無理じゃない、とチーフは椅子を回して僕を見た。
「ウチザキ譲が話してくれた?」
「何を」
「監視のこと」
あ、と僕は声を上げた。エコと、もうひとりの彼女。僕に食事を運んできた彼女のこと。話さなくては。そう思って口を開こうとすると、チーフが手で遮った。「分かってる」。
二人は四階の奥の部屋にいた。僕が初めてチハヤを見た場所だ。ケージは今は空になっていて、チハヤのネームプレートも外されている。
エコともうひとりは首輪で繋がれていた。
手術が成功したCTとBD、それにナナタとチハヤは二階に移されている。研究室の真上だ。しかしその五体も長生きできるかは分からない。あとはもう運だな、そう語るチーフの横顔は淡々としている。
「ルーイチへの報告は以上。では今日最後の手術をしよう」
おどけるように云い、チーフはエコの首輪を引いた。思いがけず乱暴な仕草に僕は驚いた。
そういう風に見えなかったからだ。
チーフはずっと怒っていたのだ。
「たすけて、ルーイチ」
エコが縋る目をする。僕は動けなかった。鎖が床を擦る。
僕がエコを愛していたとしても、今のチーフを止めることはできない。
まして、僕はエコを愛していない。
僕が愛しているのはチーフだ。
「ルーイチ!」
這い蹲って来て僕のつま先を舐める。エコには耳も尾もなかったけれど、その姿は四つん這いのDGと変わりなかった。あの子も生き残れなかった。
接ぎ木をしても、弱きは絶える。
原理は変えられない。
エコも同じ。
「静かにしてよ」、僕は後ずさった。
隣で悲鳴が上がる。見るとチーフの手が耳朶ごとイヤリングを千切っていた。いや、ピアスだったのかも知れない。きっと外すのが面倒だったのだ。僕も同じようにする。同じようにエコの耳を千切る。
「ねえ」、僕はチーフに問いかける。
「他にもいたらどうする?」
イヤリングに付着した血や肉を彼女の服の裾で拭っていたチーフが顔を上げる。
「それはない。俺たち以外もう誰もいない」
ああ、と頷く。
「納得」
僕の足下でエコが耳を押さえて体を震わしていた。
「淘汰の瞬間だ」
別に良いよな、とチーフが僕を見て首を軽く傾げる。その目の青色が今までになく綺麗に見える。潤んでいるような輝き。
僕は、何を云われても頷きたかった。
肯定してあげたい。
チーフが残酷なら、僕も同じように残酷に。
ひとりじゃないよ、って。
「うん。よくあること。たまたま今回は直接的なだけだよ」
チーフが子どもみたいに笑う。僕は背中に羽のあったチーフを思い浮かべる。イヤリングを手の中に握り締め、僕たちはそれから二度と四階に戻らなかった。
ウチザキの教えてくれた通り、イヤリングの石の部分をコンピュータに差し込むと本部のサイトへアクセスできた。しかし僕には読めない文字だ。
「分かる?」
チーフは頷く。
どこの言葉だろう。いや、暗号かも知れないな。
研究室には窓がなく、外が見えない。僕は耳を澄ませて波の音を聞いた。聞こえないはずの波の音を。それが本当に今ある音なのか、僕の耳の記憶なのか確かめるすべはない。砂浜や水平線。それが偽物でも本物でも関係がないと思えた。
デスクに突っ伏した僕がうとうとしていると、マウスを叩きつけたような音がした。
「チーフ?」
僕はつとめていつも通りの声を出した。チーフが顔をしかめている。僕は画面を覗き込んだが、やっぱり読めない文字が並んでいるだけで、何がチーフを動揺させたのか分からなかった。
しかしすぐに表情を戻し、チーフは読解を再開する。
「何だよ、もう・・・吃驚した」、僕がもう一度午睡を取ろうとすると、波の音に混じって聞き慣れない音がした。チーフを見やるが気づいていない様子。しかし僕の反応には気づいたのか、「どうかしたか」と尋ねてくる。
どうかしているのはチーフだよ。
と云おうとしたが余計な体力は使わない。
プロペラ?
エンジン?
何かが上空を旋回している。僕は、それも自分の耳が幻聴を聞いているのだろうと解釈した。
そうしている内に音は遠ざかり、また波の音だけがした。
僕の隣でチーフが次々と本部の情報を開いていって、島の実態を知っていく。僕はこの午睡が最後だと思う。
僕が、チーフの隣で目を閉じていられる最後の時間だと思った。