7, April

目を覚ますとチーフはいなかった。コンピュータの電源も切れている。時間が分からない。僕は少し寝過ぎたかも知れない。頭を叩きながら研究室を出る。廊下は静まり返っている。
二階へ行くエレベータの中で、さっきまで見ていた夢の内容を思い出しそうになったが、思い出せなかった。
僕たちが本部へ行けるのはいつだろう。ウチザキはもう潜り込んだかも知れない。見た限り、ほぼ人間だった。本部はどんなところだろう。街があって、お店が並んでいて、笑い声がする。その島の砂浜には貝殻があって、その島の空には雲が浮かんでいて、その島の木はちゃんと枯れる。本物の太陽の光を浴びて育てられた野菜。それを使ってチーフが料理を作る。スープ。おいしいスープ。毎朝同じ屋根の下で目を覚まし、他愛もない話をしながら食事する。午後は街へ出て買い物をしよう。色んな、買い物。無駄なものをたくさん買おう。ウチザキの家のようにしよう。ナナタがお菓子を欲しがる。チーフはそれを買ってあげる。チハヤは何も云わない。僕はチハヤの手を繋いでやる。同じような人間とすれ違う。誰も僕たちを不思議に思わない。笑ったりする。夜は柔らかな布団にくるまって眠る。夢を見る。たぶん、この島のことも。トンネルの中を歩いたことも、センター東棟の屋上でひなたぼっこをしたことも、夕暮れの中でチーフの珍しく弱気な目も。全部、思い出す。忘れないまま、生きていける。
そこまで考えて、めまいを覚えた。
「そんな確証、どこにもない」。

「・・・ナナタ?」
僕が入った時、二階のケージは三箇所しか使われていなかった。昨夜の間に二体が絶えたらしい。残ったのはCTが一体、チハヤ、ナナタの三体だった。いや、もうCTという呼び方はおかしい。
「ルーイチ・・・」
ナナタの様子が明らかにおかしい。僕が近寄ると少し反応したが、ケージの隅で膝を抱えて小さくなっている。
「大丈夫?どこか痛い?」
返事はない。
僕が困っていると、チーフが入って来た。
「ナナタの様子がおかしい」、僕の言葉を無視してチーフはチハヤのケージの前に行く。鍵を開け、チハヤの体を膝に乗せた。
「口」、と云うとチハヤは口を開ける。チーフがペンライトで照らす。順序を分かっているのか、チハヤは右腕を差し出した。そこにチーフが注射を打つ。
「薬品はぎりぎりもつと思う。使い切る頃には薬の要らない体になってる」
注射跡を綿で押さえ付け、チーフはチハヤの目も調べた。
「だいぶ元気になってきたな」
優しい声だ。
ケージに掛けていた僕の指にナナタの指が触れる。力を振り絞ってチーフを見上げている感じだ。
巻き毛にはまだ血が付着している。傷口が塞がったら洗ってあげよう、と思う。僕の傷も数日も経たない間に治った。ナナタのならすぐだ。
「・・・タータ」
呼びかけるナナタの顔が青ざめている。
「ナナタにも薬が必要なんじゃ」、僕は云ってみるがチーフはもっぱらチハヤに構っている。これまでナナタにしていたようなことを、チハヤにしているのだ。明らかにナナタを避けていた。
「喧嘩でもしたの?」、仕方なくナナタに話しかけてみるが、僕の顔を見つめて青い目を潤ませるだけだった。

「何、あれ」
砂浜まで出ると僕から口を開く。
「あれ、って?」、チーフは取りだした煙草を眺めて結局仕舞った。それも本部からの支給品だったのだろう。吸いたい時に吸っていたらすぐになくなってしまう。
「チーフが一方的に避けているように見えたけど」
「避けてる」、事も無げに云う。
僕はチーフを睨んだ。「それは、酷いよ。ナナタは喋れないんだ。チーフに拒まれたら何もできない」。
その時、あの音が聞こえた。プロペラ。エンジン。上空を旋回する。僕が顔を上げると、北の方角から飛行機が向かってくるのが見えた。チーフには見えないだろう。
「港の方角だ」
飛行機は一機じゃなかった。近づくに連れて機体がはっきりと見える。僕は咄嗟に判断した。
「地下へ!」
野菜畑があったことを思い出す。
僕とチーフは研究室に戻った。二階の三体を連れて地下へ潜る。途中で一体のCTが逃げ出して行ったが、後を追う暇はなかった。チハヤとナナタを連れて僕たちは地下への階段を下りる。
プロペラ音はもうチーフの耳にも聞こえているようだった。
ナナタが僕の手をぎゅっと握り締めてくる。
僕がその手を握り返した時、頭上で大きな爆発音がした。