9, April

眩さで目を覚ます。
瞼にあてた手をずらすと、あるはずのない太陽が見えた。蛍光灯じゃなく、太陽の光。瞼越しでも眩しいくらいだ。僕は体を起こし、周囲を見渡す。
チハヤの白い顔がすぐそこにあった。
手で触れると温かい。
息を吐き、自分の格好を確かめる。ベッドに凭れたまま床の上で眠ってしまったらしい。振り返ると同じ格好でチーフが寝ていた。
光源は窓の外にあった。地下の野菜畑を照らす人工太陽。外にいるのと変わらない。
僕はふたりを起こさないよう立ち上がると、隣の部屋へ戻った。鍵は掛かっていない。部屋は同じように光で照らされていた。空のベッドに何かがこんもりと積んである。近寄って見ると、キャンディの山だった。シーツは綺麗に張って、その上にキャンディの山。僕はしゃがみ込んでその一つを手にした。
「・・・ナナタ?」
気配を感じて振り返るが誰もいない。部屋は空っぽで、流しの上の鏡に自分の顔が映っていた。どうして鏡なんかあるのだろう。僕は今の僕を見たくない。
野菜畑に出て見る。畝の幅に歩幅を合わせて歩いてみるが、姿は見えない。
昨夜チーフに聞いた話を思い出す。
エコたちから取り上げたイヤリングで本部サイトにアクセスすると、そこにはエコたちの報告書の他に、監視員リストがあった。
「だからナナタは裏切り者なんだ」、チーフはそれしか云わなかったが、僕には分かった。
ナナタのことが載っていたのだ。
僕は、どうしてもナナタが本部の監視員だとは思えなかった。もしもそうだったとしても、あの笑顔まで作り物だとは思えなかった。思いたくなかった。
ナナタはよく海を見ていた。
海の向こうに何があるか知っていたからだろうか。
知らなかったからだろうか。
そんなことを考えながら歩いている内に、僕はとうとう地下室の端まで歩いてしまった。後は地階への階段が続いているだけだ。僕は階段の上に目をやった。何か光った。
「・・・ナナタ?」
たぶん違う。
だけど僕は。
地階へ続く階段の最上部に、来た時にはなかったダンボール箱と手術道具一式を見つけた。光ったのは、ダンボール箱に貼られたラベルだった。麻酔と薬。チハヤに投与していた種類だ。中を確かめる。
これだけあれば問題ない。
東棟の様子を確かめようと地階へのドアを開けようとするが、何かが外側から凭れている。何とか覗けるだけ開けると、瓦礫に埋もれた待合室が見えた。爆風をまともに食らったようだ。
ノブから手を離すとまたすぐドアが閉まりそうになる。僕は何度かドアを押し、手応えを確かめる。瓦礫ではない。もっとしなやかな物体だ。
「押し方だな・・・」
後でチーフに手伝ってもらえば開けることができそうだ。
「いつから、置かれていたんだろう」
ダンボール箱の上に手術道具一式を載せて抱える。
その時、舞い落ちたものに気づく。
屈んで見ると、見覚えのある青い包み。
僕は、ドアの向こう側にあるものが何かを悟った。

解剖は無事に終わった。発作の原因は退化とは直接的には関係のないものだった。チハヤの体を開くのはこれを最後にしよう。そう云いチーフは手術道具を仕舞った。僕が運んできた箱の中をもう一度確かめに行く。
僕はチハヤの脈を確認しながら云った。
「ナナタは許して欲しかったんだよ」
「俺は、取って来れば許すなんて云っていない。だいたい、許すって何」
「だけどチハヤは助かった」
当初から体に不具合が起こっていたのだろうか。
エコたちが生きていて、襲いかかったのだろうか。
飛行機から誰か降りてきたのだろうか。
センターが機能停止したことを確かめるために。
それに撃たれたのだろうか。
自分がドアを塞ぐ死体になって。
それとも、
ナナタは、
・・・。
いや、分からない。
僕はポケットから取りだしたキャンディをチハヤの枕元に一つずつ並べる。
そうしておいたら、目覚めた時にナナタが傍にいるような気持ちになれる。
チハヤなら、事実を知ったところでどんな表情もしないだろうけど。
「ずるいよ。強いふりをするのは。チーフだって、あんなに、寂しかったくせに」
僕の方に薬瓶が転がってきた。
「ナナタがチーフを好きだったことは、本当だと思うよ」
見るとチーフが手で顔を覆っていた。「そんなの・・・ずっと知ってる、」。
僕は夢の中でも同じ姿を見た。「タバタ・・・」。
「だから、嫌だったんだ。人間になんか、なりたくなかったんだ。・・・こんなに苦しいのなら、こんなに哀しいのなら」
自分の背中に羽がないから、羽のある生き物が嫌い。
もう元に戻れないから、それが嫌い。
僕は目を逸らした。
目覚めないチハヤが浅く永遠に呼吸している。

部屋の中を太陽が照らす。
人工の太陽。
チハヤの瞼が動いた。
目覚めが近い。
どうしてまた目覚めてしまうのだろう。
その価値のある世界だろうか。
だけど、価値があるかどうかを考える時間ほど惜しいものはない。
今はただ、チハヤの目覚めを待ってあげたいと思う。
ウチザキが僕にしてくれたみたいに、声を掛けてあげたい。
どうして、じゃなくて。
それは苦痛ではなくて。
おはよう、って云ってあげれば良い。
今日はきっと昨日より綺麗だ。
明日はきっと今日より綺麗だ。
妄想のような仮定。
希望的観測。
僕たちにそれが、できるなら。