27, March
朝食を食べながら、僕はふと思った。いつまでここにいられるのだろう。それは、いつまでもここにいたいという気持ちそのものだったかも知れない。
どうして。
何で。
ここは僕にとって何。
僕は誰。
「イヌイ・ルーイチ。そう」
そう。
チーフの家はセンターから西へ車で十五分ほど走ったところにあった。海沿いを横に逸れた場所で、周りは木々に囲まれている。家の前には見覚えのあるセダンが一台停まっていた。昨日のワゴンはセンターの車だろう。備品や荷物を運ぶ専用かも知れない。僕は送ってくれた職員に礼を云って見送った。
白い建物の内部は、家というよりは宿泊施設のような印象。家と宿泊施設の違い。それは、無駄な物があるかないかだ。
「適当に座って」、そう云われたが座れるような場所がなかなか見あたらない。ソファの上はテーブルに乗り切らなかった書類でいっぱいだ。窓際のデスクも同じような状態。もう一台のデスクにはノート型パソコンとデスクトップ形が一台ずつ。椅子には白衣が掛けっぱなし。クロゼットからは物が溢れている。
本人にとっては、これが整然とした状態なのだろう。
しかし、これだけ散らかっていてもやはり無駄を感じなかった。
無駄って、何だろう。
テレビ?雑誌?置物?本棚?
それとも、
「俺の家へ来たがるなんて、もうセンターの食事に堪えられなくなった?」
だけどもっと酷いかも、と運ばれてきた料理の出来映えに僕は驚いた。
「これ、チーフが作った?」
「ゆうべの残り」
「本当に、作った?本当に?」
無理もない。てっきり、器用なのは仕事の上でだけだと思っていた。
「随分散らかってるね」
他人事のように云いながらチーフは、積み重なる書類の上にそのままトレイを載せる。僕ははらはらしながらソファに何とか腰掛けると、トレイを膝の上に移した。
チーフは煙草を銜えながらライターを探す、
「食べながら喋りづらいだろうから俺が当てようか。ルーイチの頭の中」。
リゾットを口に運びながら頷く。
「ここでひとりで暮らしているの?」
じゃあそれ、と目で答える。
「イエス、だ。それから、いつまでこの島にいて良いの?」
頷く。
「答え、いつまでも」
僕は一旦、手の動きを止めたがすぐに再開する。「これ、おいしい」。
「最初は迷った」、チーフが煙を吐きながら云う。
「ルーイチを、どうするか。記憶をほとんど失っているようだったし」
「そのことなんだけど。ナナタは最初から僕の名前を呼んだよ」
チーフの目が微かに細くなった。
「チーフが教えたんだよね」
スープに手を着けようとすると、
「いや、教えない。ナナタは知っているよ。ルーイチはもともとここにいたからね」、と云われ咳き込んだ。
「悪い、タイミング考えなくて」、チーフがティッシュの箱を差し出してくる。
「どういうこと。僕は、ここに住んでいた?」
「そうかも」
「かも、って」
僕が問い詰めようとすると、ホールドアップのジェスチャで、だから嫌だったんだ、と聞こえよがしに云う。
「どうしてもっと早く」
「タイミング」
「だから最初は他人のふりを?」
「かわいかった。ルーイチの敬語」
僕はスプーンを置いた、「まじめに答えろ」。
「答えてる」
チーフの顔色は変わらない。
云っていることは冗談じゃなさそうだ。冗談にしては、つまらない。
「だからナナタは僕を知って、」
「ナナタと会ったら思い出すかな、と思った」
「どうして」
「何となく。だけど思い出さなかった」
チーフの声を聞きながら瞼に手を当てる。
「・・・ああ、そう。じゃあ僕がどうして航海に出たか教えて」
「知らないな」
「僕はここで何をしていた?」
「俺の助手。煙草を吸わないんで驚いた」
「あ、そう。僕はこの島のどこに暮らしていた?」
「ここから車でちょっと行ったところ」
「ひとりで」
「そう」
「ナナタはチーフの子?」
くすっ、と聞こえたが気にしない。
「違う。だけど俺が育てる」
「センターではどんなことを?動物の研究だと云ったね」
「明日見せるよ」
「今日だ」
「明日だ。理由は二つ。一、俺が疲れているから。二、俺がここのチーフだから」
ちっとも疲れていない態度だ。僕はそこで質問を止めた。これくらいで良い。今日は、これくらいだ。帰って整理できる許容範囲。
「そうだ、僕今日は自分の家に帰っても良いかな」
良いかな、なんてどうしてチーフの許可をもらわないといけないのか分からなかったが、ついそう口にしてしまった。
「良いんじゃないの」
チーフが他人事のように云う。他人事だけど。
「ナナタはどこで寝る」
「センター」
そう、と答えた。
チーフが天井に向けてドーナツ形の煙を吐いていた。
今日の日記は字で埋まった。新しい情報が整理されていないまま書き出された。ここが僕の家。証拠はなかったけれど、そう思えないこともない。自分を騙しているだけかも。僕はチーフの助手だった。助手なのだから、一応センターや研究内容には精通していただろう。ナナタはチーフの子じゃなかった。あんなに同じ珍しい目の色をしているのに。
綺麗だ。
波の音はこの島のどこにいても聞こえる。自分の部屋もチーフのところとあまり変わりなかった。パソコンはなかったが、ソファとデスクとテーブル。クロゼット。キッチンと洗面所。確かめたいところもあるけれど、今日はもう寝よう。明日になれば何もかも思い出しているかも知れない。思い出していないかも知れないけれど。もう寝よう。