29, March

部屋の中を引っかき回す。

引き出しから新しい書類が出てくる。僕は床の上に座り、一枚一枚を弾くように見ていった。数字、文字、図、数字、文字、図、写真。写真の部分は見ないようにする。
昨日は何も見ずに帰ってしまった。
チーフは無言の僕を咎めなかった。
紙をめくる自分の指を見る。この指も、携わった。僕の意思で。僕の、意思で?
「たぶん」
さらに紙をめくっていくと、探していた物がみつかった。左上に太字で注文票と書かれている。一覧には注文した人の氏名と住所。住所は街名までで終わっている。この島から直接発送するわけじゃないのだろう。きっとあの連絡船が運んで行く。トンネルが海底にあるのもその為だ。本部が別にある。
僕は再び一覧を掲げ、横に目を移す。
アルファベット二文字が並んでいる。商品欄だ。
「BD、CT、DG、FS・・・」
数が多いのはCTとDG、FSは一件しか見あたらなかった。アルファベットと数字の組み合わせが商品名として記載されている。いかに多くの種類が存在するかが分かる。
僕が書類の山を整理していると、チャイムが鳴った。
チーフなら会いたくない。
しかし覗き窓の向こうにいたのは、荷物を抱えたナナタだった。

「よく来たね、ナナタ。重かったろ」
ナナタは僕の顔を見てにこにこ笑っている。ごろごろ音のするダンボールは決して軽いとは云えなかった。途中までチーフが運んで来たのかも知れない。
気を遣われている自分が情けなかった。
ナナタは何か云いたそうにしていたが、僕の名前しか発音できなかった。
今日はちゃんと服を着ている。上はパーカーに下は膝丈のパンツ。尾を出す穴のあることに気づいて、チーフが裁縫しているシーンを想像してしまう。それはないだろうが。 ダンボールには野菜が詰まっていて、短いメモが添えてある。
「ひきこもりそうだから多め。ルーイチへ」。
その走り書きを見ていたら吹き出してしまった。
ナナタが反応して寄って来る。「ごめん、何でもない」。 僕が散らかした部屋をナナタが少しずつ片付けようとする。「ああ、そのままで良いよ」。
僕はナナタをソファに座らせコーヒーを淹れた。
ナナタは口をぱくぱくさせている。
「あ、り、が、と、う、って云ってくれた?」
嬉しそうに頷く。
それからポケットに手を入れると一握りのキャンディを取りだす。「くれるの?僕に?」、ナナタが自慢げに頷く。お礼を云うと更にポケットを探ろうとする。俯けば僕の目の前で耳の先が小刻みに動く。
生えているんだよ、というチーフの言葉が思い出された。
こっそり摘むと、ナナタは弾かれたように顔を上げた。
「・・・ルーイチ?」
僕を不安げに見る。
綺麗な目だ。
見たことがない色。
「ううん、それは、タータにあげて」

センター東棟の食堂でチーフと待ち合わせをした。時計を見ると午後三時をちょっと過ぎたところ。それでも数人のセンター職員が談笑している。何を話しているかは聞き取れないが、楽しそうだ。あんな笑顔もちゃんとあることを知った。
誰も僕を気に掛けない。それはそれで気が楽で良い。以前から僕はそうだったのだろうか。
隣のナナタは窓の外を見つめている。車に乗った時もこうだった。海を見つめている時だけは、落ち着いている。向こうを向いているナナタの耳に目をやる。自分の巻き毛が気に掛かるのか、ぴくぴくと耳が動いている。
僕はふと、アルファベットの表すものを理解した。
DGはDOG、犬。CTはCATで猫。とすると、BDは鳥。FSは魚。
鳥?
魚?
「何か見える?」、ナナタの耳に唇を寄せる。
ナナタが勢い良く振り返ったので、顔がぶつかりそうになった。食堂の入り口をじっと見つめている。
間もなくチーフが現れた。
僕はどんな顔でいたら良いか分からなかった。そうしている内にチーフがこちらのテーブルを見つける。
「ひきこもらなかったな」、ありがたい軽さで云ってくれる。お陰で僕もチーフの目を見ることができた。ナナタの様子が落ち着かない。席を替わってあげようと思う間もなく、テーブルの下を潜ってチーフの隣、僕の正面に移動した。「タータ!」。
僕もチーフも同時に笑った。
「・・・あの、ありがとう」
「何が」
「野菜。たくさん」
「ああ、そのことだ。支払いは一階の受付。よろしく」
僕は力が抜けてしまった。
「今朝、注文票を見つけた。DG、CTは犬、猫だね」
「うん」
チーフが煙草に火を点ける時、ナナタは体を離して火を見ていた。
「じゃあ、BDは鳥で、FSは魚」
「そうみたいね」
チーフが例によって生返事をする。僕はしばらくチーフとナナタのやり取りを眺めるだけにした。
ナナタの喜んでいる様子を見ていると、チーフが大切に扱っていることが分かる。チーフもひとりだからだろうか。自ら呪縛だと呼んだ、ひとりの寂しさから、チーフも逃れたかったのだろうか。

「ナナタは溺れかけたことがあるんだよ」
砂浜に腰を下ろす。仰げば僕が最初にいた部屋の窓が見える。あの場所から、ナナタに手を振っていたチーフ。
「長く泳げない癖に、沖まで出て行って。食堂のおばちゃんが教えてくれなかったら今頃いない」
「ナナタは、海が好きなんだね」
今はチーフが見ているからか、浅いところで遊んでいる。
動物も子どももひとりで遊べる。
僕は、それが、すごいと思う。
大人になると、それができなくなる。
ひとりになると何をしたら良いのか分からなくなる。
「いや、海の向こうに帰りたいのかも」、煙を吐きながらチーフが云う。「ナナタは、ここで作られたものじゃないからね」。
「じゃあ、どこで?」
「さあねえ。知らない」
ナナタの踝を波が穏やかに洗っている。
くすぐったそうに波から逃げているナナタを見ていると、昨日とはまったく違った感情が湧いてくる。
棄てられたままなら、ああやって、笑うこともなかった。
「ナナタは、模範解答」
チーフの横顔。
僕は見上げる。
「俺にとっての、模範解答。全部がああはならない。愛されるような形にしてやりたくても、俺の手は万能じゃない」
チーフは立ち上がると、ナナタに向かって歩いて行った。
僕はそのまま上半身を後ろに倒す。
模範解答。
忘れてしまうからだろうか。使わなくなった文字みたいに。会わなくなった人みたいに。
僕が、僕を思い出せないみたいに。

陽が眩しい。 チーフとナナタの笑い声が聞こえる。