薄暗い路地沿いに入り口を持つ建物。
地下街の住民はそこがWOLVESの溜まり場であることを知っているので附近をひとりで歩くことを避ける。
WOLVES、頭の名前はヒズミ。
誰も彼の素性を知らない。ここでは首輪がないのは当たり前だが、耳も尾もないとなると珍しい。噂が噂を呼び、以前から地下街にいたグループを色めき立たせ、いくつかのグループは決闘を申し込んだ。しかしWOLVESには敵うグループは一つとしてなかった。

男を押さえつけているDGのひとりが、赤いソファの上に横たわり煙を吐いているヒズミを見上げて云った。
「ヒズミさん、今日はどうしましょう。吊しておきますか」
部屋のすみには他にも様子を伺っているDGやCTがいる。彼らからヒズミの顔はぼんやりとしか見えない。男が組み伏せられたカーペットの上にだけスポットライトが当てられ、縛られた男とそれを押さえつけるふたりのDGはさながら舞台の役者のようだ。
「はげ」、とヒズミが低い声で呟く。
DGは男の髪のことだと解釈し声を上げて笑った。
「笑ってないで早く剥げって」
ふたりのDGは間違った解釈に気がつくと慌てて笑うのを止めた。
「・・・でも、ヒズミさん。こいつはもう何も着ちゃいませんぜ」
「じゃあ、おれの目がおかしいの?」
返答に詰まったふたりのDGは気圧されたように身を縮めた。
「すいません。ヒズミさん。おれたち頭が悪くて。意味を教えて下さい」
「お前たちは今日が初めてだからな」
スポットライトの中に入ったヒズミはふたりのDGを軽く押し出し、部屋の全員に向かっておどけてお辞儀をした後、胸の前で十字を切った。
「愛なき獣に制裁を」。
ベルトから愛用のナイフを取り出し、男の傍にしゃがみ込む。
「皮膚だろ、脂肪だろ。まだまだ着てるな」
男が暴れ出したのでヒズミは頸動脈を切った。それでも悲鳴が止まなかったので頭を床に打ち付けていくとやがて静かになる。
一部の観客は口笛を吹いたり手を鳴らしたりしているが、大半は新入りのDGと同じように目を閉じ耳を塞いでいる。しかし嫌悪だけではない。木箱の上を指定席にする白い耳と尾を持つCTもそうだ。三角の耳を両手で前に押し倒しながら尾を揺らし、子どものように喜んでいる。

絶望的だ。
屋上のベンチ。屋上と云っても空が見えるわけじゃない。地下街に空はなかった。
ヒズミがひとりでそのベンチに腰掛けていると、後ろから同じ言葉を繰り返された。
「絶望的だ」
寄って来たCTはヒズミの隣に腰を下ろした。
「ここが33Hだったなんてな」、白い耳と尾を持つCTは可笑しそうに笑い、 ひとしきり笑いが収まると真顔に戻る。
「さっきのは、やりすぎだ。ヒズミ。新入りにはきつすぎる。古参のおれだって吐いた」
「きつくて吐く?お前が?そんなかわいいこともできる?」
「何それ。吐くっての」
「リツなら平気かと思った」
そう云うとヒズミは街へ向けて吸い殻を投げ落とした。
間違って大火事にでもなれば良い。
燃え尽きてしまえるのなら。
なんてことを頭の隅で考えながら、ものの数秒も経たない内に吸い殻への興味は消失する。
「分からないんだ、ああなると、自分でも」
メトロポリス33には星がなかった。
だけどここには空さえない。
ヘヴンだなんて云ったのは誰だっけ。
それともこれを楽園と呼ばなきゃいけないほど、とっくに最低だったのか。
「そろそろ地上の警察も本格的に動き出す。一週間で二人ともやっちまっただろ。いくら鈍い連中でも重い腰を上げるさ。実際、四人目の被害者が出るまで捜査に取りかからなかったのには驚いたな。どんだけ人手不足なんだ。いや、怠慢か。それに、今この事件を扱ってんのは新米のお嬢ちゃんだ。何でも親父が警察長とかで。血縁ってのは使いようによっては便利だな。まあそんなわけだから迷宮入りで終わるかも。・・・あんた次第だけど」
リツの話を黙って聞いていたヒズミはくすくす笑った。
「お前は敵に回したくない。情報源は?」
「秘密。だけど今はおれを信じておとなしくしてて」
しかしヒズミにも分からなかった。
制裁をしている時、自分は自分ではなくなる。
ここでは誰もヒズミの素性を知らないが、ヒズミ自身知ることができずにいた。
記憶がないのだ。
汚れた水の中で酸素を求めていた。
どうして汚れた水の中で酸素を求めなければならないような状況だったかは思い出せない。
流される途中で色んなものとぶつかり、体のあちこちが痛んだ。
やがて死ぬように気を失い、目を覚ましたら地下街の入り口だった。
名前も過去も忘れていた。
時々自分を突き動かす、制御不能の衝動。その度に標的を探しに地上へ出ては毎回似たような姿の男を地下街に連れ込んだ。そんなことを繰り返す内にWOLVESができ、いつの間にか自分はそこの頭で、毎月のように入ってくる新入りには羨望と尊敬の眼差しで見つめられる。何もかも自分の意図したところではない。気づけば人だかりができていて、気づけば血だまりの中にいる。
「じゃあ、おとなしくしとく」
そう云ったものの保証はできない。今までだって、しようと思ってしてきたわけじゃない。始めから傷つけたいわけではない。発作のような衝動に支配されてしまう。標的を定めた時にはもう後戻りができない。
「おりこうさん」
それだって分かっているのかいないのか、リツは嬉しそうに笑った。尾の先が機嫌良く揺れていた。

霧の中を歩いていくようだ。
いや、歩かされているようだ。
信じる物を持たないおれたちは。