信号が青に変わり、ふたりを乗せたワゴンが走り出す。
陽射しが強くなってきた。
ラビはポーチから日焼け止めクリームを取り出すと顔や腕に塗りだした。
「若い子はちょっと焼けてるくらいがかわいいのに」
「それは叔父貴の趣味だろ」
「まあ、俺はどんなラビも好きだけど」
「何も聞こえないな」

シウンはラビの父と十歳年の離れた弟だ。ラビの父は警察長、シウンもかつては捜査官をやっていたがある事件に関わった際に辞職している。その詳細をラビは知らない。
叔父と云うよりは兄のような存在のシウンは、ラビにとっては厄介な存在でもあり頼もしい存在でもあった。何かと自分を気に掛けてくるところは正直鬱陶しかったが、父と同じ警察官の道を歩み始めたラビにとっては元同職のシウンの話や助言は何かと役に立つことも多かった。今でもラビの父は弟の辞職を惜しんでいる。シウンが優秀な捜査官だったことは署内に語り継がれており、ラビもしばしば耳にする。その度に自分が比較されることがラビにとっては苦痛だったが、そんな素振りは微塵も見せないよう努めてきたつもりだ。若くて体も小さい。父親が警察長というだけで悪い噂を流される。(あたしだって普通に受験したさ!)。ただでさえ侮られている自分には人より数倍の努力が必要だと思っていた。
そんな負けず嫌いの姪の性格を知って、シウンはますます世話焼きになってしまう。

「いざとなったら俺がいるからね」
何を云ってるんだ、とラビの茶色い瞳はシウンを睨んだ。
「愛のこもった独り言」
「聞きたくない」
メトロポリス33の中心部を出るとハイウエイに乗り換える。
「それで、今日は何の用事だっけ」
後部座席からファイルを取り出して眺めているラビに声を掛ける。
「33Hのことだ」、それを聞いたシウンはあからさまに顔をしかめた。
「プライベートで調査するのはやめろ、ラビ。お前はリンチ事件を任されてるんだろう。そっちはちゃんと進んでいるんだろうな?」
氷が溶けて薄くなったオレンジジュースをストローで吸い上げながらラビがファイルをめくる。「はいはい、ちゃんとやってます」。
「見返してやりたいって気持ちは分かるが、二兎を追う者は一兎をも得ず、なんてことになったそれこそ同僚の笑い種だ」
叔父の忠告を聞き流し、ラビは再びファイルに目を落とす。

33Hについては誰も手を着けようとしない。真偽の定かでない情報を鵜呑みにしないということかも知れないが、ラビは、33Hこそ手っ取り早く手柄を立てることのできる無法地帯だと感じている。
首輪さえ外せば耳と尾を付けたままでも暮らせる場所があるという噂が広まり、CTやDGの中には計画的に脱走する者が増えてきた。街中で首輪のないCT、DGをひとりでも見つけることができればそれなりに評価される。まして33Hを一掃できたらどれだけ騒がれるだろう。自分のことを、父親の一存で警察署に入ってきた世間知らずの子ども扱いする連中も見返してやれる。

「そう云えば、ラビ。リンチ事件の被害者には共通点があるんだって云ってたな」
「うん。本部に関わりがあって、年収が一定額を超えている、アイルへの高額出資者。あたしは、この事件は33Hにリンクするんじゃないかな、とも思う」
「どういう意味」
「事件の被害者のもう一つの特徴として、全員が、現在にしろ過去にしろCTやDGの所有者だったんだ。被害者の死後、例外なくその家のCTやDGは姿を消している。そのまま消息が掴めない。33Hに逃げ込んだんだ」
確信しきっている口ぶりのラビを見てシウンは頭を掻いた。
「一つの仮定を信じ込むのは危ないと思うけどね。正しい、正しくない、の問題じゃなく、限りなく事実に近い仮定でも冷静な視点から見ることを忘れちゃいけないよ」

ようやく目的地に着くとふたりはワゴンから降り、地図を広げる。
ふたりの前には濁った川が流れていた。
ラビは何かを確信したように頷いた。
「ここだな。数年前にメトロポリス33のターミナル前の橋から落ちたDGが流れ着くとしたら。死体は見つかっていない。それから少し経って、リンチ事件の最初の被害者が現れたんだ。このふたつの事柄がもしも繋がってくれれば、色々と辻褄が合うんだけどな・・・」
「辻褄って?」
「橋から落ちたDGは実は生きて33Hに流れ着いて、自分を撃った人間へ復讐してるんだ」
「根拠は」
「そのDGの所有者だったミスター・ノーザンの特徴が、リンチ事件の被害者の特徴と一致してるから。以上」
「また得意の勘ですか、お嬢さん」
「ご名答だわ、得意の勘ですわ、叔父様」
「その、ミスター・ノーザンという男に話を聞けば良いのではないかな、お嬢さん」
「無理よ。彼は亡くなっているの、叔父様」
ふたりは川沿いに歩き出す。
「だけど、その話を事実と仮定したとして、撃たれたことはきっかけであって動機じゃないのだろうね」、シウンが呟く。
「どういう意味?」
「うん。こういう云い方はおかしいんだけど、撃たれたくらいであんな事件を起こすかな」
「そりゃああたしだって起こすよ。あわや死ぬところだったんだ。汚い水の中で。・・・何が云いたいの、叔父貴は」
うん、と云いながらシウンは耳の上を掻いた。本人は気づいていないが、困惑している時の癖だ。ラビと違って、推測の域を出ない見解を述べることが好きではないのだ。
「被害者を見たんだよね、ラビは。俺は写真で見ただけだけど。顔は潰されていたし、全身の肉は殆ど剥いであった。残った皮膚にはロープのような物で縛られた跡があったし、よっぽど強い、何と云うか、コンプレックスのようなものがあったんじゃないかな。あれだけ無惨なことをするからには」
「・・・そう、だな。動機は他にあるんだろうな」

やがてふたりは、ラビが33Hへの入り口があると主張する地点へと到着した。
水はここでせき止められ、濾水センター行きの巨大なパイプへと流れ込んでいる。
「33Hへの入り口はこの辺りかも知れない。リンチ事件の被害者が放置されている現場もここから半径5キロ内に分布している」
「なるほど。周辺の建物と云えば濾水センターくらい。人目にも付き難いしな。普通は現場の確定を遅らせる為により遠い所へ棄てたがるもんだが、犯人にはそれができない。つまり、足が無い。車もなければ交通手段も制限されている。たとえばだけど、おそらくラビが考えているのは、耳や尾があるとかの理由で、」
ふいにシウンが口を噤んだのでラビは彼の目線の先を辿った。
トレーナーを着た青年が走って来る。
彼はシウンとラビに気づくと立ち止まって、人懐こい笑顔で話しかけてきた。
「珍しいな、こんな所で人に会うなんて。おれ、しょっちゅうジョギングしているんですけどね、初めてだな」
ラビの顔を見た青年が、一瞬だが、ひどく驚いたような表情をしたのをシウンは見逃さなかった。
(分かるよ青年、確かに、ラビはとびきりかわいいからな。・・・ふふふ)。
そう胸の内で囁いて一応納得する。
「この周辺でリンチ事件の被害者が五名発見されているんです。最初の被害者が発見されたのは数年前ですが、最近また立て続けに二名発見されました。手口が同じなので同一犯人と見て捜査を進めているところです」
説明するシウンの方をちらりと見た青年はまたすぐラビに目を戻す。
「おふたりはその捜査に?」
「ええ、まあ。・・・何か気づいた点、思い出した点がありましたら、こちらに連絡を下さい」、そう云ってラビは名刺を手渡した。
受け取った青年はどこか名残惜しそうに走り去って行った。
その姿が十分に遠ざかった頃、シウンが呟く。
「あいつ、お前に一目惚れでもしたような顔だったな、ラビ」
勝手なことをほざくな、と濾水センターへ向かって足早に歩き出したラビだったが、それが照れ隠しの為だということをシウンはとっくに見抜いている。