約束の十分前に行きつけのカフェに着いたリツはカフェ・オレを注文して通りを観察した。
地下街にも店はある。
カフェの向かいは衣類を扱う店で、その隣は靴屋だ。店員も客も頭には耳、お尻には尾がある。
この地下街ができたのはメトロポリス33がアイルをつくりだした時期とほぼ重なっている。もともと失敗作を保管しておく場所だったが、管理が行き届かなくなり放置された。確かに本部が黙認している点はある。首輪のないまま地上へ出れば迷子センターに連れて行かれいずれ処分されるのだから、地下を出てくることはないだろう。それならわざわざ管理を徹底しなくともだいじょうぶだろう、と。実際その通りで、地下街に集まってくるCTやDGは既に一連の流れを知っている。モールで得た情報が殆どだ。そうして地下街は本部に認知されていながらもある程度保証された場所として、ヘヴンの異名を持つまでになった。
しかし本部が見落としている点が一つある。
それは、神遊びでつくられた生き物の中には生殖能力を残した者がいる、ということだ。本部で誕生するCTやDGは大抵本部で去勢されるが、その判断はパレントに委任される場合もある。委任と云っても必ずしもすべてのパレントが去勢手術を施すわけではない。わざと残したまま所有者に受け渡す例がある。そこまで本部は関与しないし、パレントと所有者の個々の関係にパターンが存在するのは確かだ。
地下街にやって来るCTやDG、RBの中で生殖能力を持つ者同士が子どもをつくり、地下街で出産する。その子ども同士も生殖能力を持つのでまた子どもをつくる。やがて地下街の人口は本部の把握する数とは少しずつずれてゆく。いわゆる失敗作の、自然消滅をはかっていた本部にとっては思いも寄らないことだろう。
かつて地下室と呼ばれていた狭い場所が、今や地下「街」に変貌を遂げているなんて。
「お待たせしました」
注文のカフェ・オレを運んできたRBの女の子に、リツは微笑みかける。
この子もここで産まれたのかもな、などと考えながら。
ヒズミが33Hの入り口に倒れている姿を見た時は驚いた。耳も尾もなかったから人間かと思ったが、手で確かめると跡が残っていた。33Hに来るからにはそれなりの事情がある、ということは理解できたが、リツが何より驚いたのはヒズミと自分が以前出会ったことがあったからだ。
あれはモールで遊んでいた日のことだ。あの頃はリツの所有者もリツを大切に扱っていたし、まさか自分が33Hへ行こうなどと考える日が来るとは夢にも思っていなかった。しかし愛情は儚い。新しいCTを購入した所有者はリツには見向きもしなくなり、日毎に食事が減らされた。33Hの話を思い出したのはそんなある日のことだ。以前モールで遊んでいた時、茶色い耳に茶色い尾のCTに誘われた。尾の先が少しだけ白かったのを覚えている。レンと名乗ったCTの後を付いて行くと、人間の子どもを紹介された。あれはどう見ても人間だったが、レンはCTだと云っていた。他にもレンに声を掛けられて集まったCTやDGは人間の子どもを囲んで自己紹介を始めたが、その中にヒズミもいたのだ。
「なあ、どうしてお前には耳もしっぽもないんだ?」。
紫色の首輪をしていたヒズミはそう云った。
33Hの話を聞いたのもその時だ。
33I、
33J、
FS、
商業化プロジェクト、
有名なタバタ会長、
それから、
それから・・・。
知ったかぶりをしていたが、初めて聞くことの方が多かった。
ヘヴンにはCTやDGがたくさんいて、首輪がなくても所有者がいなくても生きていけて、すごくきれいなところで、本物の海があって、おかしがたくさんあって、自由。
「どうやったら行けるんだろう?」。
そんな流れだった気がする。
「そのことなんだけどさ、ぼくが聞いたところでは・・・」。
CTのひとりが33Hへの行き方を説明し始めた。
どうせ根も葉もない数ある噂の一種だろうと思っていたが、その言葉通りの道順でリツはここへ辿り着いたのだ。
実際のヘヴンは理想とは遠くかけ離れた物だったけれど。
「それにしても・・・ヒズミって名前じゃなかった気がするんだけどなあ、あの時は」
リツはもどかしい気持ちでテーブルの上を指先でこつこつと鳴らした。
ヒズミは33Hに来るまでのことを全く覚えていないようだったし、リツも自分たちが以前モールで出会っていたという話はしてこなかった。思い出したくないから忘れたふりをしているのかも知れない、とも考えられるからだ。
意識不明のヒズミを病院へ連れて行ったのもリツだ。そう、地下街には病院もある。肩口に埋まった銃弾を取り出すとそこにはノーザン家の刻印があった。有名な高額出資者だ。リツの所有者は会ったことがあるかも知れなかった。
「何だったけ。ヒズミの名前。たぶん、ほんとうの・・・」
頭を抱えて目を瞑る。
結局思い出すことができず顔を上げると、いつの間にかカフェ・オレは飲み干されていた。
「ヒズミ!」
目の前にあったのはヒズミの不思議そうな顔だった。
「だって、声かけても反応してくれないんだもん。リツ、何を考えていた?」
「え、何を、って?何でもないよ」
変なやつ、と云いながらヒズミは自分の飲み物注文をする。
「・・・あ、それで話って何だよ」
体勢を立て直そうとリツは本題に入る。今回呼び出したのはヒズミの方だ。
「ああ、そうそう。会ってきたよ」
「誰に?」
「ラビに」
しばしの沈黙の後、リツは声を上げた。
「は?ラビって、リンチ事件を担当してるお嬢ちゃんだろ。あんた莫迦か」
しかしヒズミの表情は変わらない。
ふたりで会ったんだ、と話すその頬が心なしかほんのり赤い。
リツは眩暈を覚えた。
「どういうこと。最初から話して」
「ほら、リツが教えてくれたじゃないか。近い内に濾水センターの入り口に担当の警察官が来るって」
「予想だけどな」
「それが、来たんだよ」
「あたかも偶然を装うな。そういえば最近しょっちゅう外へ出てたな。そういうわけか。・・・それで?」
「うん、それで。おれたち、出会ったんだ。向こうはひとりじゃなかった。男が一緒だったけど、後から聞けばあれは彼女の叔父なんだ。もともと敏腕の捜査官だったらしい。正直、そうは見えなかったけど。女好きの伊達男って感じ。そのひとのこと、家族のこと、たくさん話を聞かせてもらった。彼女、警察官になったばかりで、友だちができないんだって。まだ若いし、父親が警察長だと、いろいろ憶測を立てられちゃうだろ。とにかくあたしはまだ舐められてるんだ、って云ってた。話し相手ができて嬉しい、って」
ここまで来るといちいち驚くのも面倒になり、リツは淡々と相槌を打つ側に回る。
「ふうん。初めて出会った後、どうやって次会う約束取り付けたの?」
「去り際に名刺を貰っていたからさ、電話したんだ。33Hのことも調べているみたいだったから、そのことについて教えたいことがある、って云って」
「・・・ん?何て云った今」
「だから、33Hのことについて教えたいことがある、って」
「・・・うう、具合悪くなってきた。あ、すいません、お水一杯下さい」
先ほどのRBは顔色の悪いリツを見ると、慌ててコップに水を汲んで持って来た。
「おれ、自分がDGだったことも明かした」
ヒズミの言葉を聞いたリツが勢い良く口から水を吹き出したので、RBは慌ててタオルを取りに戻った。
「33Hなんてないんだ、って説明した。おれは身をやつして地上で生活しているってことも」
「いくら気を引きたいからって話のネタがきわどすぎるんだよ。あっちがそれで手を引くとでも思ってるわけ。余計に怪しまれるのがオチだ。・・・あ、タオル、わざわざすいません」
「うん。ラビは納得したようだった」
「そりゃ、耳と尾のないDGが云うんだからな。だけどヒズミ、あんた、肝心な点を見落としてないか。耳と尾のないDGが地上ではどうなるか、知ってるだろ。大きな手柄のない警察官はそういうのを探してポイント上げてくんだよ。あんただってその内彼女のポイントに換算されるぜ」
もちろん心から心配して忠告をするのだが、リツの言葉はもはやヒズミの頭に入ってすらいかないようだ。
「ちゃんと聞けよ、ヒズミ。それ騙されてるよ。騙してるつもりが騙されてる。あんた絶対に後悔する。そもそも出会ったことが間違いなんだ」
聞こえているのかいないのか、ヒズミは頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めていた。
「ねえ、リツ」
「んだよ」
「これが、恋?」
怒鳴りつけてやろうと立ち上がったが、ヒズミの表情を見下ろしたリツは何も云えなくなった。
そんな顔は見たことがなかった。
無防備に横顔を晒して、目は遠くを眺めている。
ここへ来て初めてしあわせそうな顔をしたヒズミを、リツはそれ以上なじる気になれなかった。