考え事をしながらふらふら歩き、気づけば見知らぬ場所にいた。
賑やかな音楽と、たくさんのCT、DG、それにRBもいる。笑い声と驚いた顔、拍手、音楽、まわりは全員楽しそうなのに、自分だけが暗く沈んでいる。辺りを見回したが住所を知る手がかりがなかったので、ヒズミは仕方なく一番近くにあったベンチに腰掛けて紙芝居劇を鑑賞することにした。
「・・・はあ」
今日何度目か分からない溜め息を吐く。
ラビと久しぶりに会ったのだが、どこか怒っているようだった。職場で嫌なことが続いているのだろうか、と思い心配するとラビはますますぎくしゃくした感じになって、その日はどこへも行かずに別れた。会ってから一時間も経っていない。理由が分からず地下街へ戻りリツへ相談する。何だかんだ云いながらちゃんと話を聞いてくれるリツはヒズミにとって大切な存在だ。客観的な意見が必要だと思い、待ち合わせ場所に着いてからラビと出会い三十分後に別れるまでの一部始終を覚えているだけ正確に打ち明ける。リツはヒズミの言動の「気に入らないやつがいる?そいつ、ぶっころしてやろうか」が原因だと教えてくれたのだが、ヒズミにはぴんと来なかった。
自分の好きなひとを誰かがいじめていたら、そいつをころしたって良いんじゃないだろうか。
どうしていけないのだろう。
好きなひとを守れないことより、守ることの方が、どうしていけないのだろう。
そこで、ねずみくんたちは、わるいねこをこらしめることにしました!
紙芝居を読み上げる高い声が響く。
「・・・こらしめるって、どういうことだろう。それは、ころす、ってことじゃないの?他にどんな方法が?」
ヒズミは頭を抱えた。
それに、わるい、って誰が決めるんだろう。
わるいねこ。
そんなねこは、どこにもいない。
いるのは、ねこ。
ねこだけ。
わるいとかなんとかは、誰かが後から付けるんだ。
ねずみくんたちは、ねずみ会議をひらきました。わるいねこをこらしめるには、どうしたらいいか、三日、三ばん、話しつづけました。四日目の朝、ねずみくんたちのうちで一番からだの小さな茶色いねずみくんが云いました。みんな、ずっと、ねこをどうやっていためつけるか、そのことばかりかんがえていますが、それはぼくははんたいです。ねこを、ただ、こらしめるだけでは、だめなんです。ねこが、ぼくたちのきもちをわかるようにこらしめないと、きっとあたらしいねこがやってきて、ぼくたちをまたいじめるでしょう。ぼくたちは、ほんとうは、こらしめたいわけじゃなくて、ほんとうはねこに、ぼくたちのいたみをわかってほしいとおもっているはずです
そうだ。
ころしたいわけじゃない。
ころしたいわけじゃなくて、守りたかったんだ。
ラビにもリツにも、そう云えば良かった。
そう云えばきっと分かってもらえた。
「・・・はあ。おれって、つくづく、だめだ」
その時、ヒズミの耳に今までに聴いたことのない音色が届いた。
近くではない。
賑やかの向こう。
チェロほど息が長くない。
ピアノほど音階が正確じゃない。
不揃いな。
それは息継ぎ。
まるでふくよかな生き物の鳴き声。
明るく、寂しく、何も強いない声で語りかけてくる。
紙芝居を最後まで見ず、ヒズミは立ち上がった。
音のする方へ向かって。
いつの間にか駆け足になり、やがて音のありかを見つけた。
「・・・」
白いシャツの眩さ。
黒く艶やかな髪が風を受けたように揺れていた。実際には本人が体を揺らしているからなのだが、まるで一帯には爽やかな緑風が吹き抜けているよう。風船を持った子どもたちは思い思いの格好で地面に座り、その不思議な楽器を奏でる黒髪の奏者を見上げている。
飴を舐めたり、隣と喋ったり、思い思いに楽しんでいる様子。
奏者の顔が見てみたくなったヒズミは人ごみを掻き分けながら少しずつ前へ回り込んだ。
奏者の後ろで休憩中の風船屋もその音色に耳を傾けている。
「この楽器、何て云うの」
「アコーディオンだって。さっきジオに教えてもらったんだ」
そんな話し声を聴きながら、ようやく奏者の顔がはっきりと見える位置まで来る。ヒズミの方をちらりと見た奏者がその拍子に音を外したので風船屋も子どもたちも楽しそうに笑った。
「ねえ、あれを弾いているひとの名前、何ていうの」、
ヒズミはたまたま隣にいたCTの女の子に声を掛けた。
「チハヤっていうの。ジオと一緒にここに来るの。さいしょはへたくそだったんだけど、だんだんうまくなってきたの。・・・ねえ、あなた、チハヤにすごく見られてるわ」
そう云われて顔を上げると、CTが教えてくれた通り奏者はまだヒズミの方を見ていた。
髪と同じで、水気を多く孕んだ黒い瞳だった。
「おにいさん、チハヤの友だち?」
しばらく見つめ合った後、奏者が微かに笑った。
「わらった!」
「チハヤが!」
「みんなの、まえで!」
珍しいことなのだろうか、奏者がちょっと表情を変えただけなのに子どもたちはきゃあきゃあ騒ぎ始める。
「やっぱり、おにいさん、友だちなのね?」
興奮したCTが再び見上げると、ヒズミは涙を流していた。
ぽろぽろ。
ぽろぽろ。
「まあ、どうしたの。おにいさん。笑われてかなしいの?くやしいの?」
泣いている顔を見られたくない。
ヒズミがしゃがむと、CTの女の子も一緒にしゃがんだ。スカートからハンカチを取りだして半ば無理矢理ヒズミの顔を上げさせ涙を拭う。
「気にしなくて良いわ。あたし、おうちにハンカチがたくさんあるから」
おさげを揺らしながら甲斐甲斐しく涙を拭ってくれるCTをヒズミはぎゅっと抱き締めた。
「ありがとう。でも、かなしいわけじゃないんだ。くやしいわけでもない。うれしいんだ。すっごく、うれしいんだ。やっと自分が誰か分かった」
抱き締められた女の子はほんのり頬を赤くしながら、ヒズミの肩の上で呟いた。
「うれしくて涙が出るの?あたしは子どもだからまだ分からないわ」
「きみも、きっといつか、うれしくて泣くことがあるよ。何があっても、その日まで、生きるんだよ。ちゃんと、生きるんだ。生きていれば、その日はぜったいにくるからね」
誰かがいつか手を離した赤い風船。
空へ空へとのぼって消えた。
今日は何もない青空。
笑い声が満たしてゆくよ。
風船のかわりにのぼってゆくよ。
消えないで。
世界の終わりまで笑い声はきえないで。
離さないようにね、離れないようにね、きみたちはたいせつなだれかをぎゅっと抱き締めておいで。