憎しみもいとしさもありません。
存在しているものが何一つありません。
世界は消え、いつか言葉も消えるだろう。
その直前の一瞬のために、ぼくは今きみに語りかける。
+
「漂流」
命を無駄にするなとは云えない
なぜなら生きることは無駄にすること
生きる以上の無駄なんて何かあるだろうか
それでも
生きてください
太陽の余りが
教室に溢れていたね
狭い世界は
その狭さゆえ満たされて
ぼくがきみへ投げかけた
その言葉は
童話より残酷な
意味の無い、祈りだ
だけど思うんだよ
それはぼくだけの願いじゃなく
あのひとの願いだ
そうでなければ死ぬことはない
永遠には続かないものだから
終わらせないでください
+
眠れない夜
日夜の掟にそむいて
悪者になりたいんだと
日常に歯を立てる
+
枯渇を恐れなくていい
生きていれば苦悩は絶えることがないから
紙に向かってペンを執る時
きみが幸福だったことなど一度もないのだから
明け方のやってくる方角が分かるかい
事典を調べても日々変わるさ
夢の果てに正気を返される頃
もう一人のきみは虚ろな目で
窓の水滴を一心不乱に数えるだろう
+
青い雪が降った
午後の天体の授業
勿論ぼくにしか見えないが
だからって嘘吐きの証明にならない
三番は黒い夢から醒めないし
十四番は赤い水を飲みっぱなし
七番は白い時計にとらわれていて
二十番はいつでも黄色を飼ってる
青い雪が降った
午後の天体の授業
それは勿論ぼくにしか見えないが
誰の目にも見えるものはこの世界にはまだ、ない。
+
「滲む」
立ち上がると眩暈がした
だから傍らに腰を下ろして
秘めてばかりの湖面に目をやる
遠くを汽車が駆けている
働き盛りの驢馬のように
人のいない小舟が一艘
水の中央で何かを待っている
ぼくがどこかへ逃げたいと願って
たとえばどんな手段なら叶えられるだろう
夜になれば朝が来るし
朝になれば夜がまた来るのに
詩集
パン
針と糸
ぼくらがどこかへ逃げたとして
たとえば何がそうさせたんだと云えるだろう
杏子
シロツメクサ
肉を切るための包丁
謳うものなんか要らない
用無しの小舟にされた木のように
ぼくときみは何も覚えずにいたい
+
「ルームメイト」
一夜にして変わるということが
そんなことが
ありえる世界なのでしょうか
誰の前でもどこででも
ぼくは十字を逆さに切る
紙の束の隙間には
聖なるを問わず甘味の破片
それは病床のぼくを
容易く微笑ませるに足る
きみは信じてないんだ
本当らしい何物も
そのことが酷く不眠のぼくを
容易く寝付かせるに足る
+
「似た何か」
ある冬の朝に
収縮する瞳孔と感受性
破られなかった膜が
崇高を維持してそこにある
血に濡れた葉に
光が宿っている
半日前と違う何かが
きみの皮膚の下を流れている
可能性はいつもあやふやだった
台詞の構成は
骨と皮ばかり
老いを知らない体は
匿われることを拒絶しながら
その手首はいつも
ぼくに向けて無防備にさらされる
+
「少女の遺言と少年殺人者の交流」
胴体に対し翅が大きすぎるんだ、
美しくなんかちっともないのさ、
少年が云い
蝶を壁に刺す
だからジョナスに捕まるのね、
少女が問うように答え
惚れぼれと
あるいは淡々として
器用な手先に視線をあてている
ちなみにジョナスは猫の名で
彼女はそれをある小説から取った
動けないんだよ、
ここを押さえられると、
だから触覚や肢に意味はない、
馬鹿だね、
本当にこれは馬鹿げた造りをしているよ、
白い窓枠は何も遮らず何も象らない
ただ、そう見えるだけ
硝子が濾過した光が
無菌の室内を一瞬
昼の水面より目映くする
でもねあなた、
翅はそのために大きいのかも知れないのよ、
だってさみしいじゃないか、
何かの悪意で刺されることもないほうが、
その声に少年は顔を上げ
少女の青ざめて美しい顔を初めて知る
やがて決まり悪そうに椅子を立つと彼は
生物の消えた部屋の窓からたったひとりで飛び降りた
+
「海に近い町」
その町の子は知らなかった
すみれの蜜の味
生き抜けない命があること
波は低く
日差しは穏やか
盆地の稜線
緑色の水平線
船に乗り
売られた臓器は
明日血を吐く
先の兄の吐瀉物の上に
最後の最後
神のいない祠で
ぼくを振り払ったきみの
表情の意味は説明にならない
拙いも精巧も
言葉は
波際に捨てられている
海と陸の間で
枯れたり濡れたりを繰り返している